第68話 再進撃

 蝦夷地の冬は早い。長月(旧暦九月)には初霜がある。霜月(旧暦一一月)になれば雪に覆われる。不毛不作の土地と見做されていたこの地が、新田の改革によって豊かに輝き始めていた。


「殿。若は初陣で大手柄を立てられたそうですな」


「うむ。禄が二割も増えたと書かれている。もっとも、八郎(※下国師季のこと)からは些か前に出過ぎだと叱られたようだがな。将たるもの、自ら槍を取るものではないわ。儂からも注意しておこう」


「御無事だったのです。それで宜しいではありませぬか。それで大殿から、来年についてのご指示が?」


「蝦夷陶石により、新たな焼物が生まれたそうだ。安定して採掘できるようにせよとの指示だ。それともう一つ。蝦夷えみしの民に仕事を与えたいと仰せだ。どうやら大沢で砂金が獲れるらしい。蝦夷の民に砂金の取り方を教え、彼らの新たな産業にせよとのことだ」


「砂金…… 誠でございますか! であれば、我らの手で……」


「ならぬ。解らぬか? 蝦夷の民に教えてやるのだ。狩りと山菜採りだけが仕事ではない。他にも多くの仕事があるのだとな。彼らはそれにより銭を得る。銭を使い豊かさを知る。もっと豊かになるために、また働く。こうやって新田の豊かさの中に、蝦夷を取り込むのだ」


 すでに徳山大館をはじめ、旧蠣崎領には多くのアイヌ人が来訪し、中には住んでいる者までいる。人は比較する生き物である。自分たちとは違うやり方で、豊かに暮らしている同胞がいれば、我も我もと真似るようになる。吉松は時間をかけてアイヌ人を取り込み、一戦もすることなく蝦夷地を掌握するつもりでいた。


「我らは今のままでも、十分豊かに暮らせている。だが殿はそれで満足はしておられぬ。より豊かに、より便利にと、日々試行錯誤されておられる。儂の知る限り、殿は日ノ本一の強欲者よ。なにしろ自分ひとりが豊かになるだけでは気が済まないのだからな」


「確かに。すべての民が豊かでなければ気が済まないなど、強欲の極みでございますな」


 蠣崎若狭守季広は笑った。今年も良い正月が迎えられそうだと思った。




「殿、お呼びでしょうか」


 夜、浪岡城内にある吉松の私室に、加藤段蔵が姿を現した。灯りは付けたままである。吉松は、漆塗りの木箱を段蔵に差し出した。それを開けると書状が二通、入っていた。


「この度の戦において、九十九衆は極めてよく働いてくれた。そこで、九十九衆全員を加増する。またそれとは別に、段蔵には感状を与える。良くやってくれた」


「殿、これは……」


「他の土地では知らぬが、新田では何よりも情報を重視する。九十九衆は新田において最重要の役割を担っている。その働きに報いるのは当然のことだ。これからも頼むぞ」


「ハハッ!」


 段蔵は頭を下げた。忍びは本来、感情を露わにすべきではない。だが段蔵の肩は震えていた。人は誰しも、認められたいものである。それは忍びであっても同じだ。だが大半の忍びは感謝の言葉一つ、投げかけられることはない。段蔵にとって、こうして働きを認めてもらったことなど、初めてのことであった。


「さて、仕事の話だ。大光寺、大浦の様子は押さえているか?」


「ハ…… 大光寺殿はどうやら、独立独歩を決意されたご様子。この冬も調練に力を入れておりまする。一方の大浦は、殿に臣従する方向で話し合いが続いております。この冬、石川殿に仲介を求めるのではないかと」


「大光寺が逆らうというのなら捻り潰すまでよ。糠部の方は?」


「揉めておりまする。七戸家も、当主の直国殿は殿と戦う御決意ですが、家中には反対の声も多く、まとまりませぬ。五戸、八戸も同じです。一方、北左衛門佐殿は臣従を決意され、家中を纏められました。ただ飛び地となってしまうため、殿にどう臣従するかでお悩みのご様子……」


「うむ。臣従の書状が来たら、さっさと津軽に来いと伝えてやろう。北の所領など七戸、五戸と共に纏めて飲み込んでやるわ。たかが二、三〇〇〇石の土地よりも、俊英と噂される北信愛の方が、遥かに価値が高い」


「それと、気になる動きが一つ。檜山安東殿ですが、十狐城の後は鹿角を狙っているご様子……」


「なるほど。確かにそれは少し…… 厄介だな」


 吉松の眼が細くなった。




 南部家と新田家の争いの中で、もっとも利益を得たのは檜山安東家であろう。蝦夷地との交易による利益を確保し、出羽における経済的優位性を手に入れた。湊安東は現在のところ大人しくしており、いずれは一つの家として纏まる見通しも立っている。

 そして最大の収穫は比内地方への進出である。比内大館を無傷で手に入れたことにより、津軽と鹿角への道が開けた。十狐城ではいまだに浅利勝頼が粘っているが、南部家からの支援が無くなったことで家中の求心力も失われ、遠からず安東に従属するだろう。南部家が無くなったことにより、鹿角郡は切り取り次第となった。鹿角の南に接する戸沢家は、小野寺家と敵対しており、鹿角に進出する可能性は低い。そして南部家は散り散りとなり、新田がそれを刈り取り出る。つまり鹿角を押さえられるのは、安東家しかないのだ。


「来年早々には浅利を臣従させ、鹿角へと出ることになりましょう。新田は津軽、陸奥を押さえることで手一杯のはず。鹿角は金、銀、銅、材木の産地にて豊かな土地です。鹿角を手にすれば、新田にも対抗できましょう」


