第79話 北斗七星

 大湯川と米代川が交わる場所の河原に幕が張られた。そこが交渉の場所である。両軍ともそこから二町(約二二〇メートル)の距離を取り、五名までが幕に入ることが許された。新田からは新田吉松、南条広継、石川高信、北信愛、蠣崎政広が参加する。安東家からは、安東愛季、安東氏季、大高光忠、豊島玄蕃頭、豊島重村が参加した。決裂となれば、両軍がこの地でぶつかることになる。そして状況は、圧倒的に安東に不利である。鉄砲を多用する新田軍にとって理想的な立地となっている。兵糧に限りがある安東軍は、川を越えてでも攻めるしかない。新田は川の向こう側で鉄砲を撃ち続ければよいのだ。


 安東愛季の中には、背に腹は代えられないという決意があった。いざとなれば、ここで新田吉松を殺すしかない。そのために、武辺者である豊島重村の参加を許したのである。無論、これは新田にとっても想定済みのことである。南条広継と石川高信が、吉松を守るように左右に並んだ。


バサッ


 幕舎の中に合計一〇名が入り、向かい合う。どう見ても童にしか見えない者が一人いたが、そこに五名の視線が集中した。大高光忠はゴクリと唾を飲んだ。


(これが宇曽利の怪物。南部右馬助晴政を倒し、僅かな間に糠部と津軽を攻め取った化物か。見た目は童だが……)


(なるほど。これは本物の化物じゃな。童のくせになんという瞳をしておる)


 豊島玄蕃頭も、吉松の不敵な笑みと瞳の奥に燃え盛る野望を警戒した。だが吉松は、童らしくニカッと笑った。


「良くぞお越しになられました。某が、新田陸奥守吉松です」


「安東太郎愛季です。お初にお目にかかります。神童と呼ばれる新田殿にお会いでき、嬉しく思います」


 両大将が名乗って、向かい合う形で床几に座る。座っているのは一名ずつのみ。それぞれの家臣は、主君の後ろに並んだ。最初は世間話からである。能代の発展や田名部での物産など、互いに相手を褒める形で始まった。やがて話は鹿角へと近づく。


「それにしても驚きました。まさか三戸から西進して峠を越えて来られるとは……」


「それを言うならこちらも同じ。安東軍は想像以上に速い。当家も見習いたいところですな。さて……そろそろ本題に入りましょう。状況はお解りのはず」


「然り。このままでは我が軍は飢えに苦しむことになります。そこで、碁石館をお譲りいただきたい。そちらとしても、無駄な戦は望んではおられますまい」


「確かに。新田としても安東との戦は望んではいません。ですが、まさかタダで譲れとは言われますまい?」


 肚の探り合いは終わり、現状打開のための交渉が始まる。吉松の中には、幾つかの筋書きシナリオがあったが、史実で「北天の斗星」と称された安東愛季がどんな条件を出してくるのか、純粋に興味があった。数瞬の沈黙後、愛季は条件を提示した。


「檜山安東家は、新田家に従属します」


 吉松の眉毛がピクリと動いた。




「と、殿ッ!」


「黙れ。いまは新田殿と話し合いをしているところである。控えよ」


 大高筑前守が慌てて止めようとしたが、愛季が一喝して控えさせた。吉松の表情から童らしさが消えていく。同盟という筋書きは考えていた。だが従属というのは、その予想を超えていた。


「はてさて…… 従属とは何をお考えか? 新田は国人の土地所有を認めておらぬが?」


「臣従ではなく従属です。いわば、旧三戸南部家における九戸家のような立場です。戦となれば、我らは奮迅の活躍をいたしましょう。大いに使っていただいて構いません。ただし大湯川以南の鹿角郡、比内、出羽の領地は認めていただきます。また我らも家を大きくするため、戦をすることもあるでしょう。それも認めていただきたい」


(そうきたか、安東愛季!)


「なるほど。確認しますが、安東家が従属することで、新田が得る利はなんでしょう?」


「新田殿は鹿角の北を得られた。さらに北には小坂があり、その先は津軽へと続いています。ですがその道は現在、当家が押さえており通過できない状況です。従属する以上、そのようなことはしません。自由にお通りください。また、従属している安東が鹿角にいるとなれば、九戸や一戸、葛西、大崎、高水寺などは容易には動けぬはず。八幡平から安東が来るかもしれないとなれば、その備えをする必要があるからです。新田殿は容易に、陸奥全土を統一することができるでしょう」


 その話を聞いていた新田の重臣たち、高信、広継、信愛、政広はそれぞれに推考した。


(確かに、悪い話ではない。安東の従属は新田に敵対する国人衆に、決定的な衝撃を与える。九戸など、戦わずに降ってくるかもしれん)


(そもそもここで安東軍を攻め滅ぼしたところで比内、出羽まで進む余力は新田にはない。混乱する出羽に、戸沢や小野寺、さらには最上まで出て来るやもしれん。いま、安東太郎愛季を殺すわけにはいかん)


(安東家が従属すれば津軽への道のみならず、八戸、三戸、鹿角、比内、能代まで奥州を横断する東西の交易路が完成する。その利は計り知れん)


(す、すごい。私とそれほど年も変わらないのに、殿を相手にこんな交渉をするなんて……)


 四人が一瞬、視線を合わせ、目の前に座る主君に顔を向けた。四人全員が思った。この話は受けるべきだと。そして吉松が返答した。


「断る」


((((えぇぇっ!)))


