第77話 鹿角への道

「新田が、三戸城を落としたか……」


 檜山城においてその報せを聞いた安東太郎愛季は、さもありなんという表情で頷いた。重臣たちも焦りこそないが、厳しい表情をしている。安東家では年初から、陸奥における新田の動きを可能な限り追うようにしていた。その結果、新田軍が未知の技術を使っていること。常備軍と半農兵が混在していること。その半農兵も相当な練度であること。膨大な数の鉄砲を所有していることなどが判明した。


「安東家にも種子島は伝わっていたが、あのような高価な武器を大量に持っているとは。さすがは富裕の新田といったところか」


「それにしても強い。そして速い。まさか戦の最中に、朝廷に根回しをしていたとはな」


「陸奥守…… これで旧南部の国人衆は殆どが従属した。この奥州ではその名は大きい。巧い手を考える。だが……」


 重臣たちが頷く。すでに卯月(旧暦四月)に入っている。安東家では、鹿角への侵攻準備は整っていた。いつでも攻めることが出来る。


「御屋形様。確かに新田の速さは瞠目すべきでございますが、我らの方が一歩先を進んでおりまする。新田が鹿角に入るには、九戸を打ち破って安比川を上って八幡平に入るか、津軽から碇ヶ関を通って小坂に入るしかありませぬ。小坂に入る要衝である遠部沢は竹鼻が押さえており、簡単には通れませぬ。九戸も、一戸、四戸、久慈が味方しており、これまでのようにはいかぬでしょう。どんなに急いだとしても、新田が鹿角に入るには、あと二月近くは掛かると思われまする」


 旧南部領から鹿角郡に入るには、九戸氏が領している鳥越から安比川を上る道がある。先年、南部晴政はこの道を使って鹿角に侵攻した。また旧浅利領の比内と津軽の国境からも、小坂郡を通って鹿角郡まで進むことはできる。だがこの道は、現在は安東家が押さえており、進むには相応の犠牲を覚悟しなければならなかった。つまり現時点では、新田領から鹿角郡に入る道は、存在しないのである。


「九戸には稗貫、和賀、高水寺も味方しております。地の利もあるため、新田とて簡単には手を出せませぬ。恐らく交渉で、鹿角への道を得ようとするでしょう。我らはその間に、一気に鹿角に攻め入り、鹿角の過半を獲るのです。八幡平に繋がる小豆沢館を押さえれば、新田の侵攻を食い止められまする」


 鹿角を描いた地図を使って、侵攻の順番を確認していく。十二所城からは、鹿角の中腹部に入ることになる。南側から新田が来ることを想定し丸館、高市館、黒土館など鹿角南部の要衝を先に抑えるという計画であった。愛季は頷き、最後の確認を行う。


「現在、新田軍はどうしているか?」


「最新の報せでは、三戸城にて軍を再編しているようです。新田軍にも百姓はいます。間もなく農繁期に入るため、半農兵を返すつもりでしょう。常備兵のみで鹿角を目指すものと思われまする」


「農繁期に入るのは我らも同じだ。こちらも二〇〇〇まで兵を絞れ。鹿角は無統治地帯。二〇〇〇でも十分に落とせよう。新田が来る前に、鹿角を獲る!」


 天文二四年卯月中旬、檜山安東太郎愛季率いる二〇〇〇の軍は、十二所城を通って鹿角郡への侵攻を開始した。




 時は少し遡り、卯月に入って間もない頃、三戸城では鹿角郡侵攻のための策が検討されていた。長門藤六広益、南条越中守広継、石川左衛門尉高信、南四郎義康、北左衛門佐信愛、蠣崎宮内政広の六人が、評定の間で地図を中央に置いて取り囲んでいる。吉松はいない。家臣たちのみでの話し合いであった。


「藤六殿、何を考えているのです? 殿率いる新田の精兵ならば、いかに連合した九戸であろうと簡単に打ち破れると思いますが?」


 最年少の政広が、若さに任せた強気の発言をする。広益は苦笑した。戦略を考える視点は、まだまだ鍛える必要があると思った。南条広継が説明する。


「宮内殿、どのような口実で九戸を攻めるのですか?」


「口実? それは……」


「九戸は、先の野辺地での策謀には一切、関与しておりません。確かに当家は南部家と争いましたが、九戸の兵とは一度も戦っていないのです。そして晴政殿の遺言で、九戸は独立しました。いえ、実際にはその前から、独立していたようなものです。九戸を攻めるには、相応の口実が必要です」


 三無の世を実現するために戦う。これは新田家にとっては大義名分だが、自分が立てた目標のためだけに、他家を攻めて人を殺すなど戦国時代であろうとも許されることではない。たとえ名目であろうとも、理由が必要なのである。


