第84話 焦り
永禄元年(西暦一五五八年)弥生(旧暦三月)、三戸城下の屋敷において、毛馬内靱負佐秀範は自分の数奇な運命を思い浮かべていた。三戸南部家の家老として主君である晴政を支え、陸奥から津軽、そして鹿角、比内まで南部家を拡大させた。だがそれが南部家の最盛期であった。日ノ本の最果ての地「宇曽利」に出現した神童とも怪物とも呼ばれた一人の男が、南部家を飲み込んだのだ。主君は死闘の末、男に南部家を託して死んだ。家老であった自分は、南部家を支えられなかったことを悔み、一年近く蟄居していた。
一年後、主君を殺した男が屋敷を訪ねてきた。僅か一年で、少し大きくなっていた。やはり男は人間なのだと思った。
《亡き右馬助殿に代わって、俺が成すことを見届けるのだ。もし俺が日ノ本にとって害となる存在だと思ったのなら、謀反を起こしても構わぬ》
説得を受け、自分は再びこの城に戻ってきた。新田家の家老として……
「それにしても、僅か三年でこれほどに変わるものなのか」
新田家はすべてを作り変える勢いで、様々な改革を断行した。まずは田畑を整備し、植え方と使用する道具を変えることで、米の生産を劇的に増やした。これまで一反で一石程度だった収穫が、三石に増えた。百姓一人で耕せる水田も、一反から三反に増えた。つまり生産が九倍になったのである。また麦や稗、大豆のほか、麻や大根、牛蒡、瓜なども栽培させ、百姓は大いに豊かになった。
一人で耕せる水田、畑が増えれば、普通は人手が余る。だが新田では街道整備や治水工事、あるいは建物の建築など様々な賦役を行っており、仕事は無数にある。余るどころかまったく足りない。特に治水が進まなければ、水田を増やすこともできない。現在、新田領では米だけで一〇〇万石を超える収穫があるが、治水が進まなければこれ以上は増やせない状況だ。
「まずはいま生きている者を豊かにする。そうなれば一揆が起きることはない。その上で、寺社勢力の力を削いでいく。糠部にはもともと大きな寺社勢力はなかったが、最上には出羽三山もある。これまでのようにはいかぬであろうな」
寺社勢力との向き合い方は難しい。寺領を持ち、まるで国人のように民を支配している。その一方で、物流や商取引にも関わっている。なにも考えずに潰せば、国の統治に大きな支障が出る。そこで新田では、段階的な寺社勢力の弱体化を図っている。まずは従来と同等の石高を毎年寄進することを条件に、寺領の統治を新田に委託するよう打診する。さらに、寺領のみならず周辺の集落の者たちに、読み書き算盤を教えるよう依頼する。これを受けると、寄進される石高が二倍になる。
当初は嫌がる寺も、やがて気づくようになる。新田に統治を任せれば、楽になるのだ。毎年の年貢の計算や領内の揉め事の解決などは、すべて新田が行うのである。本来、寺とは僧侶が仏の道を修行するために存在する。その本道に戻ることができるのだ。自衛のための僧兵を持っている寺はまだあるが、それさえも、いずれは新田に任されるようになるだろう。本来、治安を守るのは武士の役割なのだ。
(殿。新田の目指す世が本当に日ノ本のためになるのか、某にはまだ見通せませぬ。ですが少なくとも、糠部の民たちは飢えることなく、笑顔で生きておりますぞ)
書類を見ながらそう思っていると、ドタドタと駆け足の音が聞こえてきた。新田家より南部家のほうが優れていると感じる点が一つあるとすれば、それは落ち着きであろう。新田家は当主以下、皆がなにかと慌ただしいことが多い。それはそれで、賑やかでもあるのだが。
「ご、御家老~!」
「なんだ騒々しい。水でも飲んで落ち着け」
「た、大変でございます。九戸が兵を挙げました! 山の民からの至急の報せでございます!」
「ほぉ…… 一戸、四戸、久慈もか?」
「そればかりか、和賀や稗貫、葛西まで兵を挙げたと。およそ五〇〇〇の兵が集まり、馬淵川を北上しているとのことでございます!」
