第73話 糠部攻め

 新田家が浪岡城で新年の大評定を開いていたころ、檜山城においても安東家が評定を開いていた。重臣たちの表情には、先日のようなあなどりりに近い余裕はない。新田吉松の動きが異常なほどに速いからだ。当主である安東太郎愛季は、顔を引き締めて評定を始めた。


「皆も知っての通り、昨年暮れに新田は大光寺を攻め、大浦家を臣従させた。津軽は新田の手に完全に落ちている。恐らく今年は早々に、糠部の平定に乗り出すだろう」


 全員が頷く。新田家の圧倒的な速さの秘密は、豊かさを利用した常備軍にある。百姓とは違い、戦だけを役割とする専門集団だ。そのため、農繁期であろうと関係なく攻められるし、兵の練度も移動速度も尋常ではない。南部晴政でさえ勝てなかったのだ。半農半兵の安東軍では勝ち目は薄い。


「来月中に浅利を臣従させるのだ。いや、十狐城だけならば従属という形でも良い。恐らく新田も如月には動き出すだろう。急がねば、鹿角は獲れぬ」


「されど、檜山だけでは鹿角は落とせませぬ。湊家の力を借りねば……」


「借りるのだ。土崎湊の津料を無くしても良い。能代が栄え始めておるし、新田との交易による利も大きい。たとえ土崎の津料が無くなろうとも、鹿角を得れば釣りが来る。大叔父はどう思うか?」


 一門衆筆頭の安東摂津守氏季が両手を床につく。


「御屋形様、申し訳ございませぬ。昨年、御屋形様は一刻も早く浅利を降したいと仰せでした。我らが油断していたのです。新田はまさに疾風迅雷、遠からず鹿角まで獲りに来るでしょう。鹿角を得るためならば、土崎の津料など安いものでございます」


「過ぎたことはもう良い。それで、新田はどれくらいで鹿角を獲りに来ると思うか?」


「されば、刈入れ前までには鹿角に入るのではないかと……」


 「まさか」「そんなに早く」と、氏季の言葉に反応する者がいた。だが愛季は首を振った。予想の範囲内で新田が動くのなら、南部晴政も負けなかっただろう。


「新田の速さは尋常の予想を遥かに超える。三月みつきで糠部を押さえ、三月で鹿角を獲る。それくらいの速さで動くかもしれぬ。恐らく新田吉松は、文月かおそくとも葉月には、鹿角を領するつもりでいよう」


 評定の間がシンとする。新田はまだ、陸奥における旧南部領に入っていない。半数の国人が降ったとしても、かなりの数の館が残っている。それに鹿角にも、四〇以上の館があるのだ。僅か半年でそれらをすべて落とすなど、従来の戦では考えられない。


「これまでの物差しで、新田を測ろうとするな。それであれば石高でも兵力でも上回る南部家が、新田に負けることはなかったであろう。足軽の身体つき、武器、兵糧、陣取り、行軍速度などすべてが違うのだ。恐らく評定の仕方も、家臣への命じ方も、果ては百姓の畑仕事まで、何もかもが違うであろう。新田は我らと同じ奥州人おうしゅうびとではない。異国から来た異形の者たちだ。そのつもりで当たれ」


 重臣全員が一礼する。無論、中には話半分で聞いている者もいる。南部晴政が死んだとしても、五戸、七戸、八戸、九戸、久慈など有力な国人衆が残っているのだ。どんなに早くても、糠部統一には一年は掛かる。それが「常識」であった。そうした常識は簡単には変えられない。多くの人は「愚者」である。己が目で見て、己が身で経験しなければ、これまでの価値観は変えられないのだ。


「弥生(旧暦三月)までには、鹿角への道を開く! 皆もそのつもりでいよ」


 こうして両家の間で、鹿角郡を巡る競争が始まった。




 天文二四年(一五五五年)如月(旧暦二月)、七戸城では家臣を集めての酒宴が開かれていた。


「殿。五戸家、南家、石亀家も殿に御味方すると来ておりまする。さらには九戸家や久慈家からも書状が来ておるとか。殿は今や、糠部の盟主でございますぞ」


「元服前の童など恐れるに足りぬわ。宇曽利の荒れ地からノコノコ出てきたら、叩き潰してやりましょう」


「潰すだけでは足りぬ。首を刎ねた上で、田名部の富を奪い尽くさねば、我らの気が済まぬわい!」


 酒が威勢を良くし、威勢が酒を飲ませる。彼らとて、南部家の中で重臣として一画を為した者たちである。このままでは勝てないかもしれないと、心のどこかで思っていた。冷静に状況を見れば、北信愛のように、新田家に臣従の旨を伝えるべきなのだ。そうすれば命までは取られない。たとえ禄であっても暮らしぶりには困らないし、家も残せる。だが新田憎しが、眼を曇らせた。そして不安を打ち消すために、威勢の良い言葉を吐き、その言葉がやがて己自身を騙すようになる。

