第76話 南部家併合
天文二四年(一五五五年)弥生(旧暦三月)、七戸城を落とした新田軍は藤島館、伝法寺館、五戸館など、反新田の国人衆の館を次々と落としていった。五戸館から街道沿いに南下すれば、すでに新田に臣従している国人衆「北左衛門佐信愛」の居城「剣吉城」がある。
剣吉城は、根城八戸と三戸の中間に位置する重要な地であり、馬淵川が運ぶ肥沃な土によって、陸奥の中でも米どころとなっている。この地を与えられた北左衛門佐信愛は、南部家中随一の知恵者と呼ばれており、石川左衛門尉高信の評価も極めて高い。
剣吉城に入った吉松に、ちょっとした問題が待っていた。北信愛の正室が、敵対した南家の一族なのである。七戸城で討死した南長義は、南部安信の実弟であり、南部晴政、石川高信の叔父にあたる。兄が広げた南部家が新田に飲み込まれるのを座視できなかったとして七戸に呼応したらしい。だが嫡男の南義康は三戸城を押さえ、新田への臣従を願い出ている。あくまでも南長義個人として新田と戦った。形式的にはそうなっている。
「妻も、義兄である義康も、殿に対しては何一つ遺恨などありませぬ。されど、南一族から敵対者が出たことは事実。妻は離縁したいと申しているのですが……」
「左衛門佐はどうなのだ? 離縁したいか?」
「一五年、連れ添いました妻なれば……」
「なら別れる必要などあるまい。というかな。俺にも、南一族に対する怒りなど何もないぞ。そもそも俺は、一族郎党を罪に問うという連座の考え方には否定的だ。巻き込まれた者はたまったものではあるまい? 新田に敵対しているのならともかく、臣従するというのならば受け入れる。落ち着いたら、義父を弔ってやるがいい」
「ハハッ…… 有難うございまする」
そして吉松は、剣吉城の外に目を向けた。
「城に入る前に田畑を見た。新田を真似たのだな?」
「ただの、真似事でございますが……」
剣吉城下の田畑は、他とは違い形が整えられ、正条植えがされていた。使っている道具が違うため、多少は
「真似で良いではないか。学ぶとは、真似るから来ている。真似ることすらしない者が多い中、民の暮らしを良くしようと工夫する姿勢は高く評価する。評定衆の一角を担い、新田の内政を支えよ。いずれ、陸奥地方の内政全般を任せることになるだろう」
「は…… ハハァッ」
新田を真似る姿に、南部家中には内通という疑いを持つ者までいた。それを否定し、大いにやれと言ってくれたのは、他ならぬ南部晴政本人であった。そして今、その晴政が認めていた宇曽利の神童が、同じように自分を認めてくれた。思わず目頭が熱くなった。
「殿、八戸城から使者が来ておりまする」
「会おう。左衛門佐、感動しているところ悪いが、仕事だぞ!」
子供らしい笑い声が聞こえた。信愛の中で何かが切り替わった。
パチリッ、パチリッ
剣吉城の「表の間」では、緊張の空気が流れていた。当主の座には吉松が座り、その左右に石川高信、北信愛、南条広継、長門広益ら重臣が座る。そして吉松の前には、実兄である八戸久松が平伏していた。
「八戸久松。実兄ではあるが、俺は其方には初めて会う。兄という感情が俺の中にはない。よって兄上とは呼ばぬ。これからもな」
「ハッ……」
「それで、新田に降るという話は耳にしていたが、どういうことか? 左衛門尉の話では、八戸は新田と敵対する。新田を乗っ取り、実父を殺した俺を許せない。そう宣言していたと聞いたが?」
「ハッ…… 某はその後、病に倒れました。熱にうなされる中、父が枕元に立ったのです。新田とはもう争うな。八戸の名跡を残すことを考えろと……」
パチリッ、パチリッ
吉松は黙ったまま、久松を見つめた。何かを見極めようとしているような眼差しである。久松は額に汗を浮かべて平伏したままだ。
「……良かろう。ただし八戸城に置くわけにはいかぬ。感情の繋がりはないとはいえ、血の繋がりは否定できぬ。今後、新田はさらに大きくなる。御家騒動の種を置くわけにはいかん。八戸の名跡は俺が預かる。久松には浪岡城下において、仏門に入ることを命じる。大人しく経を詠んでいる限り、行動の自由と暮らしは保証する」
「ハッ…… ハハァッ」
