第87話 金田一城の戦い

 新田軍が二方向から攻めてきた。この事実により、九戸の連合軍は一つの迷いを持つようになった。すなわち「新田吉松はどちらにいるか」ということである。


「三無の旗印は三戸からの軍が掲げている。やはりそちらに新田はいるのではないか?」


「いや。そう見せかけて、実際には三〇〇〇の別動隊にいるのだろう」


「だが当主自らが、わざわざ数の少ない三〇〇〇の軍を率いるなどあるのか?」


 国人衆たちの意見が百出する中、別動隊の動きが伝えられる。久慈領を掌握した新田軍は、そのまま南下し、一戸家庶流の野田氏の領地へと進んだという。一戸兵部大輔ひょうぶたいふ政連まさつらの表情が歪んだ。野田源左衛門義親は、この評定には出ていないが、報告を聞けばすぐにでも引き返すかもしれない。


「新田の狙いは、後方を攪乱して我らの力を削ぎ落すことか。なんと卑劣な……」


 誰かが呟き、場が静かになる。これまでの戦とは明らかに違う。地権や利水、あるいは御家騒動などで、幾度も戦があった。話し合いで纏まらなければ、戦において決着をつける。戦とは、交渉の最終解決手段。それが奥州国人衆の暗黙の了解であった。だが新田の戦は違った。根こそぎ奪い尽くす戦である。一反の田畑まで余さず新田の領地とする。死にたくなければ禄で仕えろというのだ。戦の目的そのものが違うのである。


「新田は、我ら奥州武士ではない。文永、弘安の合戦と同じよ。異国からの侵略者。そのつもりで当たらねばならぬ。新田吉松の居場所はともかく、規模から考えても三戸からの七〇〇〇が本隊であることは間違いあるまい。放っておけば、馬淵川沿いの城は悉く落とされよう。当初の予定通り、我らは金田一城で新田七〇〇〇を迎え撃つ。そこで勝利し、後方でウロチョロしている残り三〇〇〇を叩き潰すのだ」


 九戸右京信仲が示した方針で、皆が纏まった。




「九戸軍は、馬淵川沿いに建てられている金田一城に入ったそうです。その数はおよそ五〇〇〇。金田一城の前は開けた平原が広がっています。おそらくここを、決戦の地とするつもりでしょう」


「我らは七〇〇〇。数の上では勝っている。だがこの先を考えると、ここで兵の消耗は避けたいところですな。藤六殿(※長門広益のこと)であれば、どうされますか?」


「この地形は逆さくの字になっています。敵は金田一城を背に、我らを馬淵川まで押しやるつもりでしょう。そこで、七〇〇〇をさらに二隊に分けてはどうでしょうか。馬淵川という格好の移動手段がありますから」


「奇遇ですな。某も同じことを考えていました」


 二人の名将が笑いあった。その夜、二〇〇〇の別動隊が山の民の案内を受けながら、馬淵川の支流である金田一川に沿って西へと進んだ。


「申し上げます! 新田軍は間もなく、道根山を通ります。その数、およそ五〇〇〇!」


「ご苦労であった。下がれ」


 釜沢館を出た新田軍は、山狩りをしながら緩やかな速度で南下し続け、ついに金田一城が見えるところまで来た。当初は七〇〇〇と想定していたのに、五〇〇〇しかいない。二〇〇〇の軍はどこにいったのか。九戸右京は周囲に斥候を放ったが、その行方は不明のままである。


「五〇〇〇であれば、我らと数は互角。ここで決戦を!」


「確かに…… このままでは城が包囲されてしまう。二〇〇〇の行方は気になるが、まずは目の前の敵を屠るべきであろう」


 皆の意見を聞いていた九戸右京信仲は、つい先日合流した心強い味方の意見が聞きたくなり、問い掛けた。


「柏山殿はどのように思われるか?」


 その言葉に皆が黙る。陸奥において、柏山家の武勇は知れ渡っている。兵が強いだけではなく、指揮運用に長けている。特に、当代の柏山伊勢守明吉は戦においては無敗を誇っていた。誰もが、その意見を聞きたいと思った。


「敵の大将は石川左衛門尉高信、長門藤六広益と聞く。いずれも戦巧者で知られた将だ。連中は何を考えるか。我らはこの地を守れば良いが、新田はこの先の戦のことも考えねばならぬ。となれば、できるだけ兵を失いたくないはず。劇的な勝利を求めるであろう」


「どのように我らに勝つというのだ?」


「某であれば、後方に気を付ける。二〇〇〇の軍は、恐らく別動隊として迂回している。西の野々上あたりを通って馬淵川上流に出て、そこから北上してくるつもりであろう。我らは後背を突かれ、挟み撃ちにあう。五〇〇〇の進軍速度が遅いのは、別動隊と呼吸を合わせるためだ」