「新田の動きを予測しますに、来年一年は津軽を押さえに掛かり、次の一年は陸奥の統一に乗り出すと思われまする。つまり二年は猶予がありまする。その間に鹿角を押さえれば、次は由利、戸沢、小野寺…… 悲願の羽後統一が果たせましょう」


 評定の間で、家臣たちが景気の良い話をする。安東太郎愛季は、表面上は笑顔で頷いていたが、内心は別であった。そんなに上手くいくはずがない。まず新田が、陸奥統一までに二年も掛かるが疑問である。新田吉松は電光の如き速さで動く。下手をしたら一年程度で、陸奥のあらかたを手にしてしまうのではないか。第一、鹿角を手に入れたとしても新田に対抗できるとは限らない。何しろ新田の石高は飛躍的に伸び続けているのだ。


「一刻も早く、浅利を従属させたい。交渉を続けるのだ。十狐城の他に、幾つかの館を加えてやっても良い。鹿角を早急に手にしなければ、新田に先を越されるぞ」


「御屋形様。それほど焦る必要はないかと存じまする。これからは雪の季節、新田とて動けませぬ。新田が動くのは来年の春。それまでには浅利も従属しましょう」


 理屈ではそうなのだろう。だが愛季は新田吉松がそんなに悠長な人間とは思えなかった。しかしこの場で悲観論を出したところで、場を白けさせるだけである。そのためせいぜい、注意喚起しかできない。


「解っている。油断するなと言いたいだけだ。皆の者、頼むぞ」


 比内の手に入れ方が、鮮やか過ぎたのだ。それで皆の気が大きくなってしまった。油断すれば、新田に喰われる。どこかで引き締めねばならぬ。安東愛季は自らにそう戒めた。




 安東太郎愛季の心配は、半分は当たり、半分は外れた。当たったのは新田吉松がそんなに悠長な人間ではないということである。そして外れたのは、一年程度で糠部を手に入れるのではという点である。吉松は一年どころか半年で統一するつもりでいた。


「当てが外れたな。新田は常備軍を増強しておる。大光寺ごとき、常備軍二〇〇〇で充分よ」


 大光寺家の石高は一六〇〇〇石である。かき集めれば八〇〇名程度の兵は用意できる。だが新田は米だけでも四〇万石を越えている。大光寺としては冬場に動いて、本領安堵の形で新田に従属したいと思っていたのだが、吉松は南部家崩壊から一ヶ月後に、大光寺領に電撃的な侵攻を開始した。不意を突かれた大光寺領では館が次々と落とされ、一〇日もせずに居城である大光寺城まで、新田は侵攻した。


「殿、威勢の良い若武者が暴れておりまする」


 視線を向けると、大柄な男が槍を振り回していた。身なりはみすぼらしい。ただの足軽に見える。だが強い。新田軍の鍛え抜かれた足軽を軽々と弾き飛ばし、そして大声で叫んでいた。


「吉松ぅぅぅっ! 新田吉松はどこだぁっ! 正々堂々、俺と勝負しろぉぉっ!」


「……バカかあの男は? 俺はまだ八歳だぞ? 童相手に一騎打ちするつもりか?」


 全員が肩を震わせている。確かに、吉松の最大の弱点は自分で戦えないことである。そのため、常に選りすぐりの護衛を付けていた。


「猪を捉えるのに、槍を使う必要もあるまい。投網にて取り押さえろ。バカを相手にするのは疲れる」


「ハッ、直ちに……」


 馬二頭が、白い息を吐きながら走る。挟み込む形で網が投げられ、暴れていた若武者は簡単に取り押さえられてしまった。後ろ手に縛られて、吉松のところまで引き摺られてくる。


「え? お前が、新田吉松?」


「無礼者がっ!」


 近習たちが怒鳴るが、吉松は特に気にすることなく、男の前に立った。


「俺が童であることを知らずに、勝負しろと叫んでいたのか? 身体は大きいが頭は弱そうだな」


「なんだと、この糞餓鬼ぃっ! ブヘェッ」


 怒った近習の一人が殴った。だが吉松は腹を抱えて笑った。思えば面と向かって罵られたのは、この時代に来て初めてのことであった。再び殴ろうとする近習を止めて、男に語り掛ける。


「お前の望みはなんだ? 大光寺城で死にたいのなら、解放してやるが?」


「俺は…… 俺は名を残してぇ。手柄を上げて、いっぱい飯が食えるようになりてぇ!」


「なるほど、活躍する場が欲しいのか。ならば俺のところに来い。新田はこれから、天下を相手に戦うことになる。数えきれないほどの戦をすることになる。俺の下で働けば、手柄を立てる機会など幾らでもある。もっとも、もう少し頭を鍛えねば、すぐに死ぬだろうがな。大方、字もロクに読めまい?」


「うぐっ……」


 痛いところを突かれたらしく、男は黙り込んだ。吉松は目の前の男が気に入った。功名心がありつつ、どこか素直なのだ。鍛えればモノになると思った。


「藤六の下に付けるか。身体と頭、両方を鍛えて貰えるだろう。名は?」


 だが男はそっぽを向いて俯いた。言いたくないらしい。


「言わねば、名無の権兵衛と呼ぶぞ? もう一度聞く。名は?」


「……滝本……重行」


「ほぉ…… 津軽滝本村の国人か。滝本重行、新田の将となれ。新田はこれから奥州統一の戦を始める。奥州の後は関東、甲信越、東海、畿内…… 日ノ本の果てを領するまで戦は続く。天下は広い。今のお前では足元にも及ばない強者がゴロゴロしているだろう。新田の旗の下で活躍し、そして天下の武辺者となれ」


 重行は嬉しそうに頷いて、何度も頭を下げた。まずは読み書きと礼儀作法からだなと思いながら、その肩を叩いた。

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