第85話 南下作戦

 東京江戸川区にある「葛西」は、平安時代にその地名が出てくる。国郡制により、下総国葛飾郡の西半分を葛西、東半分を葛東と定められたのが、葛西の始まりである。平安時代末、桓武平氏の一派であった秩父氏が葛西地域を領し、自らを「葛西氏」と名乗るようになった。葛西氏は平氏ではあったが、清和源氏である源頼朝の蜂起に呼応したことで、鎌倉幕府から陸奥の領地(※現在の宮城県から岩手県)を与えられたのである。江戸川区葛西と、岩手県地方で現在でも多数見られる「葛西姓」には、こうした関係が存在している。


 奥州探題として大崎氏が権勢を奮っていたころは、葛西氏は大崎氏に臣下の礼を取り、参勤していた。だが幕府と鎌倉府が対立する過程において、大崎氏の権勢は著しく低下し、やがて葛西氏は大崎氏から離れ、独立した有力国人として動くようになる。これは葛西氏のみならず、伊達氏、南部氏なども同様である。奥州探題の権勢の低下が、奥州全体に国人の割拠を生み出したのである。

 葛西氏の所領は大崎氏と隣接していたこともあり、対立を深めていくことになる。葛西氏は伊達氏と手を組んで大崎氏と抗争し、気仙地方の熊谷氏や浜田氏などを傘下に加えて勢力を拡大させた。


 葛西氏の中でも大きな力を持っていたのは「柏山かしやま氏」である。柏山氏の出自は不明な点が多いが、陸奥胆沢郡(※現在の奥州市北西部)を領し、柏山氏家臣団という武闘派の家臣団を持っていた。三田氏や蜂谷氏といった有力武将が柏山氏の下に集い、葛西氏の中でも随一の権勢を持っていた。そのことを快く思わなかった葛西氏の重臣薄衣うすい内匠守うちのたくみのかみ清胤きよたねによって糾弾されるなどもあったが、その清胤でさえ糾弾状の中に「樊噲はんかいの勇あり」とその武勇を認めている。




 陸奥胆沢郡大林城城主の柏山伊勢守明吉は、葛西家から送られてきた書状を読んでいた。柏山は葛西家の家臣ではあるが、自分の領地を持つ独立した国人でもある。それに天文年間に起きた伊達家内の乱において、葛西家は稙宗派であったが柏山家は晴宗派であった。そうしたことから現在、柏山は葛西とは少し距離を置き始めていた。


「殿。大殿はどのように言われているのですか?」


「フンッ…… 九戸の後詰をせよとのことだ。新田に仕掛けたところ、まるで歯が立たなかったらしい」


 重臣である三田主計頭かずえのかみ重明に向けて、明吉は書状を放り投げた。


「……なるほど。いささか、勝手な物言いですな。伊達のことは水に流す故、後詰めせよとは」


 一読した三田重明は、呆れた表情で顔を上げた。先日、新田領に攻め込んだのは旧南部家の国人衆が中心であった。稗貫、和賀、高水寺斯波、葛西は助勢しただけに過ぎないが、それでも新田に対して戦を仕掛けたのは事実である。この数年、新田は内政を充実させ、旧南部領を完全に掌握したという。周辺国は多くの領民が新田へと逃げ出した。その数は、葛西領だけでも数千人に達するだろう。国人衆の誰もが危機感を覚え、だから新田に攻め込んだ。そして鎧袖一触にされた。


「新田との戦は仕方が無かったとしても、問題は終わらせ方ですな」


「それよ。戦とは始めるより終わらせる方が難しい。新田の戦には明確な目的がある。領地拡張だ。そのためならば平気で他家を滅ぼす。降った国人もすべて禄で仕えさせ、領地は没収している。このままでは遠からず、陸奥は新田のものになるであろうな」


「如何いたしましょう。葛西の命に従いますか?」


 大殿とは言わず、葛西と呼び捨てにする。それだけで、葛西家と柏山家の関係が伺える。柏山家は葛西家の重臣ではあるが、その関係は従属同盟に近い。それも、あまり良好な関係とはいえない従属同盟である。唯々諾々と葛西の命に従うことには、重明にも抵抗があった。


「一所懸命こそ武士もものふの本分。土地を接収する新田に従うわけにはいかん。だが後詰程度で、果たして新田を止められるか? 主計かずえはどう思う?」


「無理でしょうな。新田の強みは背後を気にする必要が無いことです。檜山を従属させているため、津軽および鹿角の守りは最少で済みます。全軍を陸奥に向けることができます。その数は万を超えるでしょう」


