第81話 幕間

 天文二四年も水無月に入ると、蝦夷地でも夏を迎える。木は青々と茂り、山や海からは様々な実りが得られるようになる。


「今年は少し暑くなりそうだのぉ……」


 徳山館において、蠣崎若狭守季広は入道雲を見上げながら顎を撫でた。新田はいま、領地の充実を図っている。旧南部領ほどに広くなった領地の治安を回復させ、物産を振興する。五年を掛けるという予定だが、本来であれば人の一生分は必要なはずだ。新田吉松という神童、あるいは怪物がいるからこそできる飛躍であろう。


「と、殿ぉぉぉっ!」


 ドタドタと駆け込んできた。自分はもう殿ではない。新田に禄で仕える一家臣に過ぎない。だが自分の下で働きたいと言ってくれる者たちが何人かいた。走り込んできた者も、その一人である。


「なんだ騒々しい。火事でも起きたか?」


「こ、こ、昆布が……」


「ん? 昆布がどうした?」


「昆布が、出来ておりまする!」


 最初は何を言っているのか、理解できなかった。そして二年ほど前に、新田から教えられて半信半疑でやった仕掛けを思い出した。昆布が採れる海に筏を組んで縄を垂らすという方法だ。昆布が採れるようになるというからやってみたが、それ以来忘れていた。


「ご、御命令通り二年後に引き上げてみたところ、本当に昆布が出来上がっておりまする!」


「すぐに行く!」


 蠣崎季広は、先ほど自分が注意したことを忘れ、ドタドタと駆け出した。




 現在主流となっている昆布の養殖方法は「種苗養殖」というものである。これは種昆布から胞子を取り出し、縄に付着させて培養し、発芽させたところで縄を海に沈めるという方法である。この方法は確実に昆布を養殖することが出来るが、厳密な水温管理が必要なため、戦国時代では難しい。

 そこで吉松は、江戸時代末期に生まれた「自然着床法」を導入した。これは要するに、海に縄を張って、昆布の胞子が自然に着くのを待つという方法である。昆布は海底に着床して横に広がるように成長するため、縄についた昆布は下に垂れながら大きく成長していく。種苗養殖と比べると生産性は劣るが、それでも海底に素潜りして昆布を根から切って取るという方法に比べれば、遥かに生産性は高い。


「ウヒヒッ 蠣崎様、今年は昆布が大豊作のようでございますねぇ」


 金崎屋善衛門は揉み手をしつつ挨拶した。最初は怪しい商人だと訝しんでいた季広も、今では一定の信頼を置いている。田名部が冷害を受けた時でさえ、値を釣り上げたりはしなかったからだ。偽悪的ではあるが、商人としては極めて真っ当な男である。


「大きさも厚みも良く、これならば天子様も喜んでくださるでしょう」


「待て。天子様? 主上のことか?」


「へぇ。なんでも陸奥守様が、季節の挨拶と共に、蠣崎家が昆布の量産に成功したという報せを朝廷に届けるのだとか。その際の土産として、この昆布を御納品なさるのでしょう」


「しかし、このやり方は殿から……」


 だが善衛門は片目を瞑って首を振った。ニヤリと笑っている。要するにこれは褒美でもあるのだ。蠣崎家が昆布量産を成した。朝廷にそう報告すれば、蠣崎家に新たな官位も与えられるかもしれない。そして歴史にも蠣崎家の名が刻まれる。天文二三年、蝦夷蠣崎家が日ノ本開闢以来はじめて、昆布の量産に成功した。朝廷の記録にもそう書かれることになるだろう。


「きっと陸奥守様は言われるでしょう。俺は口を出しただけだ。それを信じ、実際に手を動かした者こそが報われるべきだと。そのほうが、あのお方らしいと思いませぬか?」


「確かに…… 殿らしいな」


 二人は顔を見合わせて笑った。




 鹿角郡と三戸を結ぶ新たな道は「三戸鹿角街道」と名付けられた。峠を越え、川を渡る道であるため、整備には相応の時間が掛かる。予定している道幅は四間(約七メートル)、荷車二台がすれ違うことができるほどの幅である。峠は真っ直ぐ超えるのではなく、くの字を描くように斜めに登るようにすることで、荷車を曳く馬匹の負担を減らすようにする。途中には幾つか宿場を設け、山の民にその運営を依頼する。彼らは付近の間伐も担うため、土砂崩れなども防げるだろう。


