第89話 歴史への挑戦

 当初は、宮野城への降伏勧告を行う予定であった。だが目の間で燃えている江刺家館を見ているうちに、吉松の中で疑念が浮かび上がった。果たして本当に、これで彼らが降伏するであろうか。土地を奪われ、家族まで捕らえられ、それでもなお、宮野城に籠って抵抗し続けている。


(其方の行く手には、奥州の歴史が立ちはだかるであろう)


 祖父の言葉が脳裏をよぎる。自分が甘く考えていたのは認める。一所懸命とは武士の本質そのもの。土地を奪われるくらいなら、一族郎党死してでも戦う。現代的な感覚では理解不能だが、奥州武士の多くがそうした価値観を持っているのは、目の前の光景が証明している。


「殿……」


「甚三郎(※武田守信のこと)。予定通り、宮野城への降伏を勧告してくれ。それと、もし希望するのなら、人質とした家族はすべて開放すると伝えよ。家族と共に話し合い、降伏するかどうかを決めよとな。城を枕に討死というのなら、そうすればよい。帰農したいというのなら、所領で暮らすことも認める。それが、俺ができる最大限の譲歩だ」


 元寇の役のとき、多くの武士が対馬および北九州で戦った。その時の彼らに「国防」という意識はあっただろうか。あろうはずがない。彼らは鎌倉幕府に命じられたから戦ったのだ。自分の土地さえ無事ならば、他領がどうなろうが幕府がどうなろうが構わない。極端な話、明や南蛮の国が支配者になっても、自分の所領が無事ならば受け入れる。それが国人衆というものだ。


(それではダメなのだ。江戸幕府が生み出した三〇〇年の停滞。これは二一世紀になっても、日本人の精神に染みついてしまっている。近代への幕開け。国民国家の形成の機会は、今しかないのだ!)


「この戦が終わったら、大評定を開くぞ。俺が創ろうとする新たな天下の姿を皆に示す。その上で、改めて皆に問う。反乱を起こすもよし。帰農するもよし。家臣皆に選ばせよう」


 本来、統治機構になにが正しく、なにが間違いなのかなど、誰にも解らない。強いて言えば、もっとも多くの人間の生活水準を、恒常的に高めていける社会体制が望ましいのだろう。吉松はそう考え、近代的国民国家の形成による中央集権体制を求めた。血が流れるのは仕方がない。誰が天下を統一しようが、その過程では何十万もの血が流れる。戦国時代なのだから当然だ。

 だがその果てに出来上がる社会が、国防力の無い幕藩体制で、本当に良いのか? 江戸幕府が鎖国をしたのは偶然ではない。日本が植民地となるのを避けるには、鎖国しかなかったからである。国を開いていれば、元寇の時と同じことが起きただろう。そして今度は神風などない。大英帝国か、あるいはフランスか。いずれにしても日本は植民地となったはずだ。


(理解できないのは当然だろう。だからできるだけ説明し続けるしかない。それで価値観が変わることはないだろうが、それでも多少はマシだろう。俺のことは、できるだけ忠実に歴史に記させよう。後世において暴君と呼ばれようが、やらねばならぬ。それが、この時代に生まれ変わった俺の役割なのだ!)


 ただの個人的な野望に過ぎないが、吉松はそう思い定めていた。未来の記憶を持つ自分が、なぜ戦国時代に生まれたのか。それは、その記憶を活かして「より良い未来を導け」という何者かの意思なのではないか。なんの証拠もない。自分勝手な見解に過ぎない。だが吉松は、自らの「在り方」をそう決めたのであった。




 宮野城内では重苦しい沈黙が流れていた。新田軍からの最後の降伏勧告である。家族には手を出していない。望むなら開放し、城内で話し合うことも認める。禄で仕える者は召し抱えるし、帰農する者は元の所領で暮らすことも認める。新田が譲歩しているのは確かであった。本来であれば、一気呵成に攻め寄せることもできるのに、人質となる家族まで開放するというのである。