「……我らの二倍か。勝てると思うか?」


「従来の野戦であれば、勝てないまでも追い返すことはできるやもしれませぬ。しかし新田は種子島を多用します。あれを並べて間断なく撃たれれば、こちらは為すすべがありません。新田に勝つのは、まず無理かと……」


「種子島をなんとかする。それしかないな。いま、種子島は何丁ある?」


 今のままでは勝てない。ならば勝つために工夫する。現代人ならば当たり前の思考に見えるが、戦国時代ではそれすら考えずに「とにかく戦う」と、短絡的に戦を仕掛ける者も多くいた。史実でも、葛西家が衰退した原因は、国人衆同士が勝手に戦をして疲弊したためである。目先の戦ばかりに囚われ、その戦が全体にどのような影響を与えるのかという視点が無い。多くの大名家が、そうやって衰退したのである。


「三丁です。伝手を使ってなんとか手に入れました。射程や威力などを試していますが、種子島以上に玉薬(※火薬のこと)が高く、戦には使えませぬ」


「戦には使わぬ。種子島を理解するために買ったのだ。種子島に対しては、足軽に盾を持たせて突撃させる。木盾を試してみよ。それで防げなければ、竹を束ねて盾にしてみるのだ。どこかに必ず、突破口があるはずだ」


 柏山家が戦に強いと呼ばれた理由は、兵や将が勇猛だからというだけではない。戦を構造的にとらえ、勝つために様々な工夫をするからである。柏山のみならず、奥州の国人衆の多くが、種子島を求め、そして一、二丁は手に入れていた。新田の鉄砲隊は、もはや奥州中に知れ渡っていた。




 永禄元年(一五五八年)水無月(旧暦六月)、新田の常備軍は一万二〇〇〇に達していた。石高を考えればもっと増やすこともできるが、人口の問題からこの数で止めているのである。一万二〇〇〇のうち、鹿角郡と津軽にはそれぞれ五〇〇と一五〇〇が配備され、残り一万は陸奥に集中していた。

 この日、三戸城において新田の評定衆が集められた。予定より一年早いが、陸奥平定の戦について話し合いをするためである。


「さて。この三年、内政に力を入れたことで新田の領地は生まれ変わった。まだまだ足りぬところも多いが、そろそろ次の戦を考えても良いだろう。新田の目標は天下統一、新田の繁栄を日ノ本の隅々にまで行き渡らせる。そのためには陸奥を統一せねばならん。さぁ、戦を始めよう。越中……」


「ハッ。弥生(旧暦三月)に戦を仕掛けてきたのは、九戸、四戸、一戸、久慈の旧南部家国人衆です。ですがそこに稗貫、和賀、高水寺、葛西が助勢していたことが明らかとなっております。各家がどのような助勢をしていたかは、手元の紙を見てください」


「……兵を出したのは稗貫と和賀、葛西。武器と兵糧の支援が高水寺か。だが葛西の中に、柏山がいないのが気になる。越中殿、柏山は動かなかったのか?」


 石川高信が顔を上げて、南条広継に確認する。柏山の武勇の噂は、南部家にまで届いていた。武田守信や毛馬内秀範も、柏山の動きが気になっているのか広継に視線を向ける。


「先の戦には、柏山は加わっていません。ですが九十九衆の調べで、柏山が動きそうだということを掴んでおります。柏山は鉄砲を手に入れ、色々と試しているそうです」


「ほぉ…… さすがは戦上手で知られた柏山伊勢守ですな。九戸などはロクに調べもせずに突っ込んできたというのに」


「なにも考えずに突撃してくる猪など、鉄砲の良い的だ。怖いのは、冷静に隙を伺う狼のほうよ。柏山という男、どうやら狼のようだな。となると、我らの南下にも備えていると考えるべきだろう」


 長門広益の言葉に、皆が頷く。新田軍一万というのは、陸奥では突出した兵力ではあるが、難しいのはその運用である。ただ馬淵川沿いに南下するだけでは、細長くなり奇襲の良い的になってしまう。だが数が少なければ金田一城は落とせない。


「そこで、軍を二つに分けます。一方は三戸城から金田一城に向かう七〇〇〇、これは主力ですが本命ではありません。本命は海です」


 広継は、評定の間に広げられた地図の一点を示した。久慈城と記されていた。

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