 後ろに控える四人のみならず、安東家の家臣たちも驚いた。吉松以外の誰もが、必ず受けると思っていたのだ。吉松の拒絶に、安東愛季の額には微かに汗が浮かんだ。


「なるほど。確かに安東家が従属すれば、新田にとって大きな利となる。だがこの土壇場において、その若さでそれを着想する安東太郎愛季殿。貴殿は間違いなく非凡だ。安東家はいずれ、三戸南部家の全盛期さえも超えるだろう。天下統一を目指す新田にとって、大きな障害となりかねん。そう考えると、この場で貴殿を殺しておく方が利は大きい。俺はそう算盤を弾いた」


 吉松の口調が変わっている。その表情には童らしさは一遍もない。野望に燃え、必要ならばどんなエゲツナイ悪行すら平然と為す怪物がそこにいた。

 豊島重村の表情が変わる。背中から微かに殺気が漏れる。それを敏感に感じ取った高信と広継も、いつでも動けるよう、重心を移動させた。だがそこに、吉松の言葉が続く。自覚があったのか、自分の頬を揉んで表情を改めた。


「だが、本当にわずかな差だ。そこで、安東が従属したという確かな証しを付けて欲しい」


「証し? 誓紙のようなものでしょうか?」


「いや、あんな紙切れなど何の保証にもならん。南部家との不戦の盟が良い例であろう? そこでだ。砦を一個、オマケでつけてくれないか?」


「館? それはつまり、砦を一つ明け渡せということでしょうか?」


「そう。以前、高信から話を聞いたことがある。浅利を攻めたときに気になった場所があるとな。たしか…… 白沢といったかな?」


 安東愛季は白沢館を思い描き、吉松の狙いを見抜いた。白沢館自体に価値はない。価値があるのは白沢の場所である。津軽から狭隘な道を南下した出口に白沢はある。あの場に堅固な砦を築かれたら、出羽から津軽に攻め込むのは困難を極めるだろう。

 吉松の交渉を聞いていた石川高信は、奥歯を噛みしめて笑みを殺していた。


(クックックッ…… なんたる強欲。本来であれば従属同盟で充分なのに、さらに欲張って館を一つ強請る。しかも強請った場所が半端ではない。まさに神童、宇曽利の怪物。我が殿のなんという頼もしさか!)


「白沢の砦は古く、寂れております。鹿角あたりの館では……」


「それでもいいが、鹿角の館となると一〇以上は必要になるぞ? 安東殿……」


 吉松の表情が再び変わる。獰猛な笑みを浮かべる悪人の貌であった。


「この宇曽利の怪物を相手に、簡単に値切れると思われるなよ?」


 そして両手で自分の頬をパンッ!と叩いた。元の童の顔になる。


「さて、話し合いは十分だろう。新田に従属し、その証として白沢を渡すか。それともこの鹿角で一人残らず皆殺しにされるか。二つに一つだ。如何に?」


 シンッと沈黙が流れる。数瞬、瞑目した安東愛季は、ふぅと息を吐いた。


「残念ですが…… 値切れる気が全くしません。白沢をお渡ししましょう」


「よし。交渉成立だな」


 両雄が笑みを浮かべた。




 鹿角郡は南北に分割し北を新田が、南を安東が治めることで決着がついた。鹿角の措置に対しての不満はない。南半分とはいえ、七割近くを領したのだ。大成功ではなくとも、おおむね満足できる結果ではある。新田に従属したことも、家中に説明すれば理解を得られる自信があった。新田は武士の土地所有を認めていない。期限のある同盟ではいずれ、新田に攻められるだろう。だが従属していれば、少なくとも所領は安堵される。出羽、比内、鹿角を得たことで、安東の力は大きくなった。今であれば、由利郡を攻めることも容易であろう。


「殿、本当に宜しいのですか? 新田の下風に立つことになりますが……」


「問題ない。出羽を統一し、安東家を栄えさせる。それが俺の望みだ。本領が安堵されるならば、幾らでも頭を下げるさ。それにしても……」


 大高筑前の懸念をよそに、愛季は吉松の言葉を思い出していた。宇曽利の怪物は、自分の想像とは少し違った。ただの早熟な内政家ではない。その内に巨大な野獣を飼っていた。自分の中にはそんな野獣はいない。齢九歳の童に、自分の器の限界を思い知らされた気がした。


「天下統一か…… 途方もない夢だな」


 夕暮れの空を見上げて、安東太郎愛季は呟いた。薄暗くなる空に、北斗七星が輝いていた。

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