「右京殿、どうされるか?」


「フンッ、帰農しろだと? ふざけたことを。最後まで抵抗する。当然であろうが!」


「然り。新田に服することなど出来ぬ。儂はどこまでも新田と戦う!」


 久慈治義も決然と口にする。だが迷う者たちも多かった。既に土地は奪われてしまっているのである。ここで抵抗してどうなるのか。家を残すことを考えるべきではないか。そう考える者も少なくなかった。


「若……」


「ここでは拙い。控えよ」


奥寺左衛門定正を下がらせた九戸左近将監政実は、新田憎しで固まっている父親に、冷静な眼差しを向けていた。新田吉松の書状の効果は絶大であった。なぜなら、国人衆の半数は所領をすでに奪われているが、逆を言えば半数はまだ自分の所領が残っているからだ。いま、新田に降伏すればそれなりの待遇で迎えられるのではないか。そうした打算が働かないはずがなかった。


(これは、とてもではないが、戦ができる状態ではないな)


 政実はそっと、評定の間から下がった。別室で肩を揉んでいると、奥寺定正が入ってきた。


「殿、どうされますか?」


 状況が状況である。九戸家嫡男とはいえ、まずは自らの去就を考えるべき。定正は言外に、そう言っているのである。無論、政実も考えた。最悪なのは、弟や家族を招いて、一族郎党皆で死ぬという選択である。そんなことをしても、なんの意味もない。自分が新田吉松の立場なら「馬鹿な奴らだ」と鼻で嗤うだろう。生き延びてこそ、何事かを成せるのである。


「帰農し、再起の機会を待つというのもあるな。九戸の民たちを束ね、一揆を起こす……」


「新田が大きくなれば、九戸の地は後方の重要拠点となるでしょう。そこで一揆を起こし、領地を取り戻す。一つの道ではありますな」


 政実は苦笑いした。口にはしたものの、自分にはそんな気は毛頭、無かったからである。嫡男という立場だからかもしれないが、まず考えるべきは九戸の「家」を残すことであろう。土地は失っても、将来また取り戻すことができるかもしれない。あるいは別の形で、家を栄えさせることができるかもしれない。実際、蝦夷の蠣崎家は徳山城から動かずにいる。そして嫡男は新田の将となり活躍しているという。ならば九戸も、そうした道を進めるのではないか。


「……俺は、新田に降ろうと思う。定正はどう思う?」


「若。某は、若の与力としてお仕えして以来、若を主君としてきました。若がそうお決めになられるのであれば、某はどこまでもついていきますぞ。では、手土産として……」


 この城を手土産としてはどうか。定正の意見に政実は首を振った。確かに、今の父は新田憎しで眼が曇っているようにも見える。だがそれでも父なのだ。それを売ることなど出来ない。


「父と話す。今宵、儂は新田に降る。ついてきたい者だけついて来れば良い。嫡男の俺が降るとなれば、他の者も降り易かろう。その上で、父の助命を乞う」


(おそらくは無理だろうが……)


 宇曽利の怪物とはどのような男か。これまで幾度か想像したことがある。評判定まらぬ者。苛烈極まりないとも、民に優しく情に篤いとも言われている。だが一つだけ確かなことは、敵に対しては容赦しないという点だ。父親は明確に、新田の敵である。助命などするはずがないだろう。




「俺は、九戸右京信仲をはじめとする奥州国人衆を…… いや。鎌倉から三〇〇年続く武士もののふという存在そのものを、完全に屈服させたい。そのためにも九戸右京を殺してはならぬ。どこまでも抵抗させてやるのだ。何度でも叩き潰し、捕らえ、そして解放する。土地に潜り、一揆を起こすもよし。他家に仕えて戦に出てくるも良し。一所懸命を捨てる。禄で仕えさせてくれと自ら膝を屈するまで、何度でも戦わせてやる」


 吉松の眼が爛々と輝く。倒すべきは国人衆ではない。武士の歴史そのものなのだ。ただ戦に勝って土地を取り上げるだけではダメなのだ。自分の思想、自分が目指す新たな国家像の前に、武士そのものを完全に屈服させなければならない。


(何度でも反乱を起こせ。何度でも戦場に出てこい。俺は何度でも捕らえ、何度でも解放してやろう)


 これが、吉松の生涯にわたる戦の、本当の始まりであった。

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