 だが、たとえ見たくなくても、現実というものは必ずやってくるのだ。ドタドタという足音と共に、酒宴の場に急使が駆けこんできた。


「申し上げます。本日明け方、野辺地が新田軍に攻められましてございます!」


 カタンッ


 誰かが盃を落とした。




「呆気ないものよな。もう少し抵抗があるかと思っていたが……」


 吉松率いる新田軍は、電撃的に野辺地に侵攻し、ほとんど抵抗なく占領することに成功した。対新田の最前線である。本来ならば守りを厚くして然るべきなのだが、雪の多いこの時期では賦役もままならず、新田もまだ出てこないだろうと予想していたため、守備もおざなりであった。


「雪が多くて軍を動かせないのなら、動けるように知恵を働かせて工夫するのが人間だ。たとえ読めなくとも、せめて有戸を警戒するくらいはしておくべきであろう。吹越の戦からなにも学んでおらぬ。やはり、七戸彦三郎直国は使えんな」


 吉松は今回の戦勝について、敵方である七戸の失敗を敢えて口にした。蠣崎宮内政広他、評定衆には入らない若手の家臣たちが頷いている。他者の失敗から学ばせる。そうすることで同じことを家臣たちがしないように戒める。家臣部下を育てるのも、主君上司の務めなのだ。


「その点、安東太郎愛季は切れる。浅利を臣従ではなく従属同盟として降したらしい。宮内よ、なぜか解るか?」


「今は鹿角への道を開くことを優先させたのでしょう。従属とはいえ、浅利殿の所領は十狐城周辺のみ。脅威とはなりませぬ」


「その通り。鹿角を得るか得ないかで、安東家の行く末は大きく変わる。安東家にとっては、今が好機でもあり、危機でもある。機を見るに敏とはこういうことを言うのだ」


「ですが殿。果たして檜山だけで、鹿角を押さえることなどできましょうか? 昨年に比内大館を得たとはいえ、その果実を手にするのはまだ先かと存じますが?」


 同じく元服して間もない厚谷文太郎季貞が意見する。評定の間であるが、南条広継は口を出さず、ただ見守っていた。


「では、文太郎ならばどうする? 鹿角は得たい。だが檜山の兵だけでは足りぬ。どうすれば良いと思うか?」


「それは…… 一時的な民の徴用。もしくは…… 他から借りる?」


「そうだな。湊安東家、さらには檜山と近い関係にある由利衆からも助力を得るはずだ。三〇〇〇から四〇〇〇の軍となろう。鹿角はいま、無統治地帯だ。獲るには十分な数だ。では、檜山はいつ頃、鹿角を目指すと思うか? 今すぐか? それとも少し先か? それはなぜか?」


 質問し、考えさせる。読みであるため絶対の正解はない。大切なことは常に「後先を考える」ということである。愚者は後先考えずに行動した結果、一喜一憂する。賢者は結果を得るために考え、準備し、そして行動する。事の成否には運もあるが、逆を言えば運以外のすべての懸念要素を潰すのが、準備というものなのだ。


「大分、育ってきたな。七戸攻めは宮内に任せてみるか?」


「宜しいかと存じます。宮内殿は、野戦は経験しましたが、城攻めは未経験。良き学びになるでしょう」


 若手育成の時間が終わると、蠣崎宮内達は下がらせ、重臣だけで次の戦について話し合う。野辺地以南は旧三戸南部家の本領である。一つひとつの集落に、南部の歴史が刻まれている。決して油断はできない。地縁の強い地であるため、新田の動きは丸裸にされていると考えて良いからだ。


「七戸は今頃、慌てて兵を集めていることでしょう。左衛門尉殿率いる津軽の兵も、昨日には青森を発っているはず。到着は明日か明後日。七戸殿は恐らく、籠城するでしょうな」


「五戸、九戸当たりの援軍を期待しての籠城だろうな。宮内に新兵器を試させよう。他の国人衆に見せつけてやるのだ。新田に籠城戦など無意味だとなぁ。クックックッ……」


「フフフッ……」


 顔に影が差し、極悪人のような笑みを浮かべる。それに影響されたのか、広継まで顔が怖くなり、低く笑いはじめる。近習の者は、まるで悪党たちの密会だと内心で思った。


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