第86話 久慈領陥落

 戦国時代の軍隊とは、その大半が「半農半兵」であった。兵の多くが、種植えから収穫までの農繁期に百姓となるそのため、その間は大規模な戦を避けるのが一般的であった。だが数多の戦を見て見ると、農繁期に大規模な戦が無かったというわけではない。たとえば戦国時代最大の戦いであった関ケ原の戦いが開かれたのは、現代の暦にすると一〇月二一日であるが、会津上杉征伐から続いていることを考えると、およそ二ヶ月半にわたって東西合わせて一〇万を超える軍が動いている。

 農繁期でも戦ができるようにするために、国人衆は常日頃から「倹約」を行い、いつしか倹約=武士の美徳と考えられるようになった。「すわ戦」となったときに動けるように、日頃から質素倹約に努めよという考えは、江戸時代まで続く。三〇〇年間の倹約精神は日本人の気質そのものに影響を与えた。現代日本人の貯蓄性向の高さは世界でも群を抜いているが、この原点は武士の倹約にあるといえるだろう。


「倹約など貧乏人がやることよ。富裕な我らはそんなこと考える必要はない。余った分が、自然と蓄えに回るのだ。その日の食事にすら汲々としている連中に、金持ちの戦い方を見せてやれ!」


 永禄元年文月(旧暦七月)千石船一〇隻が八戸湊を出港し、南へと向かった。同時に三戸城から七〇〇〇が出陣する。この報せはただちに九戸家に齎された。


「この時期に兵を挙げるとは…… 新田め。富に胡坐しおって!」


 九戸右京信仲は直ちに動員を命じた。館内がドタドタと騒がしくなる。だがその頃、馬淵川沿いにある宮野城では、嫡男である九戸左近将監さこんのしょうげん政実まさざねのもとに、弟の実親まさちかが訪れていた。年の差は六歳だが、この二人は幼い頃から大変仲が良い。


「彦九郎(※実親の幼名)、新田が動き始めた。この城は戦に巻き込まれる。お前は長興寺に戻れ」


「嫌です! 私も兄上と共に戦います!」


「初陣すら済ませていないお前など、いるだけ邪魔だ。薩天和尚のところにいれば、新田とて無下に手は出さぬ。おそらく九戸は滅びる。お前だけでも、九戸の血を残すのだ」


 涙目を浮かべる弟の頭を撫でる。幼い頃から共に野山を駆け、悪餓鬼どもと喧嘩もした。元服しても泣き虫なのは変わらんなと思った。


「若、姉帯城より使者が来ております」


「そうか。左衛門、弟を長興寺まで届けるよう、手配してくれ。それと皆を集めろ。陣触れをする」


 奥寺左衛門定正に弟を託し、政実は表の間へと向かった。




 三戸城から進む七〇〇〇の軍は、大将が石川高信、副将が長門広益となっている。細長い道を進むため、奇襲などが頻発することが予想された。そのため沈着冷静な二人が兵を束ねている。そして滝本重行が足軽大将として参加していた。言葉遣いこそ乱暴だが意外に面倒見がよく、偉ぶらないため足軽たちからも慕われていたため、この戦で抜擢されたのである。

 そして最初の戦が始まった。馬淵川を挟んだ釜沢館に七〇〇〇の大軍が襲い掛かった。


「おっしゃ! 手前ら、俺についてこい!」


 館に籠る三〇〇を遥かに超える矢が一斉に放たれ、門を破壊するための破城槌を持った足軽たちが動き始める。奇策など使わない。数の違いで一気に押し切る。一刻もしないうちに、釜沢館は新田軍の手に落ちた。


「呆気ないものですな。されどここから先は川沿いの狭い道。今日はここまでとし、先遣隊を先に出したほうが良いでしょう」


「では、そのように……」


 長門広益は嫌な顔一つせず、年下である高信の指示に従った。お互いに禄で仕えており、新田家の中では将として対等に扱われている。だが九戸を相手にする場合は、熟知している石川高信のほうを大将にしたほうが良いという吉松の判断で、大将と副将が決められた。土地を広げるために手柄を渇望する国人衆であれば、こう簡単にはいかなかったであろう。


「所領が無いため、自分の兵を集める必要もなく、御家の常備軍を指揮するだけでよい。手柄を立てて一〇〇〇石でも加増されたところで、使い途に困りますからな」


 広益はそう笑って、石川高信が大将となるのを受け入れた。新田の家臣たちはすべて禄で仕えており、その石高自体はそれほど高くない。重臣である石川高信や長門広益でさえ五〇〇〇石である。だが所領を持たず兵を用意する必要もないため、自分の身の回りを世話する幾人かを雇っている以外は、米も銭もすべて自分のものとなる。「可処分所得」を考えると、以前とは雲泥の差であった。


