第83話 永禄元年
新田陸奥守吉松が、三戸城および鹿角郡北部を領してから、少し時が流れた。天文年間は弘治を経て、
「ホホホホッ、三〇〇〇貫とはなんとも豪気でおじゃるな」
天文二四年(一五五五年)に従一位に昇叙した近衛
永禄元年(一五五八年)弥生、一二歳となった新田陸奥守吉松は、重臣たちを連れて上洛していた。千石船五隻に献上品を満載させ、朝倉家に護衛を頼んでの上洛である。朽木谷に逼塞している征夷大将軍、足利義輝にも多少は献上したが、朝廷に納める分の方が多い。
「この陸奥守、遥か北の地で暮らしておりますが、日ノ本の現状を憂いておりまする。せめて我が領地だけでもと、田舎者ながら知恵を働かせ、領民皆で力を合わせて豊かになろうとしております。その成果をお納めすることで、僅かながらでも主上の御心を御慰めすることができたなら、これに勝る喜びはございません」
「田舎者などと謙遜するものではない。陸奥の噂は、この都にも届いておじゃる。石高を毎年倍増させ、奥州中の人々が集まっておるとか……」
「倍増というのは、些か盛り過ぎでございまする。されど今年ようやく、一〇〇万石を超える見込みでございます。新田の旗印である三無、飢えず震えず怯えずを、ようやく領内に行きわたらせることができました」
近衛前嗣は眩しそうに目を細めて頷いた。羨ましく、そして口惜しかった。公家である自分には、乱世を終わらせる力などない。できることは、その志と力を持つ者を
「惜しいのぉ。せめて新田が、東海あたりにあってくれれば……」
小さな呟きを耳にして、吉松は苦笑した。もし新田が三河あたりにあったら、今頃は潰されている。最果ての陸奥だから、後方を気にすることなく伸び伸びと改革ができるのだ。
「確かに、新田は日ノ本の端に位置します。されどこうして、船を使って都に来るくらいはできます。これからも春と秋に、新田の果実をお届け致します」
「新田の勤皇の志、主上にも伝わっておる。どうかこれからも、
悠久の歴史を持つ大和朝廷が断絶する危機というのは幾度かあった。だが戦国時代ほど、その危機が深刻だったことはないだろう。天下統一と日本の改革には、絶対的な権力が必要だ。だがその権力には、日本の民を束ねる権威が必要不可欠だ。吉松が朝廷への奉納を欠かさないのも、その権威を利用するためであった。
現代での京都右京区にある妙心寺は、臨済宗妙心寺派の総本山であり、織田信長の師であった沢彦和尚も、この妙心寺で修業をしていた。吉松たち新田家は、この妙心寺を宿とした。当初は東福寺を考えていたのだが、塔頭など幾つかの施設が焼けており、泊められないと断られてしまった。
(安国寺恵瓊に会ってみたかったんだが、仕方がないか……)
「殿、段蔵殿がお越しになられました」
妙心寺の一室でくつろいでいると、近習の増田近松が段蔵を連れてきた。増田近松は、後の増田長盛になる。良い内政官になって欲しくて、父親の増田藤右衛門と相談し、近習とした。
「殿、御指示いただいていた件、報告に上がりました」
「うん。近松、下がっておれ。誰も入れるな」
「はい」
近松は残念そうな表情を浮かべて、部屋から出て行った。段蔵が堂々と出てきたのは、その指示が公的なものだったからだ。半年前から、九十九衆には畿内一帯の物価や埋もれた人材の調査を命じていた。その中に、特に重点的に調べるよう命じていた人物がいるので、近習を下げたのである。
「明智十兵衛光秀殿、沼田光兼殿およびその子息祐光殿、そして嶋清興殿。いずれも所在を確認いたしました」
「うん。それで銭と書状は渡したか?」
「は…… 沼田殿と嶋殿は受け取ってくれましたが、明智殿は、朝倉家に仕えているため受け取れぬと」
「だろうな。新田は朝倉とも縁がある。下手な金は受け取れまい。光秀は諦めるしかないか…… 他の二人はどうだ?」
「沼田殿は真剣に検討してくださいました。ただ、御子息の養育には陸奥は遠すぎるとのことで、今しばし、手元に置きたいと。そして嶋清興殿は、酒代ができたと喜んではいましたが、書状については一瞥して放り投げてしまいまして……」
