第六章 南進開始

第82話 武士の意地

 檜山安東家が新田家に従属したという報せは、奥州中を駆け巡った。高水寺斯波家当主の斯波経詮つねあきは、それを聞いたときに憤然として自室に籠ってしまった。一方、新田領と接する一戸、四戸、九戸、久慈などの旧南部氏一族は、安東家の従属が認められるのならば、自分たちも認められるのではと考え、浪岡城まで使者を送った。


「お初にお目にかかります。姉帯あねたい城城主、姉帯三郎兼信かねのぶでございます」


「新田陸奥守吉松である。馬淵川の要害にて九戸を守護せし姉帯の城。堅牢な砦としての噂は聞いている。その城主でもあり九戸家の重臣でもある姉帯三郎殿自らが来られるとはな。して、今日は何用かな?」


 姉帯氏は、現当主の九戸右京信仲の祖父である九戸筑前守連康つらやすの子が、姉帯村を与えられたことから始まった。姉帯三郎兼信は、右京信仲の従弟にあたる。

 吉松の横には、石川城城代の石川高信が控えていた。他の重臣たちは忙しく駆け回っているため、高信しかいない。兼信は高信に軽く一礼した。高信もそれに応じるが、その表情は冷たい。


「九戸家は、新田への従属を願っております。本領を御安堵いただけるならば、九戸は奮迅の活躍を致しまする。どうか、従属をお許しくだされ」


「許さぬ」


 齢九歳の童に対して慇懃に頭を下げる兼信に対し、吉松はアッサリとそう言い切った。家の大事を何事でもないかのように言われ、兼信は言葉を理解するのに数瞬を要した。九戸家側とて、タダでは認められないとは思っていた。本領を認められるのならば、利水や関所の権利などは新田に差し出しても良い。それくらいの譲歩は覚悟していた。だが吉松の反応は完全な拒絶であった。一遍の交渉の余地もないと感じて、兼信は焦った。


「な、なぜでございましょう? 安東家はお認めになられたはず……」


「やはりお前もそうか。実は四戸や一戸も同様に思ったらしく、従属したいと言ってきた。無論、認めんがな。すでに連中にも伝えたのだが一応、理由を言っておこう」


 吉松は呆れたように、胡坐している膝に右ひじを当てて頬杖した。


「一つ。お前らは三戸南部家に従属していたはずだ。だが南部晴政の死後、その南部家をアッサリと捨てた。臣下ではなかったのだから忠心などはなかっただろう。だが義理はあったはずだ。せめて晴政死後に開かれた、三戸城の評定には出るべきであったな。俺は義理を欠く人間を信用せん」


 石川高信も大きく頷いた。三戸南部家と九戸家は累代にわたって、持ちつ持たれつの関係であった。それなのに晴政の死を悼む意味もあった、三戸評定に来なかった。津軽で新田と戦い、対峙していた大光寺や大浦は仕方がなかったとしても、九戸は来ることができたはずなのだ。

 吉松の痛烈な指摘に、兼信は返す言葉が無かった。だが吉松の説明は続く。


「二つ。安東愛季は使者を通してではなく、自らの口で俺に従属を申し出てきた。本人は死を覚悟していたはずだ。そして俺は受け入れた。受け入れたほうが新田に利になる。安東愛季には、俺にそう思わせるほどの器量があった。だが九戸はどうだ? 従属ならば、もっと早くに申し出ることもできたはずだ。だがお前たちは、安東が従属し、西側を脅かされることに危機感を覚え、慌てて浪岡までやってきた。遅すぎるわ。だが最後の理由が一番大きい」


 吉松は頬杖を外して、ズィと身を乗り出した。野獣のような獰猛な笑みを浮かべる。兼信は背筋が震えた。頭では理解していた。だが本当の意味では理解できていなかった。目の前の童は、宇曽利の怪物なのだと。


「俺は陸奥を統一したいんだ。陸奥のすべてを俺の土地にしたい。土地を持つ国人など邪魔なのだ。だから本領安堵の従属など認めん。お前たちが生き延びる道はただ一つ。死にたくなければ、所領のすべてを俺に差し出せ」


 兼信は唾を飲み込んだ。だがここで怯むほど甘い生き方はしていない。国人として、武士としての誇りがある。自分の土地を奪おうとする者に対しては、命がけで戦う。それが武士の本分「一所懸命」なのだ。


「……ならば、戦しかありませぬな」


「理解できたようで結構だ。存分に武士の本分を果たされよ」


 こうして陸奥は、北と南で完全に分断された。




「おのれ…… 新田めぇ」


 吉松の一方的な拒絶と、武士を全否定するかのような無条件降伏の通告に、九戸右京信仲をはじめ、陸奥に残された旧南部家の国人衆たちは激怒した。彼らは新田と戦った経験はない。だが噂は届いている。新田軍は凄まじい速さで動き、種子島という矢よりも遠くまで届く武器を使うという。だから新田の侵攻に備え、馬淵川沿いの各館、砦の要塞化を図った。