毛馬内靱負佐秀範は立ち上がった。もう少し、穏やかな日々を過ごしたかったと思いつつ、武士として沸々と込み上げてくる昂りを感じていた。
「それにしても、九戸右京らは何を考えているのだ? 確かに五〇〇〇という数は侮れぬが、それでも陸奥を落とすには足りぬ。我らは背後を気にする必要はない。全兵力を前線に投入できるのだぞ?」
三戸城内において、家臣たちが集まって話し合いをする。下国八郎
「連中とて平地でまともにぶつかって、新田に勝てるとは思っておるまい。ひと当てして退くつもりではあるまいか。馬淵川の狭隘では、大軍は細長くなる。そこを急襲するつもりなのだろう」
「それは解っている。問題は、なぜいま兵を挙げたのかということだ。今は弥生だ。農繁期まであと二月しかない。乾坤一擲の決戦を挑むのであれば、秋の刈り入れ以降のほうが良かろう」
「……おそらく、追い詰められたのでしょう」
北左衛門佐信愛が口を開いた。
「南からの人の流入が絶えません。この秋まで待っていては、戦う力すらなくなってしまう。そう思ったのではないでしょうか」
三人が少し沈黙した。口にはできないが、同じ武士として敵に対する憐憫の情が湧いたのである。新田家のやり方は、戦いにすら持ち込ませないというものである。圧倒的な国力を見せつけ、歩き巫女たちの広報活動、そして九十九衆の工作によって領民を根こそぎ引っ張ってくる。他の国人衆としてはたまったものではないだろう。せめて一矢報いたいと願っても、その矢を放つ力すら奪うのが、新田のやり方であった。
「いずれにしても、目時館への後詰めが必要でしょう。あの館はすでに鉄砲による防御に適した砦となっており、長期に渡って耐えられるはずです。包囲した敵の側面を突けば、簡単に崩れるでしょう」
「良し。俺が行こう。戦に馴れていない兵たちを扱くには、丁度よい相手だろうからな」
信愛の言葉を受け、師季は立ち上がった。新田は三年間、戦から遠ざかっていた。そのため常備兵の中には、戦を経験していない者が多数いる。実地で鍛える機会だと思ったのだ。
「八郎殿(※下国師季のこと)。殿が都から戻られるのは一月後です。九戸を討伐するとなれば、殿が戻られてからの話となるでしょう。追撃は程ほどに……」
追撃するなとは言わない。だが無駄な犠牲を出すほど、この戦に価値はない。師季もそのことはよく理解しているため、頷いてすぐに戦支度にとりかかった。
九戸右京信仲以下、陸奥の国人衆は焦っていた。攻めたは良いものの、目時館は堅牢で大量の鉄砲で撃ってくるため、下手に包囲することもできない。そうしているうちに三戸から下国八郎師季が出てきた。軽くひと当てして退く。そして馬淵川で急襲し、下国を捕らえるなり討ち取るなりすれば、戦勝者として、新田家と改めて交渉できる。右京信仲たちはそう考えていた。
だが実際には、下国氏季は少し追撃してきたくらいで、引き上げてしまった。これが意味するところは、新田家は決戦などさせないということである。
「おのれ新田め…… 我らを嬲るか!」
新田が決戦に出てこないのは、決戦する必要もないという理由もあるが、吉松が不在であったためだ。新田は方針として、五年は戦わないと決めていた。戦を仕掛けられれば追い払うが、こちらから新たな領土を求めて攻め込むことはしない。旧南部領の開発で手一杯の状況だからである。
「どうする? 敵は下国八郎だが、下国の軍だけならば我らより少ない。仕掛けるか?」
「新田本人でなければ意味が無いわ! 一旦、退くぞ」
結局、九戸たちは退きあげてしまった。そして数日後、都から戻った吉松は、九戸が仕掛けてきたことを聞いて呟いた。
「馬鹿かあいつら。これで九戸どころか葛西まで攻める口実ができた。少し早いが、トドメを刺してやるか」
永禄元年弥生下旬。新田は再び、拡張路線へと戻った。
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