第64話 急転

 南部晴政の死によって、外ヶ浜の戦いは決着した。新田軍の残存兵力はおよそ一八〇〇、南部軍はおよそ一二〇〇である。どちらが勝者であるかは一目瞭然であった。だがそれは、外ヶ浜という局所での戦いにおいてである。津軽では南部軍が浪岡城に向けて侵攻しており、長門広益たちがそれを食い止めんと戦い続けていた。吉松たちは戦勝に浮かれることなく、すぐに津軽地方に転進しなければならなかった。


「御爺、本当にこの場を任せても良いのか?」


「うむ。傷ついた者たちを放っておくわけにもいくまい。それに、もう少し倅と一緒にいたいからの」


 吉松には、父親の八戸行政に対する感慨などほとんどないが、盛政にとっては新田の前当主であり自分の息子である。戦場でのならいとはいえ、その死を悲しまないはずがなかった。


「殿。進発の準備が整いました。ですが……」


 南条広継が言い難そうに、毛馬内靱負佐秀範に視線を向ける。三戸南部家家老である毛馬内秀範は、武器こそ持っていないが特に拘束されることもなく、吉松に従っていた。裏切るのではないか。あるいは吉松に危害を加えようとするのではないか。広継は言外に、吉松に懸念を伝えた。


「ふむ…… 靱負佐ゆきえのすけッ!」


 吉松の大声に、毛馬内秀範は顔を向けた。童が自分を見上げながら、ニヤリと笑う。


「逃げたければ、逃げても良いぞ?」


「なっ…… 某は逃げたりなど致しませぬっ!」


 驚き、そして怒気を見せる。主君である南部晴政から託された書状。これを主君の実弟である石川左衛門尉高信に届けなければならない。そして主君の最後を伝え、三戸南部家のこれからを守らなければならない。ここで逃げれば主君を裏切るばかりか、武士としての己の矜持すらも捨てることになる。考えもしないことであった。


「な? 毛馬内靱負佐秀範とはこういう男だ。だから南部馬之助晴政も、安心して後を託せたのだ。裏切るはずがない。余計な心配だぞ、越中」


「左様でございますな。靱負佐殿、申し訳なかった」


 そう言って、南条越中守広継は頭を下げた。無論、広継もそうだろうとは思っていた。これは一種の儀式である。新田家は、南部家家老すらも笑って許し、迎える。それを周囲に見せることで、降伏した南部兵たちも安心するだろう。


「よし、急ぐぞ。藤六(※長門広益のこと)たちが簡単に負けるはずがないが、早く着けばそれだけ死者が少なくて済む。御爺、頼んだぞ!」


 新田兵三〇〇を祖父の盛政に任せ、吉松は兵一五〇〇を率いて津軽へと出陣した。




 その頃、堂野前館には大光寺家を中心とする軍が、水木館には大浦家を中心とする軍が襲い掛かっていた。堂野前館には赤松隼人が、水木館には三宅藤太左衛門高重が守備隊を率いている。両名とも所領を返上し、新田家には禄で仕えているが、浪岡弾正少弼具統の推薦もあり、重要な場所を任されていた。


「撃てぇぇっ!」


鉄砲が火を噴く。大光寺遠江守政行は険しい表情を浮かべながらも、どこかに余裕を感じていた。


「あれが、左衛門尉殿が言っていた種子島か。確かに音も大きく、遠くを狙えるのであろう。だが数が少ない。弓矢と大して変わらんではないか。一気に攻め掛かれぇっ!」


 堂野前館に二〇〇〇以上の兵が殺到する。新田軍八〇〇名も必死に抵抗するが、頼みの鉄砲が思ったほどに力を発揮できないでいた。その理由は城の構造にあった。津軽の城は、籠城の際には弓や投石などで防御するよう設計されている。鉄砲を撃つようには作られていない。矢や石は放射線を描いて落ちるが、鉄砲は打ち下ろす形で使う。そのため撃てる場所が限られていた。


「不覚っ! 鉄砲を知っていながら、城の改修を遅らせていたのが裏目に出たか。鉄砲隊を一〇〇に減らし、城門前に集めておけ! 残りは鉄砲を捨てて矢で応戦しろ!」


 使えない武器に拘る必要はない。隼人は鉄砲を諦め、弓矢と投石、そして槍での戦いに切り替えた。ドンッ、ドンッという音が響く。城門を槌で破壊しようとしているのだ。破られたとしても、そこには鉄砲隊一〇〇丁が待ち構えている。だが止めることなど出来ないだろう。城内での戦いを覚悟した。


 同じことは水木館でも起きていた。武田甚三郎守信は、鉄砲の弱点を一瞬で看破した。精度と連射性である。横一列に並べての斉射とは違い、一丁で一人を狙うという使い方は、鉄砲には向かないのではないか。それに連射にも難があるように見受けられた。間髪入れずに放ってくる場合もあれば、時間が掛かる場合もある。安定していないのだ。


