第72話 天文二四年、正月

 天文二四年(一五五五年)正月、浪岡では年初の大評定と新年会が開かれていた。新田家は大きくなり、家臣も増えている。大評定となると、田名部館では入りきらないのだ。


「今日はこれから新年会だ。田名部で作られた澄酒に濁酒、新鮮な海の幸に山の幸を贅沢に使った御馳走が待っている。早くも腹を減らしている者もいるだろうが、憂いなく飲む酒ほど美味いものはないという。よって、まずは仕事を終わらせてしまおう」


 吉松の独特の挨拶により、大評定が始まる。昨年一年間の新田領の石高、交易の収支、鉱工業の生産量、人口増加量、民の声、そして今後の懸念について、田名部吉右衛門政嘉が報告する。初めて大評定に出た者は、数字を前提とした報告の仕方に瞠目し、そして書かれている石高や交易収支に驚愕するのが常だ。


「続いて民の声については、実際に聞き取りをした奥瀬判九郎より報告いたします」


 判九郎は額に汗をにじませながら、十三湊、浪岡、外ヶ浜、石川などの各集落で聴取した声を報告した。報告の仕方は吉右衛門に助言を得て、結論を端的にまとめている。


「け、結論から申し上げれば、暮らしの格差について不満の声が出ておりまする。と、と、十三湊や浪岡の民は豊かに暮らしていますが、だ、大光寺、石川、大浦といった昨年の収穫後に御家の統治に入った集落は、その…… 誠に失礼ながら、米や稗すら事欠く有様にて。冬の備えに穀物、衣類、炭団を配りましたが、浪岡に逃げたいという声も多く聞かれます」


 判九郎は遠慮がちに、民の声とその件数を示した。石川高信や武田守信は苦い顔となっている。民政に力を入れていなかったわけではないが、新田とはあまりにも違い過ぎた。


「それで、判九郎はどうすればいいと思うか?」


 吉松の問い掛けに、判九郎は左手で腹を押さえながら、何とか答えた。


「お、畏れながら…… これら集落は来年の収穫まで、民の移動を禁じてはどうでしょうか。その……当てもなく逃げ出せば、その民は結局のところ浮浪者となり、領内の治安も悪くなるかと存じます。飢えぬように施しを与えつつ、豊かになるための方法を教えてやるべきかと」


「見事だ判九郎、その通りよ。宇曽利は無論、十三湊や浪岡では様々な産業が振興し、民も豊かに暮らしている。それに憧れるのはわかるが、自らの手で豊かさを掴むという経験をさせねばならん。外から逃げてきたのならともかく、今はもう新田の民なのだ。生まれ育った集落で成功体験を積ませることで、自分たちでもやれるのだという自信を持つようになるだろう。弾正少弼。今年は判九郎を中心に、津軽南部の開発を進めよ。それと判九郎、腹が減っているのは解るが、もう少し我慢せよ」


 周囲から笑いが漏れる。外ヶ浜の経験から、半ば思いつきで回答した判九郎は、思いのほか褒められてしまい、戸惑いながらも吉松に一礼した。やがて一通りの状況確認を終えると、吉松から天文二三年の新田家の目標について語られる。これに基づいて、各重臣に役割が与えられる。




「さて、今年の目標について話そう。皆も知っての通り、新田家の最終目標は天下の統一だ。日ノ本全土から飢え、震え、怯えの三つを無くす。俺は本気だ。生きている間に、必ずそれを成し遂げる。だが新田はまだまだ小さい。そこで今年も新田家の拡張に邁進する。具体的には、糠部の統一。そして鹿角の併合だ」


 吉松の合図で、近習たちが紙を配り始める。陸奥地方の侵攻計画および鹿角への進出の時期について書かれていた。長門広益や南条広継は慣れているが、昨年後半に新田に臣従した重臣たちは戸惑っていた。他の家では口頭で命令するのが当然なのに、新田では驚くほどに紙を使うからである。


「八戸だが、手の者の調べでは雪解けあたりに、新田に臣従を申し出てくるらしい。話次第では、認めてやっても良いだろう。一方、七戸と五戸は我らと戦うつもりのようだ。新田に臣従すべしと言っていた者が、何人か斬られたらしい。状況が見えぬ阿呆どもよ。そこで来月(※如月)中旬、野辺地に侵攻する。糠部では、如月も中旬になれば雪の日が減る。それに有戸までは道が整備されている。移動は可能だ。越中……」


「ハッ。皆も知っての通り、宇曽利は豪雪地帯。普通に甲冑を着て田名部から進めば、いかに精兵といえど疲弊します。そこで、七戸との境である有戸までは甲冑を着ず、武器も持たせません。甲冑や武器はすべて船に乗せ、有戸川まで運びます。そこで装備を整え、一気に野辺地を突きます」


 陸奥湾という海上輸送手段を活かした電撃侵攻作戦である。田名部から有戸までおよそ一五里、有戸から野辺地まで二里という距離である。普通であれば有戸まで二日、野辺地まで半日、そして野辺地館攻めに三日、合計六日程度は掛かる作戦だが……


「街道に人手を出して雪かきをさせ、有戸まで一日で進む。そこで武装し幕舎で一晩を過ごして、日出前に進発、朝日と共に一気に野辺地に襲い掛かる。二日だ。二日で終わらせる!」