「なるほど。となれば、我らはどうするか」


「どうもせぬ。挟み撃ちにあうことを覚悟しておけば、それだけで混乱が避けられる。別動隊は二〇〇〇。我が柏山軍は五〇〇。丁度よい相手であろう」


「五〇〇で、二〇〇〇を……」


 他の国人衆たちが顔を見合わせる中、柏山明吉は内心で溜息をついていた。知恵と工夫が無さすぎると思った。本来であれば、こちらが新田の策を用いても良かったのだ。三〇〇〇を城の守りにし、二〇〇〇を別動隊にして馬淵川上流に隠す。新田軍が金田一城を包囲したら流れの速い馬淵川を一気に下り、新田軍の後方に出て挟み撃ちにする。自分であればそうしただろう。だが金田一城に到着したときは、すでに城から打って出て決戦することが決まっていた。時間も足りず、どうしようもなかったのだ。


(いざとなれば、我らだけでも逃げねばならんからな。この戦は負けだ。竹束盾ちくそくだてを試すのは別の機会にするか)


「我らは葛西家からの助勢。一番槍はやはり、九戸殿でなければならぬのではないか? 後方の守りは我らに任せ、存分に活躍されよ」


 明吉の言葉で、九戸右京は決断した。




 後に「金田一城の戦い」と呼ばれるこの戦は、最初はごく平凡に始まった。鎌倉から続く伝統の「矢合わせ」が行われ、そして一斉に動き出す。鉄砲を使ってくると思っていた九戸にとっては、肩透かしであったが、槍と矢だけの戦いならば勝ち目があると、果敢に兵を動かした。


「滝本隊に伝えよ。左にいる一戸の側面を食い破れ!」


 石川左衛門尉高信も、早馬を飛ばしながら指揮を執る。新田軍は足軽に至るまで全員が常備兵であり、武器の質も兵の身体つきも違う。その差が徐々に出始める。各所で押し始めたのだ。


「へっ! ナヨッちい連中だぜ。肉食ってねぇからだよ! 手前てめぇら、やっちめぇ!」


 滝本重行は片手で槍を振り回し、敵兵を弾き飛ばした。その猛勇ぶりに味方が奮起する。足軽たちは、三人一組となって確実に敵一人を屠っていく。こうした集団戦は、日頃からの調練がなければ成り立たない。半農半兵の足軽ではできない戦い方であった。


「殿、旗色が悪うございます。ここは籠城されては……」


「おのれ。新田がここまで強いとは……」


 九戸右京信仲は唇を噛んだ。血の味が口に広がる。だがそこに新たな急報が舞い込んだ。新田軍が新たに出現し、金田一城を攻めているというのである。


「なんだと! 我らを挟み撃ちにするのではなかったのか!」


 信仲は怒りのまま、床几を蹴り飛ばした。


「はっ…… これはしてやられた。挟み撃ちかと思っていたが、まさか無人の城を攻めるとはな。なるほど。あれほど兵が強ければ、わざわざ挟み撃ちにするまでもないということか」


 柏山明吉は、自分の読みの上をいかれたことを悔しがるわけでもなく、むしろ清々しい表情を浮かべた。だが笑ってもいられない。金田一城が落ちれば、今度は自分たちが馬淵川に追い落とされるのだ。そうなる前に逃げなければならない。


「逃げ戦は初めてだな。皆の者、我らはこれより修羅となる。鬼に会えば鬼を斬り、仏に会えば仏を斬れ! 我ら一丸となって、新田二〇〇〇を突破する!」


「おぉぉっ!!」


 柏山軍五〇〇は、長門広益率いる二〇〇〇の別動隊に突撃した。





 ドンッという衝撃が伝わってきたような気がした。長門広益は自分から見て右側に視線を向ける。柏山の旗が視界に入り、思わず舌打ちした。


「あえて突撃してくるとは…… なるほど、ただの戦上手ではない。益荒男か……」


 そして指示を出す。柏山軍の目の前が割れるように開けていった。勝ちが見えている戦で、無駄な犠牲を出す必要はない。逃げたいのならば逃げればいい。いずれ戦わざるを得ない時が来るのだ。


ドドドドッ


 柏山明吉率いる五〇〇は、開けた道を一糸乱れることなく突き進んだ。やがて大将らしき者が見えてくる。自分たちの通り道にはいないため、脇目もふらずに駆ける。通り過ぎるとき、互いの視線が交差する。相手の唇が微かに動いた。


(いずれまた……)


 そんな言葉が聞こえた気がした。

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