第78話 袋の鼠

 米代川の流れに沿って東進し、比内地方から鹿角郡に入る。米代川はここで南に向きを変え、支流の大湯川が東から北へと流れている。この分岐点に立つ館が、碁石館である。鹿角郡は山々に囲まれた開けた土地であり、材木と鉱物資源に富んでいる。この地を押さえれば、資源の利は無論、陸奥地方にも睨みが効くようになる。安東家にとって、新田と対峙するうえでも是が非でも欲しい土地であった。


天文二四年卯月中旬、檜山安東軍二〇〇〇は、無人の碁石館を通過し、鹿角郡へと入った。旧南部家の者たちは大半が撤退しており、山賊崩れの者たちが館を勝手に占領したりなどしている。この地を安定させるためにも、すべての館を占拠しなければならない。


「大湯川より南側の館から落としていくぞ。新田は九戸を通って八幡平から来る。それまでに鹿角南端の小豆沢まで落とすのだ!」


 鹿角郡は南北に細長い地帯である。安東軍はまず南側の占領に取り掛かった。丸館、一ツ森館などの大きな館には、野盗崩れが立て籠もっていた。豊島としま玄蕃頭率いる湊軍五〇〇が丸館に攻め掛かる。今年で二〇歳になる豊島家嫡男、豊島次郎重村は獰猛な笑みを浮かべながら槍を振るった。


「ヘッ! 手ごたえねぇな。ま、楽だからいいけどよ。金目のモノを探せ。女もだ!」


 どちらが野盗なのかわからないような発言だが戦国時代の戦では、こうした乱取りは当たり前に行われていた。湊軍のみならず、安東軍においても、略奪などは普通に行っている。無論、それに対して良い感情を抱いていない者も中にはいた。


「筑前よ。百歩譲って野盗たちは仕方がないとしても、民に対しては無体な真似をするでないぞ」


「解っておりまする。ただ、兵たちも飢えておりますれば、中々……」


 大高筑前守光忠も、目の前の光景には顔を顰めている。比内地方から鹿角までの補給路は細長く、兵糧を保たせるためにも、こうした乱取りはどうしても必要であった。野盗と住民の区別などつくはずもなく、結局は手当たり次第となってしまう。ある程度のところで妥協するしかないのだ。


「殿、別動隊が高市館を落としたとのことです。このあたり一帯は押さえました。一度、軍をまとめて野営し、明日から南に進みましょう」


「よし。筑前に任せる。それと念のために、北への見張りを置いておけ。大湯川の北にもそれなりに館、砦があるからな。野盗如きに後ろを突かれてはたまらん」


 日が暮れ、赤くなった空を見上げて、愛季はふと考えた。


「……新田吉松は、いま何をしているだろうか?」




「クシュンッ!」


 吉松はくしゃみをして鼻を揉んだ。山の民に案内を受けながら、三戸城から西へと進んだ新田軍は、すでに大柴峠まで来ていた。ほとんど獣道のような狭い道を進んできたが、事前に柴刈りなどをしていたため、時間は掛かったがそこまで辛い道筋ではない。


「この道はいずれ拡張し、宿場なども設けるべきですな。八戸、三戸、鹿角、比内を最短で結ぶことが出来ます。奥州を東西で繋ぐ道は貴重です」


 道が街道となったときの利点を想像し、北信愛は興奮していた。鹿角の良質な材木や鉱物が最短で三戸まで送られてくる。大きな利益が生まれるだろう。


「それだけに、守りも必要だな。この道は大湯館の裏手に出るそうだが、そこにしっかりとした砦を築いておくべきだろう。俺は無意味な築城は嫌いだが、防御施設は重視しているからな」


 道と道が交差する場所、狭隘きょうあいの道から出る場所など、地理的な重要地点というものは存在する。鹿角攻めが終わったら、旧南部領の調査に乗り出し、そうした場所には砦を建設していくつもりでいた。食事をしながらそんな話をしていると、石川高信がふと思い出し、発言した。


「そういえば、津軽から比内への道も、狭隘でございましたな。下内川の東西は山に挟まれ、そして開けた場所に出ました。たしか、白沢というところです。小さな館こそありましたが、大して開発もされていない荒れ地でした。もし浅利が、あの地に堅固な砦が築いていたら、少なくとも津軽からはそれ以上、攻められなかったでしょう」