「鹿角を攻めるため…… というのは理由にはなりませんか?」


「鹿角攻めは当家の事情です。九戸にはなんの関係もありません。交渉することもできますが、通す代償として本領安堵を求めてくるでしょうね」


 政広以外の四人は、広継の言葉に頷いた。そして新田は、本領安堵など認めない。もし認めれば、土地を手放して禄で仕えた他の国人たちが黙っていないからだ。すべての土地を新田が領する。新田の天下統一は、これが大前提なのだ。政広が他の策を口にした。


「津軽からは進めませんか?」


「安東が道を押さえております。そして安東を攻めるには、九戸以上に口実が必要です。当家とは相応の繋がりがありますからな」


「うーん」


 政広は腕を組んで唸った。他の五人も頭を悩ませる。いっそ九戸が新田包囲網形成などを公然と呼びかけてくれるならば、それが開戦の口実になるのだが、九戸右京信仲はそうした隙を見せていない。八方塞がりとなっていた。


「殿はどうお考えなのか……」


「三戸に入られてからの数日、街を見て回ったり、郊外で山の民と話をしたりと動いてはおられるが、内政を充実されるおつもりであろうか」


「鹿角を諦めてか? あり得ぬわ。殿は是が非でも鹿角を攻めるおつもりだ。どう攻めるかは解らぬ。だが殿ならば、何かお考えがあるに違いない」


 長門広益の言葉には、他の五人も同意せざるを得なかった。新田吉松という怪物が、鹿角を獲ると宣言したのだ。どんな策で攻めるのかは不明だが、きっと自分たちの想像を超える策を出してくるだろう。


「よし。鹿角を攻めるぞー」


 吉松が童らしい声でのんびりと宣言したのは、その翌日であった。広益たちは互いに顔を見合わせてしまった。言葉にまるで深刻さがない。買い被りだったかと疑ったほどである。だが次に吉松が口にした策を聞いて、全員が口をあんぐりとしてしまった。


「道が無いのならば、そこに道を創れば良いのだ」


 吉松が示したのは、後に三戸鹿角街道と呼ばれるようになる、第三の道であった。




 史実では、永禄一二年に発生した安東愛季の鹿角侵攻を防ぐため、南部晴政は鹿角防衛のための最短ルートを考え出した。それは、三戸城を出て西進し、田子村を経て、来満峠を越え、山中沢、浅繁沢を出て、大柴峠を越え、上折戸から安久谷川を渡り、鹿角郡北東部の大湯に抜けるという、およそ道とは呼べないほどに険しいルートであった。だが鹿角から南部領に向かう道として、山の民などが使っていたため、人が通ることは可能であった。実際、晴政の命を受けた石川高信は、この道なき道を進み、鹿角郡に入り、安東軍の侵攻を食い止めたのである。


「十和田の山の民から協力を得ることができた。山を越え、川を超え、我らはひたすら西に進む」


「と、殿…… これは道とは呼べませぬ」


 南条広継の声が、若干震えている。恐怖ではない。こんな方法があったのかという驚きと、もし通れたらと考えたときの高揚からの震えであった。


「通れる。実際、人が通っているのだ。山の民が道案内をしてくれる。半農民ならば険しく感じるかもしれんが、日頃から足腰を鍛えている新田の精兵なら、不可能ではないはずだ。左衛門尉(※石川高信)、どう思う?」


「……不可能ではないでしょうな。ですが兵の疲弊を抑えるためにも、先遣隊を出して道の整備に当たらせるべきでしょう。石を退け、柴を刈っておくだけでも、進みやすさが違います」


「よし、手配せよ。黒備衆三〇〇が三戸で待機している。それを動員して構わん。本隊は一〇日後に動き出す。一〇日間で、出来るだけ道を整えるのだ。」


「ハッ、すぐに取り掛かりまする」


 石川高信は立ち上がって動き出した。


「左衛門佐(※北信愛)は補給の手配だ。鹿角に入ったところで、飢えていたら戦にならん。馬匹を十分に用意し、継続して鹿角に物資が届く体制を整えよ」


「承りました」


「四郎(※南義康)、すまんが其方は、今回は留守役だ。だが重要な役だぞ。三戸城には常備兵五〇〇と、同数の鉄砲を置いておく。万一にも九戸が攻めてきたら、俺が戻ってくるまで防ぐのだ」


「ハハッ!」


「藤六(※長門広益)と越中(※南条広継)は一〇日間、兵の足腰を鍛えよ。一日鍛えたら二日休ませ、また一日鍛えるのだ。放っておくと足腰が弱くなるからな。最後に宮内(※蠣崎政広)」


「は、ハイ!」


 自分も何か役割を与えられる。政広はそれが嬉しかった。


「……禄が増えて嬉しいのはわかるが、あまり遊郭通いはするなよ?」


 吉松はニヤリと笑った。期待が外れて、ガックリと項垂れた。

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