第62話 外ヶ浜の決戦(全編)
強行軍で移動してきたため、南部軍は夏泊半島の山道を抜けたところで陣を構え、一夜を明かした。当然、南部軍が迫っていることは新田軍側も把握しており、この地で決戦となることは一兵卒に至るまで、皆が自覚していた。
「新田を避けて迂回するというのは……」
「無理だ。後方を突かれる上に、兵糧が足りなくなる。津軽で飢えることになりかねん」
南部軍の計算は既に破綻していたのである。新田は十三湊を使って援軍を送ってくる。南部軍はそう考えていた。まさか命を狙われたその日のうちに、田名部から移動するとは考えていなかったのだ。
「ここで決着をつけるしかない。理由は三つだ。まず兵糧が足りん。新田は外ヶ浜を利用して本拠地から幾らでも輸送できるが、此方は山越えをせねばならん。迂回して浪岡を目指したところで、到着したころには兵糧が尽き、城攻めどころではなくなる。次に津軽の状況だ。新田がこの地にいることは既に浪岡にも伝わっているはず。後方に不安なしと判断し、城の全軍を前に出していることだろう。津軽の軍は五〇〇〇、新田は二〇〇〇から二五〇〇。数の上では有利だが、それでも幾つもの砦を落とすには不安がある。挟み撃ちにしてはじめて、浪岡を獲れる。そして最後に、安東の動きが不安だ。比内から津軽に軍が動いたことは安東も把握しているはず。恐らく総力を挙げて比内大館に攻め掛かってくるだろう。幾らかは食い止めるであろうが、万一にも比内大館が落ちれば、鹿角との道に不安が出る」
毛馬内靱負佐秀範に言われるまでもなく、南部晴政はここで決着をつけると決定していた。理由はただ一つ、新田吉松が目の前にいるからである。
「問題は一つ。種子島という武器だ。新田はこれを大量に保有している。弓矢よりも遠くの敵を殺すことができるそうだ。だが連射ができないという欠点もあると聞いている」
新田盛政の情報である。信用できるという保証はない。だが毛馬内秀範は、盛政はすべてを語っていないにしろ、嘘はついていないと考えていた。かつて共に、戦場を駆けた仲なのだ。盛政は、そうした小賢しい策略を巡らすような男ではない。秀範はそう確信していた。
「新田吉松が、欠点をそのままにしているはずがない。種子島は弓と同等に連射できると想定しておくべきだ。ただ無暗に突撃すれば、浪岡の二の舞になるであろう」
南部晴政が口を開く。こと戦においては、晴政の判断力は確かであった。内政においては新田吉松の方が上であろうが、戦略・戦術においては決して負けてはいない。家臣たちは皆がそう信じていた。
「軍を五〇〇単位で分けるぞ。さらにその五〇〇を一〇〇単位で五つに分ける。一〇〇名も、一〇名一列で一〇列を作れ。後ろの兵は前の兵に隠れるように進むのだ。そして三方向から同時に波状攻撃を掛ける」
種子島を、長距離から相手を殺傷できる強力な弓隊と想定したとき、相手に勝つにはどうしたらよいか。狙いを一点に絞らせないこと。そして次を放つ前に相手に接近してしまうことである。
「殿、直属の五〇〇はどうされますか?」
秀範の言葉に、晴政は口端を上げた。
「儂が率いる」
「さすがは南部晴政。この状況で、兵を完全に掌握している」
南部軍の配置を確認した吉松は、思わず呻いた。戦国時代の戦の欠点は、国人衆単位で戦が動くということである。つまり、ある国人衆は五〇〇、別の国人衆は三〇〇というように、それぞれの家がそれぞれに率いる兵で戦っていた。統一された意思によって戦場全体が一つの盤面とはならず、個々バラバラの戦いが寄せ集まっているのが戦場である。これは関ヶ原まで続いた。その結果、あるところでは奮戦し、あるところでは戦いにすらならないという不均衡が生まれる。