「数を揃えて野戦に持ち込めば、それなりに使えるのかもしれん。だが籠城では使えんな。使うためには城の作りそのものを変える必要がある。どうやらそこまでは、手が回らなかったようだな」


 そして立ち上がって指示を出す。


「兵の数はこちらが上。種子島とやらも音がデカいだけだ。総攻撃に懸念なし! 間断なく矢を喰らわせて敵を怯ませろ。その隙に城門を破る!」


 浪岡城を守る二つの館が総攻撃を受けようとしていたその時であった。


「後方に新田軍が現れました。その数、およそ五〇〇!」


「東から新田軍、その数、およそ五〇〇!」


 十三湊に配備されていた下国八郎師季もろすえ、蠣崎宮内政広が五〇〇の兵を率いて武田守信の軍に襲い掛かった。また浪岡城を出陣した長門広益率いる五〇〇は、そのまま南下し堂野前城を攻めている大光寺政行の側面を突いた。


「長門か。鬼藤という噂は聞いたことがあるが、戦場いくさばで相まみえるのは初めてだな。面白い。その手並み、見てやる」


 大光寺政行は凄みのある笑みを浮かべて東に顔を向けた。掛かれぇっ!掛かれぇっ!という大音声が聞こえてくる。広益は朱槍を振って足軽を弾き飛ばし、そして突き入れる。その様は正に鬼であった。


「長門藤六、推参! 続けぇぇっ!」


 鬼に率いられた獰猛な獣たちが、大光寺軍に襲い掛かった。


「若、あまり前に出られますな!」


「八郎、俺は若ではない。宮内殿と呼べぃ!」


 下国師季は、敵よりも味方である蠣崎政広のほうが気になった。初陣ということもあり、若さに任せたまま猛っている。乱戦になれば周りが見えなくなり、命を落とすかもしれない。


「若を御守りせよ! 敵は後方を突かれて混乱している。ある程度食い込んだら、一旦退くぞ!」


 後方を突かれた武田甚三郎守信は、顔色を変えることなく冷静に指示を出していた。十三湊から援軍が来ることは予想していた。その時の対処も考えていた。


「案ずるな。敵はこちらよりはるかに少ない。後方に五〇〇送り、守りを固めるのだ。こちらが崩れぬ限り、水木館の包囲は解けぬ。いずれ退くであろう」


 やがて日が暮れる。両軍とも一旦は兵を退き、その日の戦いは終わった。その夜、両館での戦いぶりに、石川左衛門尉高信は満足していた。まだ城門は破壊できていないが、明日には城内に入れるだろう。

 野辺地での一計から三日が経過した。主君南部晴政も、今頃は外ヶ浜を進軍しているはずである。明日の夕刻、あるいは明後日の昼当たりには浪岡城からも見えるところに現れる。そうすれば敵の士気は一気に挫け、浪岡城も簡単に落ちる。


「新田吉松とて翼があるわけではない。外ヶ浜はすでに兄上の手に落ちている。十三湊から兵を送るにしても時が足りぬ。この戦、勝ったぞ」


 勝利を確信していた高信のもとに、その報せが届いたのは夜中であった。外ヶ浜において南部晴政討死という報せである。高信は呆然とし、思わず尻餅をついてしまった。そして膝が震えはじめる。


「う、嘘だ…… あ、兄上が死ぬなんて……」


「殿、殿ッ! 御気を確かに! 新田は、新田の軍はその後どうなった!」


 家臣の栃尾靱負とちおゆきえが、高信の肩を揺すり、新田軍の様子を聞く。


「軍をまとめた後、津軽を目指して進み始めました! その勢い凄まじく、すでに新城川を越えておりまする!」


「信じられん。なんという速さだ……」


 栃尾靱負は呆然としながら、戦の終わりを予感した。




「殿、この速さでは兵の体力が保ちません!」


「構わん! 我らが姿を見せれば、それだけで南部軍は退く。ここは一刻も早く、浪岡まで進むのだ! 浪岡に着けば好きなだけ寝かせてやる! 好きなだけ食わせてやる! 好きなだけ抱かせてやる! 踏ん張れぇっ!」


「「おぉぉっ!」」


 新城川を越えた新田軍は、休むことなく進み続けた。全員の眼が爛々と輝いている。最大の敵は既に倒しているのだ。あとは掃討戦のみ。いや、戦にすらならないだろう。そして目の前の童が、糠部と津軽の支配者になる。自分たちには想像を絶する褒美が与えられる。欲望と高揚に、兵たちは狂っていた。


「お、恐ろしい…… このお方はどこまで……」


 南条広継は、野獣の群れを率いる八歳の童の姿に戦慄した。

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