「殿から酒が届いています。景気づけに一杯だけ、酒を認めましょう。ここから先は新田領ではありませんからな。信愛殿には頑張ってもらわねば」


 この戦において、北信愛は兵站の責任者となっている。もともと内政に高い理解力があった信愛は、道を整備して流通を高め、最前線に継続的に物資を補充するという兵站思想に魅せられ、自ら志願してその任に当たっていた。


「殿もそろそろ、久慈につく頃でしょう。我らはせいぜい、派手に暴れて九戸の眼を惹くとしますか」


 一切、兵糧に悩むことが無い戦。二人の将のみならず、新田軍七〇〇〇皆が余裕であった。




「ここが久慈の湊か。なるほど、整備すればそれなりに使えるな」


 吉松は船上から、久慈湊を眺めていた。先に上陸した武田甚三郎信守が率いる一五〇〇が、久慈館を目指して進撃している。信守の実家である大浦家と久慈家は関係が深い。信守としてはできればここで、久慈治義を降したかった。だが予測はしていたが、久慈治義は新田本軍を迎え撃つために出陣した後であった。そのため吉松たち別動隊は、楽々と久慈領を手に入れたのである。


「殿。久慈の一族は全員を捕らえておりますが、如何いたしましょう?」


「殺すな。丁重に扱え。それと、いつも言っていることだが民に対する乱暴狼藉は絶対に許さん」


 上陸した吉松は、さっそく集落の中を歩いた。目当てのものについて、情報を集めるためである。ガチガチと震えながら跪く村人たちに、吉松は笑みを浮かべて問い掛けた。


「怯えることはない。俺の知っている物を見たことがあれば、その場所に案内してほしいだけだ。褒美として米一俵を与えるぞ。たとえ知らなくとも、咎めたりはせぬ」


「は、はい……」


「これを見たことが無いか?」


 吉松は浪岡城の蔵の中に収蔵されていた、拳大の透き通った飴色の石を見せた。村人たちは互いに顔を見合わせ、首を傾げたりしている。すると一人の子供が手を上げた。


「お、オイラ…… 見たことある! オイラの宝物。綺麗な石だなって思って、大事に隠してあるんだ」


「い、市丸ッ! なにを言ってるんだい! あんな石ころ……」


「構わぬ! 市丸というのか。それを見せてくれぬか? 取り上げたりはせぬ」


「本当に?」


 大人たちは慌てたが、吉松は笑顔で頷いた。市丸という子供は走って家に戻り、やがて小さな石を掴んできた。吉松は懐紙を取り出し、近習に渡す。載せられて運ばれてきた石をしげしげと眺める。


「間違いない…… これは琥珀だ! でかしたぞ、市丸! その場所に案内せい。褒美に米一俵…… いや、五俵を与える」


 吉松は破顔して立ち上がった。だが肝心の市丸が動かない。首を傾げると、市丸は俯きながら呟いた。


「オイラ、米よりもお侍になりたい」


「市丸ッ! お前はまだそんなことを!」


 叩こうとした母親を吉松が一喝した。


「やめよ! 子供に手を挙げるな。市丸とやら。その年で俺に条件を付けるなど、見上げたものだ。鍛えればモノになると見た。良かろう。その願い、聞き届けてやる。ついでに米五俵もくれてやるわ。さぁ、案内しろ」


「やった! こっちだよ!」


 吉松は笑いながら、市丸の後ろを歩き始めた。母親はおろおろとするが、吉松に仕える周囲の者たちは、また殿の人集めが始まったと皆が苦笑していた。




 新田が別動隊を動かし、久慈を落とした。この報せにもっとも動揺したのは、他ならぬ久慈治義本人であった。率いてきた兵たちは一晩で離散してしまった。大半が百姓なのだから離散は仕方がないとしても、一族まで捕らえられては、新田と戦うこともできない。だが治義は諦めなかった。


「たとえ一兵卒となっても構いませぬ。新田に一矢報いねば、死んでも死に切れませぬ!」


「しかし、奥方や倅殿は……」


 治義は首を振った。本領をすでに奪われている以上、自分の家族は生かされてはいないだろう。非常識な新田なら、あるいは生かしているかもしれないが、それならそれで、自分は最後まで新田に抗うのみである。本領もない。家族も捕らえられた。ならば一個の武士として、新田に戦を挑むのみ。そう腹を括っていた。


「誠に頼もしきお言葉、見上げた御覚悟である。久慈殿にあやかり、我らも最後まで抗うぞ!」


 奥州武士たちの抵抗が始まった。


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