だが南部晴政は、この土壇場で二〇〇〇の軍を完全に掌握した。国人衆は「軍事専門家」として現場指揮官の機能を果たし、南部晴政が後方で指揮官を統制する。近代型の指揮命令系統を構築したのだ。
「殿、南部軍は三方向から仕掛けてきます。どうされますか?」
「越中に前線指揮は任せる。いざとなれば鉄砲は捨てて構わぬ。個々の兵の力はこちらの方が上だ。乱戦でも十分に勝算はある」
新田軍も慌ただしく動く。本陣に座る吉松は、これまでを振り返った。三戸南部家は自分が生まれたときから巨大だった。新田を育てここまで大きくしたが、それでもなお、南部家の方が大きい。
南部家を倒す機会はあった。あの包囲網の時である。新田が盟約を破って南部家に仕掛けていたら、恐らくはもっと楽に勝てただろう。だが南部家を支配することはできなかったはずだ。盟約を破った卑怯者に、誰が仕えたいと思うだろうか。信頼がなければ、上司と部下、経営者と従業員の関係は成り立たない。
(南部家をここまで追い詰めたのだ。あの時の判断は間違ってはいない。国人衆の中にも後ろめたさがあるはずだ。晴政さえ討ち取れば、あとは降伏するだろう。陸奥、津軽全土に新田の統治が及ぶまで三年といったところか)
法螺貝が聞こえた。吉松は振り返ることを止めた。
「放てぇっ!」
鉄砲隊八〇〇が三段斉射を行う。走り迫ってくる南部軍が倒れていく。だが先年の五所川原の時とは勝手が違った。身体を小さくし、一丸となって迫ってくる。そしてその後からも塊が続く。南条広継は、鉄砲隊の弱点を悟った。横一列の斉射は確かに強力だが、斜陣に対しては弓隊ほど迅速に反応が出来ない。三段構えであるため、身体を入れ替え、向きを定めて撃つ。二呼吸ほどの遅れだが、この間にどんどん迫ってくる。
「これが南部晴政か。鉄砲隊と戦うのは初めてのはずなのに、ここまで対応するか。鉄砲を捨てて槍を構えろ!」
広継は、敵が名将であることを認めた。だが南条越中守広継もまた、若くして蠣崎家の重臣となった俊英である。直ちに乱戦への対応に切り替えた。両軍がぶつかる。削れた兵はせいぜい五〇〇程度であった。
鉄砲への突撃という五所川原と同じ展開であったのに、両軍は思わぬ乱戦の中にいた。
「殿、敵とぶつかりました。好機です!」
南部晴政はその言葉を受けて、
「よし。ここは靱負佐(※毛馬内秀範のこと)に任せる。儂の手で、吉松の首を落としてくれる」
「なりませんぞ、殿。騎馬隊は某が率いまする。殿はこの場で……」
トンッと晴政の手が秀範の胸に当てられる。その手には二通の書状が握られていた。
「其方に預ける。儂に万一のことあれば、この書状を新田吉松と石川左衛門尉に届けるのだ」
「殿ッ!」
主君は死を覚悟している。秀範はそう悟った。状況は確かに、南部軍の方が不利である。兵糧も少なく、兵は体力を消耗し、鉄砲で兵力も削られた。今は乱戦だが、いずれ旗色は悪くなる。それを打開するには、騎馬隊による敵本陣への強襲しかない。
(新田軍の弱点は、船で移動してきたため馬が少ないことよ。つまり逃げられん。三方向から攻め立てて乱戦に持ち込み、その隙に騎馬隊で本陣を突く)
「この戦は儂の戦よ。儂が率いねばならぬ。万一にも、吉松を取り逃がすわけにはいかぬ」
総大将自らが騎馬隊を率いて突撃すれば、それだけで士気は大きく上がる。だがあまりにも危険すぎる。大将は最後まで生き延びねばならない。たとえここで負けても、生きて雌伏すればいい。そう諫言する。だが晴政は首を振った。
「儂は南部家の頭領。名を汚した責は負わねばならぬ。負わねば、南部一族が永劫に責められる。卑怯者と罵られるのは構わぬ。だが臆病者と蔑まれることだけは我慢ならぬ!」
「……ご武運を!」
そして秀範は晴政の背中を見送った。これまで見たどの背中よりも力強かった。
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