久松はホッとしたような表情を浮かべた。その一方、吉松は最後まで、何かを疑っている表情であった。
「殿…… 八戸の件ですが、何か御懸念をお持ちになられているのですか?」
久松が去った後、考え事をしている吉松に広継が声をかけた。吉松はウムと呟き、顔を上げた。
「熱に浮かされた程度で、人はそんなに変わるものか? 父親が枕元に立った? どうも信じられん」
「されど、浪岡に移し僧籍に入れてしまえば、もう何もできませぬ。たとえ二心を抱いていようとも、危険はないかと思いますが」
「そうだな。俺が考え過ぎなのかもしれん。俺自身、熱に浮かされて目覚めたら怪物になっていたわけだしな」
そう言って笑う。内心では、監視だけは怠らないようにしようと決めていた。もし自分と同じ存在だったなら、存在そのものが危険である。確実に消さねばならない。転生者は、自分ひとりでいいのだ。
天文二四年、弥生から卯月へと変わる頃、朝廷への使いとして都に出していた浪岡弾正少弼具統が戻ってきた。これにより従五位上新田陸奥守吉松となったのである。効果は絶大であった。金田一川以北(※現在の青森県)の国人衆のすべてが、新田に臣従したのである。
「殿、おめでとうございまする」
「いや。弾正少弼も良くやってくれた。この功は大きい。必ず報いると約束しよう」
浪岡城に寄らず、野辺地から直接、三戸城まで来た具統を労う。陸奥守もそうだが、朝倉家や近衛家との繋がりを持ったこと。朽木谷に逼塞している
「益田藤右衛門元長といったな。弾正少弼が内政の手腕を認めるということは、相当なものだろう。これからの働きを大いに期待しているぞ」
「ハハッ…… つきましては一つ、お願いしたき儀がございます。某、姓を改めとうございます」
「ほう? 益田では、近江益田郷を思い出すか?」
「ハッ…… 心機一転するためにも、新たな姓を名乗りたく思います。殿が某にご期待されるのは内政の充実、つまり田を増やすこと…… これより増田と名乗りとうございます」
「ハッハッハッ! 田を増やすか。なんとも景気の良い姓だな。良かろう。今日から増田藤右衛門元長を名乗るがよい!」
こうして新田は、旧三戸南部家の所領の大半を手にした。年初の大評定における鹿角までの侵攻計画との誤差は、わずか数日であった。
三戸城から金田一川を越えて南に進むと、九戸郷がある。九戸氏の歴史は古く、南部三郎光行の六男である九戸
「フンッ…… これで南部家は名実ともに滅び、新田が陸奥の支配者となったな。それにしても陸奥守とはな。顕家公にならったというわけか? 小賢しい」
九戸氏菩提寺である長興寺の近くに、九戸館がある。(※九戸城に本拠地を移すのは永禄一二年)応接の間には、九戸右京信仲、一戸
「されど右京殿、これで我らは新田と接することとなった。戦うか、従うか…… いずれかを選ばねばなるまい?」
「然り。宮野城(※九戸城のこと)にて新田を迎え撃つにしても、数の差は歴然。戦うならば、稗貫、和賀、葛西の助力も得る必要がある。されど新田の動きは速い。戦うならばすぐに動く必要があろう」
「果たしてそうかな……」
だが右京信仲は、二人の言葉に対して疑問を投げかけた。怪訝な表情を浮かべる二人に、信仲は自分の考えを伝える。
「新田がなぜここまで急いでいるのか。それは檜山が鹿角を狙っているからだ。新田は恐らく、一旦は我らを捨て置いて、鹿角への進出を図るだろう。だが檜山は既に、鹿角に入り始めているはず。もしここで、新田と安東がぶつかれば……」
「なるほど。高水寺斯波家、檜山安東家、そして我ら…… 先年の包囲網の再現というわけか」
「確かに。奥州探題の家柄である大崎家や管領家である斯波家にとっては、幕府を越えて朝廷から陸奥守を得た新田は面白くあるまいな」
二人が納得したように頷く。
「新田は、国人の土地を接収しておる。我ら奥州の侍たちには、我慢なるまい。新田に対する危機感は、南部晴政を上回るであろう。新田が鹿角へと出ている間に、包囲網の呼びかけを行うのだ」
勝てる。信仲の中にそうした自信があった。陸奥に再び、大きな動乱の兆しが生まれようとしていた。
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