第66話 南部晴政の遺言

一.この度の野辺地での謀は、すべて南部右馬助晴政が一人で考え、命じたものである。他の者は晴政の命に従っただけであり、すべての責は自分にあることを明記する。


一.南部家に仕えるすべての家臣は小者に至るまで放逐する。妻および娘四名に対しては絶縁の上、三戸城からの退去を命じる。


一.三戸南部家に属するすべての国人衆には、その関係を解き縁切りとする。尚、これには石川、八戸、七戸など南部一族すべてを含むものとする。


一.以上が遂行されたのち、南部右馬助晴政は三戸南部家を断絶する。我が遺骸は墓に入れず、野晒とせよ。戒名も不要である。


 声を震わせながら、石川左衛門尉高信が南部晴政の遺言を読み上げた。要するに、自分ひとりが責任を負って死ぬ。三戸南部家の土地は全部譲る。ただし国人衆は知らん。縁切りしたから勝手にしろ。妻とは離婚、親権は妻にやる。親戚たちとも全部縁切りする。自分は三戸南部家の最後の一人となり、家を断絶する。どうせ墓参りなんて来ないだろうから、死体は捨ててくれ。そういう内容である。


 あまりにも異様、異例、かつ激烈な内容に、毛馬内靱負佐秀範や金沢円松斎をはじめ、新田家中でさえも唖然とし、そして黙った。吉松がどのような反応をするか、解らないからである。


「クックックッ……」


 八歳の童は低い声で笑い、そしてパチリッと扇子を閉じた。その表情は、およそ子供らしからぬものであった。遺言状を読み上げた石川高信は、思わず唾を飲んだ。


「南部晴政め、やってくれるわ。まさか最後の最後に、こんなものを仕掛けておったとはなぁ。左衛門尉が読み上げ、俺がそれを聞くところまで見越してのことだろう」


 吉松としては、石川高信をはじめ南部家の国人衆を臣従させ、数年を掛けてゆっくりと消化していくつもりでいた。晴政の娘たちは庇護下に置いて、いずれ誰かに娶らせる。八戸家など恨みを残しそうな家だけ取り潰してしまえばそれでいい。そう考えていた。

 だが南部晴政の遺言により、その計算は狂った。つまり目の前にいる石川左衛門尉高信は、自分と同じ「独立国人」となったのだ。無論、こんな遺言状など認めないという手もある。だが書かれていることは、南部家中のことだ。戦に勝ったとはいえ、他家の家中のことに口を挟む資格は、吉松にはない。


「どうする、石川殿。その遺言状により、石川家は津軽有数の独立国人、大名となった。俺と戦うか?」


 そう問いかけられ、高信はハッとなって慌てて頭を下げた。


「昨日、金沢が申し上げた通り、石川家は降伏します。すべての所領をお渡しします」


 ここで僅かでも逡巡すれば、独立国人としての野心ありと見做され、この場で首を刎ねられるかもしれない。まだ死ぬわけにはいかない。叔母や姪たちを守らなければならないし、各国人たちにも説明し、これからを考えさせなければならない。それができるのは、自分しかいないのだ。


「さすがは南部家筆頭家老、亡き晴政殿の懐刀よ。切り替えが早い。そこの生臭坊主には、あの下種げすな謀を考えた罪で死んでもらおうと思っていたが、遺言状を認めるということは、すべての責任は亡くなった晴政殿にあるということを、俺が認めねばならん。罪には問えんな」


「殿、いささかあもうございませぬか? 確かに、亡き右馬助殿(※南部晴政のこと)が決められたことでしょうが、それを企み実行した者はまた別かと存じまする。一度でも裏切った者は、何度でも裏切りまする。ここは遺言状など無視されて、果断なご決断をされては如何でしょうか」


 長門広益が意見する。確かにそれも一理ではあった。だが南条広継は別の意見を出した。


「藤六殿の御意見にも一理ありますが、それはかえって事態を悪化させるのではと、某は危惧いたします」


「悪化? 越中、どういうことか?」


「は。ここで遺言状を無視し石川殿、金沢殿に罪ありとして処された場合、どのようなことが起きるか。糠部の国人衆の多くは未だに健在でございます。新田は自分たちを許さない。皆殺しにされると思えば、彼らは連合するでしょう。晴政殿の死は、そう遠からず他国にも伝わるはず。九戸などは、高水寺斯波、葛西などと力を合わせようとするかもしれませぬ。そうなれば、先の南部家包囲網の二の舞となりまする」