「それでいい。女子の口説き方と同じよ。まずは縁を持つこと。こちらが興味を持っていると伝えることから始めなければ、口説き落とすことなどできん。良くやってくれた」
それから京都の状況や、堺の物価について調べた結果を聞く。簡単に言えば腐りきっていた。特に商人が酷い。座の制度に胡坐をかいて、殿様商売をしている。「売ってやる」という感覚は、吉松には理解できなかった。
「なにもかも腐っているな。世の中に価値を齎し、その対価として利益を得るのが商人だ。堺がやっていることは商いではない。詐欺だ。新田が天下を獲った暁には、堺の商人などすべて廃業させてやる」
「比叡山や法華衆についても、良い評判は聞きませぬ。仏の教えを説きながら、人々に殺しを勧めているとしか思えませぬ」
「やはり、なにもかも焼き尽くさねばならんな。腐った土からは良い稲は実らぬ。この日ノ本から、仏の教えをすべて消し去る。それくらいの覚悟で臨むしかあるまい。神や仏は、人の行いを見守っているだけだ。何をしようとも、口も手も出さぬ。日ノ本の坊主を一人残らず皆殺しにしたところで、なんの仏罰もあるまい」
「と、殿…… それは……」
段蔵の顔が引き攣る。吉松は笑った。
「勘違いするな。俺は仏の教えを否定はせぬ。それを説く者も、それを信じる者もな。だが仏の教えよりも、新田が決めた法の方が優先される。日ノ本の民は仏の教えではなく、新田の法に従うべきなのだ。法に反する教えなど、俺は決して認めん」
国の統治は、法によって為されなければならない。特定の宗教に基づいてはならない。なぜなら法治は、それを決めた為政者に責任を問えるが、宗教では責任の問いようがないからだ。為政者が好き勝手をするにはこの上なく便利だが、それでは社会が発展しない。
「知識としてはあった。だが実際にこの目で見て解った。日本は、生まれ変わらなければならん」
都の半分以上が焼け野原である。そこかしこに死体が転がり、治安は最悪の状態となっている。婦女が歩こうものなら、昼間から男たちに襲われる。少しでも食べ物を持っていようものなら、痩せた者たちが亡者のように群がる。それが現実であった。仏の教えも、公家の文化も、武士の誇りも、この現実の前には塵芥と同じである。何の価値もない。吉松は都の現状を見て、改めてそう確信した。
永禄元年の陸奥は、目時館と釜沢館の間に流れる馬淵川をもって、南北に分かれている。北側は新田領、南は九戸や四戸などの国人衆の領地となっている。丁度、現代の青森県と岩手県の県境が、そのまま南北の分岐線となっていた。
「新田が安東を従属させてから三年、目時館は張り付いたように動かぬ……」
「その一方で、領民はどんどん離れていく。北に行けば飢えずに済む。北に行けば楽に暮らせると。中には集落ごと離れたところまである。もはや待っていられぬ。こちらから仕掛けねば、我らは戦わずして滅んでしまう」
「だが新田に勝てるのか? 兵力が違い過ぎる」
「野戦では勝てぬ。まずはひと当てして、そして退くのだ。金田一城まで新田を誘い込み、馬淵川を背にしたところで包囲する」
男たちが話し合う。馬淵川は金田一城の手前でくの字に折れる。そして金田一城は、そのくの字の開いた部分に位置していた。新田軍は川を背に、金田一城を包囲しようとする。だが逆を言えば、城と川に挟まれた状態になるともいえた。
「葛西、稗貫、和賀も新田を危険視しておる。新田は我ら共通の敵、助勢は惜しまぬと確約を得た。城までの道々で、山から投石などを仕掛けて新田を疲弊させる。そしてこの沖之地で新田に決戦を仕掛ける!」
南部家が滅び、鹿角の領主が変わってから三年。その間の陸奥全体では、出羽の小競り合いを除いては時が止まったかのように平穏であった。だが実際には、葛西、大崎、さらには伊達領からも、人々が移動していた。灯りに群がる虫のように、新田吉松が生み出す繁栄に引き寄せられているのだ。領民が減少すれば、それだけ力が衰えることになる。戦える力が残っているうちに、乾坤一擲の勝負を仕掛けるのだ。
九戸右京信仲以下、陸奥の国人衆が反新田でまとまろうとしていた。
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