「せいっ! せいっ!」


 鹿角郡で好き勝手していた野盗崩れたちを人夫に使い、道を整備する。奴隷としては扱わない。しっかりした食事を与えるし、こまめな休息や三日に一日の休みには一杯だけの酒も出す。また希望する者は文字や算術も学べる。


ドンッ ドンッ


 二人一組が地固めを使って、砂利を道に固めていく。この「砕石舗装」というやり方で新田領の主要道は整備されている。こうした賦役は、普通は税として行われるが、新田領では仕事として扶持が得られるため、他から流れてきた者などが就くことが多い。やがて新田の暮らしに馴れ、常備兵となったり、あるいは開拓民として新しい集落に入ったりする。


「班長! ちょっと、アレを見てくだせぇ!」


 それは、鹿角郡大湯から東へ進んだ、犬吠乃森と呼ばれる場所でのことであった。犬吠乃森は周囲を急峻な山で囲まれており、良くもまあこんな場所を通ったものだと皆が思っていた場所である。


「あれは…… なんだ?」


 山の麓で剥き出しになっている地肌の色が変わっていた。急いで上に報告に行く。何か見つけたら、その班には褒美が与えられる。たとえ間違っていても罰は受けないため、山菜の群生地だの鹿の群れだの、仕事をしながら役に立ちそうなものを探していた。


「これは…… 銅鉱石だ! でかしたぞ!」


 犬吠乃森からさらに陸奥方面に入った狼倉いぬくら山で発見されたのは、銅鉱山であった。後に「御狼倉鉱山」と呼ばれるようになるが、発見当初から埋蔵量が期待されていた。


「殿様も大喜びをされていた。次の休みは二日間とし、好きなだけ酒を飲めとの有難いお言葉を頂いた! これも、お前たちが真面目に仕事をしていたからだ。でかしたぞ!」


 山師が入り、本格的な調査が始まる。埋蔵量次第だが、この地に鉱山の街が出来るかもしれない。だが道はまだまだ続く。東へ、さらに東へと……




「達者で暮らせよ」


「はい。本当にお世話になりました」


 門脇金助政吉は、妻の松や自分に付き従ってきた者たちと共に、十三湊にいた。浅利家が滅びてから一年半以上が過ぎた。その間、政吉は幾つかの城を描いた。また浪岡で生きる民の姿や、風光明媚な宇曽利湖の景色を描くなど、自分が理想としていた暮らしを実現した。だが芸術家とは貪欲である。もっと上手くなりたい。自分の絵と才を試したいという思いから、新田を離れ京の都へと上る決意をしたのだ。

 そして屋敷を引き払って十三湊に向かうと、なんと新田家当主自身が見送りに来てくれた。怪物だの鬼だのと悪く言われてもいるが、政吉にとっては仏であった。一生涯、足を向けて寝られない恩人である。


「京では何かと物入りになるだろう。銭一〇〇貫を与える。持っていけ」


「殿、いけません。新田家はいま、幾らでも銭が必要なはずです」


 政吉は受け取れないと拒絶したが、吉松は首を振った。


「これは投資だ。京での目的を達成したと思ったら、また新田に戻ってこい。お前には大大名新田家のお抱え絵師になってもらうからな。特に人物像を描いて欲しい。俺だけではなく、長門や南条、石川などなど…… 城は朽ちるかもしれない。だがお前の絵は、数百年後も芸術として残るだろう」


「殿…… ありがとうございます。でしたら、私からもこれを……」


 一本の巻物を差し出す。吉松はその場で広げてみた。その絵に、周囲は唖然とし、そして緊張した。それは、吉松が時折見せる「悪人顔」を写実的に描いたものだ。こんな絵を描かれれば、普通の者なら怒り出す。だが吉松は「実に良く描けている。自分の私室に飾ろう」と大笑いした。自然と、政吉も笑った。


「では……」


 敦賀を目指して、一〇〇〇石船が出港する。吉松は目を細めて、それを見送った。この戦国乱世に武士として、しかも大名の子息として生まれながら、一介の芸術家として生きる。自分とはまったく違う生き方であった。門脇政吉はどこまでも好きなことを追求し、それを極めようとしている。この戦国乱世を自由に奔放に生きている。その姿が少しだけ、羨ましかった。

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