 眩暈がするほどの速度である。これほどの行軍速度なら、足の遅い荷駄隊などは必要ない。腰に下げている糧食で事足りてしまう。無論、吉松は補給に対しても怠らない。


「吉右衛門。来月早々に、横浜の民たちに有戸川周囲を芝刈りさせ、幕舎を張りやすいようにしておけ。それと簡単な小屋も立てておくのだ。戦の前に精のつく飯を食わせてやる必要があるだろう」


「承りました。獣肉に鶏の卵、大蒜などを用意しておきます」


「野辺地を手に入れれば、三戸まで一直線よ。途中の七戸や五戸などは尽く粉砕してくれる。雪が解ける卯月(旧暦四月)には、三戸城に入れよう」


 その言葉を聞いて、武田甚三郎守信は紙に目を落とした。卯月下旬に鹿角への侵攻、水無月末までに鹿角制圧とある。信じられない速さだ。だが先ほどの話では、八戸は雪解け頃に下るとのことだった。どうするつもりなのか?


「殿。八戸と九戸は如何いたしましょう?」


 長門藤六広益が口を開いた。蠣崎家の名将だが、今では田名部吉右衛門と肩を並べる新田の重臣である。


「八戸が降る頃には、三戸城まで落としているだろう。追い詰められて下った、という形になる。当然、八戸久松は出家させ、所領はすべて没収。八戸家は取り潰す。それが最低条件だ」


 長門や他の重臣も頷いた。一戦交えた大光寺は、その後は降伏すら許されずに滅びた。刃を交える前に下れば、命は保証する。ただし、先の裏切りもあるので当主は出家させ、家は取り潰しとする。この当たりが落としどころであった。


「三戸城を落としたあたりで、九戸も降るかもしれません。その場合は、どうされますか?」


「難しいところだな……」


 九戸家当主である九戸右京信仲は、金田一城主の四戸宗春の義理の兄でもあり、陸中(岩手県北部)に大きな勢力を持っている。南部晴政でさえ、九戸に対しては主従というより同盟者としての態度を取っていた。晴政亡きいま、九戸は一個の大名となっている。

 吉松は数瞬考えて、頷いた。


「九戸右京が本当に、所領のすべてを新田に預け、禄で仕えるということを承知したのなら、受け入れよう。九戸は先の野辺地での謀にも関与しておらず、高水寺への備えとして南部家の南側を守ってきた。九戸が降ったとなれば、久慈や四戸も臣従するだろう。もっとも、先の三戸城での評定に、九戸は来なかったそうだ。独立独歩を行くつもりなのだろう。降るとは思えんな」


 九戸右京信仲の正室は、八戸家一四代当主、八戸但馬守信長の娘である。その関係から、自分の二男を八戸家当主にと動いたことすらある。その時は、南部晴政の執り成しで新田行政の嫡男、新田久松が八戸家を継いだ。晴政としては、九戸がこれ以上大きくなることを防ぎたかったのだろう。そうした関係から、八戸家の庶流である新田家に九戸が本当に降るのか、吉松は疑問だった。

 

 たらればの話は終わり、鹿角の話になる。鹿角は南部晴政も短期間で攻め落とした土地であり、三戸まで手に入れれば、無傷に近い形で鹿角も手に入ると予想された。だが唯一の懸念が存在していた。


「俺がここまで急ぐ理由は、檜山安東家が動いているからだ。檜山安東家とは、先の通商交渉において、津軽で事が起きた場合、比内に出陣するという約束をしていた。そしてそれを果たした。もっとも、奴らからすればそんな約束などなくても出陣したであろうがな。そして今、浅利家最後の城である十狐城(独鈷城)を包囲している。遠からず、浅利は降るだろう。問題はその後だ」


「鹿角への進出。某でも、同じことを考えまする」


 石川左衛門尉高信の言葉に、ほぼ全員が頷いた。鹿角郡は陸奥と出羽の境にあり、鉱物と材木の豊かな土地である。安東太郎愛季が、欲しがらないはずがなかった。


「安東とは交易で繋がっている。表面上は敵対しておらん。鹿角を獲るな、などと言う資格も新田にはない。例の遺言を認めた以上、鹿角の独立も認めざるを得んからな。つまり、どちらが先に鹿角を獲るか。檜山との競争という訳だ」


「安東太郎が鹿角を獲れば、湊家も檜山に従いましょう。そうなれば由利、戸沢を落とすのも容易になりまする。事実上、羽後は檜山のものに……」


「それは厄介だ」


 高信が提示した可能性に、皆が呻く。羽後は豊かな土地である。それに鹿角が加われば、その力は三戸南部家の全盛期すら超えるかもしれない。奥州の覇権を巡る、新たな敵が台頭することになる。

 だが吉松は不敵な笑みを浮かべた。高信に言われるまでもなく、そんなことは承知している。だからこうやって急いでいるのだ。


「逆を言えば、こちらが鹿角を手に入れれば、檜山は行き詰まるということよ。皆も状況を理解したであろう。攻めるぞ。攻めて、攻めて、攻めまくる。文月までに鹿角を落とすのだ!」


「「ハッ!!」」


 なぜここまで急ぐのか。なぜ鹿角が必要なのか。ここが剣ヶ峰だと、全員が肝に銘じた。

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