「殿、某からも宜しいでしょうか」


 浪岡弾正少弼具統の意見は、今年の収穫についてであった。葉月(旧暦八月)から長月(旧暦九月)にかけての戦である。収穫に影響しないはずがない。これ以上の戦は、陸奥の領民を苦しめるというのである。また朝廷の問題もあった。大大名となったからには、朝廷に使者を出す必要も出てくる。苛烈な支配よりも民の慰撫に心を砕いたほうが、聞こえが良いというのだ。


「殿もお認めになられた、糠部の猛虎最後の願い。お聞き届けになるべきかと存じまする。三戸南部家筆頭であった石川殿が、所領を差し出して許されたと聞けば、国人衆の不安も和らぎ、民も安心いたしましょう」


「よし、越中と弾正少弼の意見を是とする。ただし、新田に臣従せぬ家は別だ。この状況で、なおも家の独立を保てるなど妄想を抱いている輩は、生かしておいても役に立つまい。左衛門尉」


「は、ハッ!」


 臣従した以上は呼び捨てである。新田家中での地位は決まっていないが、それでも元南部家筆頭なのだ。それなりの影響力は発揮してもらわないと困る。


「遺言状の写しを作成せよ。それに俺がこれから書く書状を加えて、すべての国人衆に撒くのだ。新田は晴政殿の遺言を認める。南部に従属していた国人衆は独立し、各々で判断せよとな」


「臣従せよとはお伝えにならないのですか?」


「自ら土地を差し出させることが肝要だ。三戸の家臣も同じよ。新田に仕えたいという者は召し抱えよう。他家に行きたいものは行けばよい。無論、敵対したければそれでも良いぞ。その時は容赦なく叩き潰すがな」


 南部晴政が、文字通り命を捨ててまで清算しようとしている負債に、さらに負債を重ねようとする馬鹿など生かしておく価値はない。臣従した者も当分は様子見だが、土地を没収し禄で仕えさせれば、そう簡単には裏切れない。陸奥と津軽の統治には、しばらくの時間が必要となる。その間に新田の流儀に染め上げればいい。


「弾正少弼」


「ハッ」


「其方にはいずれ、津軽全土の内政を任せることになる。石川左衛門尉ともよくよく話し合い、石川家の土地を吟味せよ。それとそこの生臭坊主、お前は俺の相談役になってもらう。御仏すらも見放しそうな極悪非道な坊主頭を、新田のために役立ててもらうぞ」


「ヒョヒョヒョッ! 拙僧でお役に立てるのであれば、お使いくだされ」


「最後に浪人、毛馬内靱負佐秀範殿


「あ…… ハッ」


 南部晴政は、すべての家臣を放逐した。当然、家老である毛馬内秀範も含まれる。新田に仕えていないため、吉松は殿を付けて呼んだ。これは本人に自覚を促すためでもある。


「其方は生き証人よ。遺言状の中身が本当かどうか、多くの者から問い合わせが来るであろう。正直に答えるもよし。嘘をつくもよし。好きにせよ。それと一つ、仕事を任せたい」


「は…… 何でしょうか?」


「どこから迷い込んだのか、陸奥の国人衆が二五〇〇ばかり津軽にいる。それに外ヶ浜には別に、一二〇〇程がいるな。通過を許す故、彼らを連れて糠部へ行って欲しい。無論、兵糧や路銀、手間賃も用意するぞ」


 合計で三七〇〇である。それだけで一つの力になる。だが彼らに戦う力はない。戦う理由がないからだ。


「去就は自分で決めよ。腹を切りたければ切るがよい。ただし、晴政殿がそれを望んでいるとは思えんがな。新田が求める天下の果てを見たければ、いつでも訪ねてこい」


 負けた。高信も秀範もそう実感した。目の前の童は、南部晴政の遺言状をすべて飲み込んだ。陸奥と津軽は、これから草刈り場になるだろう。まずは大光寺、大浦あたりからだろうか。そのためには一刻も早く、この顛末を知らせなければならない。大浦は解らないが、元から独立志向の強い大光寺は、新田には従わないだろう。そして鎧袖一触で滅ぼされるに違いない。


(いつか、兄の葬儀を行いたいものだ。そのためにも、俺は生きなければならん……)


 南部家の負けを噛みしめながら、高信は新たな目標を決めていた。

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