 だが新田は一向に攻めてこない。三戸城では連日、調練が繰り返されているというが、それ以外は内政に力を入れているらしく、まるで先日の緊張が無かったかのようだ。


 やがて夏が過ぎ、秋になる。新田に刈田を仕掛けるかという話も出たが、それをすれば新田の大攻勢を誘発しかねない。結局、何もできずに秋も深まっていく。そして新田吉松の狙いが徐々に明らかになっていく。


「鹿角への道が封鎖されているだと?」


 久慈治義が大声を出す。


「はい。八幡平の安東が関所を封鎖しております。新田と安東が認めた証書を持つ一部の商人のみが、通れるそうです」


「鹿角からは砂鉄や材木を得ておる。それが来ないということか!」


 新田が仕掛けたのは、経済封鎖である。戦国時代の各地は、現代社会と比べると地域ごとの閉鎖経済ではあったが、それでも商取引は行われている。海が無い鹿角郡においては、三陸の海で採れる久慈の塩は重要であった。平地の少ない久慈郡は、塩を売って利を得ていた。だが鹿角と九戸との道が閉ざされたとなると、久慈家の収益は半減する。


「新田め。卑怯な……」


 もっとも、戦国時代では荷留めなどは普通に行われているため、卑怯には当たらない。吉松がこの言葉を聞けば「敵を儲けさせてどうする」と鼻で嗤ったであろう。


「殿、如何されましょう。このままでは、冬を越すのも苦労致しまする……」


 馬淵川から大きく外れ、三陸の海に面した久慈郡は、冬になれば孤立する。北に行けば八戸に出ることもできるが、その道は新田によって封鎖されている。荷留め一つで、久慈は孤立してしまったのだ。

 だが、捨てる神あれば拾う神ありである。数日後、久慈の湊に大きな船が到着した。新田の家紋が旗に描かれている。たった一隻であるため、戦に来たわけではない。


「新田が、何の用だ?」


 治義は訝しみながら湊へと足を運んだ。そして船から降りてきた者を見て瞠目した。


「大浦……いや、武田殿……」


 それは、久慈家の縁戚である大浦為則の実弟、武田守信本人であった。




「お久しゅうござるな。守信殿。それで、新田に仕える貴殿が、敵である久慈に何用かな?」


「治義殿は無駄な言葉がお嫌いでしたな。ですから率直に申し伝えます。新田に臣従なされよ」


 治義は口角を上げた。守信の姿を見た時から、そんな話であろうことは予想していた。そして答えは既に決まっている。


「断る。久慈太郎がこの地を得てから三〇〇年、我ら久慈家はこの地を守り続けてきた。たとえ飢え死にしようとも、土地を渡すなど出来ぬ!」


「治義殿。なんのための一所懸命ですか。貴殿一人の満足のために、久慈に生きる民たちまで巻き込むおつもりか。新田が土地を治めれば、民は豊かに暮らせる。この言葉に嘘偽りはありません。某はこの目で、新田の統治を見ているのです。臣従を願い出れば、治義殿も久慈の民も、決して悪いようにはされませぬ。某が保障致いたします」


「そうではないのだ。守信殿……」


 守信の説得に、治義は首を振った。その瞳には哀しさが浮かんでいた。


「とどのつまり儂は新田が、新田吉松が嫌いなのだ。あの者は武士を否定しておる。鎧も太刀もなく、野盗を追い払うことにすら苦心していた我らの祖が築き上げた武士の地位。五〇〇年に渡って続いた、我らの生き様を新田は嘲笑っておる。それが許せぬ。どうしても許せぬ!」


「治義殿……」


「解っておるのだ。形あるものはいずれ変わる。武士の姿も形を変える。一所懸命とて永遠ではない。頭では解っているのだ。だが心が、魂がそれを受け付けぬ! 儂は戦う。古き悪習にしがみつく守旧と呼ばれようとも、儂は久慈の土地を守る。儂が、儂であるために!」


 守信とて一年前までは、治義と同じだったのだ。だからその気持ちは痛いほどに解る。新田吉松が成そうとしている世は、武士そのものを無くしてしまうかもしれない。そうした可能性が怖くないといえば嘘になる。新田に仕える家臣たち皆が、内心で抱いている恐怖だろう。


「恐らく、馬之助殿(※南部晴政のこと)も同じような気持ちだったのではあるまいか? だから最後は、自ら戦おうとした。新田吉松に抗った。そして死後を新田に託したのだ。子や孫たちが、笑って暮らせる世を作ってくれとな」


 武士としてのどうしようもない拘り。その哀しみを口にしながら、久慈治義は涙を流した。そして武田守信も泣いた。同じ武士として生まれ、生きてきた二人の男の交わりと別れであった。


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