「ほう、そういう場所があるのか。勿体ないな。さて、明日はいよいよ、峠越えだ。鹿角の様子を報せに、物見も戻ってくるだろう。今宵はよく休めよ」


 やがて物見が戻ってくる。鹿角の様子を確認すると、すでに安東軍が入り、南へと侵攻しているという。長門広益ら重臣は、険しい表情を浮かべた。


「殿、思いのほか安東が速いようです。まさかすでに鹿角に入っていたとは……」


「しかも丸館や一ツ森館など、鹿角でも重要な場所を押さえています。このままでは鹿角の過半を獲られてしまいます」


「……安東軍は南に進んでいるのだな?」


 吉松の確認に、物見は頷いた。そして少し沈黙が流れる。吉松が考え事をしているからだ。吉松は沈思を邪魔されるのを嫌う。そのことを知っているため、周囲も黙って見守る。やがて一つの方向性が見えたのか、口を開いた。


「ならば、我らは北を獲る。大湯川以南を安東、以北を新田とする。その上で安東と交渉の場を持つ。そのためにも、出口を塞ぐ。鹿角に入ったら、我らは一気に西進し、碁石館を押さえるのだ」


 安東軍は全軍が南に入っている。比内地方の出入り口である碁石館を押さえて堅陣を組めば、安東軍は袋の鼠となる。その上で交渉の場を持つ。常に、相手よりも優位な状況で交渉する。これこそ戦いビジネスの基本である。


「さすがは殿、御見事でございます」


 宇曽利の怪物の頼もしさに、家臣たちは皆、笑みを浮かべた。




 翌朝、安東軍は鹿角郡南の黒土館、花輪館へと攻め掛かった。この二つを獲れば、小豆沢まですぐである。湊軍の活躍もあり、昼過ぎには館を落とし、そしてさらに南へと軍を進めようとした時であった。


「注進! 注進!」


 北に置いていた物見が駆け込んできた。さては北から、野盗あたりが攻めてきたかと皆が思った。だが危機感はない。野盗などせいぜい一〇〇名程度である。一軍を差し向ければすぐに追い払える。だが物見の報せは、安東軍を激震させた。


「大湯館方面から軍勢が出現、その数およそ二〇〇〇。凄まじい速さで柏崎館を飲み込み、さらに西に進んでおりまする!」


「に、二〇〇〇だと! どこの軍だ!」


「それが、三無の旗印がありました。新田軍かと思われます!」


「ば、馬鹿なッ! なぜ新田が大湯から出てくるのだ!」


「西に進んでいるだと? 一体、なにを狙って……」


「あり得ん。新田のはずがない。何かの間違いであろう。御屋形様、今一度、確認すべきかと」


 皆が騒然とする。大高筑前は物見の報せを信じず、もう一度確認すべきだとまで主張する。だが安東太郎愛季は、呆然とした表情で呟いた。


「……まさか、越えてきたのか?」


「殿? 大丈夫でございますか!」


 だが愛季には、その声は届かなかった。吉松が成したことを想像すると、笑みすら浮かんできた。そして鳥肌が立つ。自分がどれだけの化物を相手にしているのか、改めて思い知った。


「……おそらく新田軍は、三戸を出てそのまま西に進んだのだろう。川を越え、山を越え、ひたすら道なき道を進んできたのだ。つまり、鹿角への新しい道を拓いたのだ」


ゾクッ


 愛季の言葉を聞いた瞬間、豊島重村は武者震いした。どんな化物だよと思った。


「面白れぇ……」


 一方、それを瞬時に見抜いた愛季もまた、非凡である。重村の父親である豊島玄蕃頭は、むしろ愛季への評価を一段、上げた。若年ながら見事な当主ぶりだと感心したのである。


「では、西に進んでいるとは…… まさか!」


 新田が現れた。それを受け入れた時、吉松の狙いを全員が察した。


「戻るぞ! 我らは袋の鼠にされる!」


 安東軍は南を捨てて、北へと戻り始めた。だがその時には既に、新田軍は比内地方への出入り口である碁石館を占領し、米代川と大湯川が合流する地点に陣を構えていた。鹿角郡という袋の中に、安東軍は完全に閉じ込められてしまったのである。


「不覚…… 碁石館に兵を残しておくべきであったか」


 だがこれは結果から言えることであった。安東軍二〇〇〇というのは、鹿角を獲れるギリギリの人数で計算したものである。碁石館に三〇〇程度を残していたら、鹿角攻めはもっと時間が掛かったであろうし、新田軍二〇〇〇の前に意味があったかは疑問である。


「殿、如何いたしましょう。北を押さえられた今、我らは袋の鼠でございます。このまま対陣すれば兵糧が保ちませぬ。一方、新田には我らの知らぬ道がありまする。ここは犠牲を覚悟で攻めるしか……」


「いや、ここは交渉で打開すべきだ。もともと新田とは、それなりに友好関係を結んできた。新田は、敵対していない相手には寛大なところがある。交渉の余地はあるだろう」


 旗を背に挿した使い番を、新田陣に差し向ける。宇曽利の怪物と北天の斗星の邂逅が、始まろうとしていた。

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