第61話 秋空

 津軽三大名の一角である浪岡北畠氏は、南部家庶流の石川家をはじめ大光寺家、大浦家と争っていた。そのため浪岡城を守る砦は、主に南西方面に集中して配置されている。大光寺氏の居城である大光寺城から浪岡城までは、直線距離にすればそれ程離れてはいないが、幾つかの川を超える必要がある。戦国時代ではそうした川辺の要衝に砦が築かれ、天然の堀として河川を利用していた。


「石川殿。これは一体、いかなることなのか? 我らは檜山に向けて出陣するのではなかったのか?」


 石川城内の評定の間において、大光寺家当主、大光寺遠江守政行は不機嫌そうな表情を浮かべていた。当主の実弟にして大浦家を取りまとめている武田甚三郎守信は無表情のままだが、内心で強い疑念を抱いていた。それは鹿角から来た国人衆たちもみな同じである。なんのために自分たちはここにいるのか。説明する必要があった。

 そしてすべては新田に対する策謀であったこと。津軽から新田を追い出すため、これから浪岡城に向けて進軍することを伝えられる。案の定、評定の間は怒号に包まれた。


「ふざけるな! 斯様に大事なことを、なぜ我々に黙って進められたか!」


「石川殿。貴殿は勘違いをされておられぬか? 我らは確かに南部一族に連なり、三戸に従属している。だが臣下ではない。あくまでも従属同盟だ。其方そちらが我らをそのように遇するのであれば、此方こちらとしても考えねばならぬが?」


「ならばこのまま黙って、新田に滅ばされるおつもりかっ!」


 激高する大光寺政行と、淡々と不満を表明する武田守信に対して、石川高信は険しい表情を向けて一喝した。普段は温厚な高信が見せた激しい表情に、二人をはじめ国人衆たちは黙った。


「新田は国人衆が土地を持つことを認めておらぬ。浪岡の国人衆はすべての領地を召し上げられ、禄によって仕えさせられた。日ノ本すべての土地を新田が領する。それがもっとも多くの幸福を生み出すのだと、新田吉松は明言したという。つまり南部家も、大浦家も、大光寺家も、糠部津軽に生きる他の国人衆たちも含め、すべての土地を奪うと言っているのだ。それで良いのか? 始祖南部三郎光行公が、鎌倉より糠部五郡を与えられてから数百年、連綿と守り、広げてきた我らの土地が奪われようとしているのだ。このまま座して滅びた後、どのように御先祖に顔向けするというのか!」


 彼らを纏めるには明確な敵が必要である。そして新田を敵にするには絶好の口実があった。それが武士の本分「一所懸命」である。土地を奪われるという恐怖によって、国人衆を纏め上げようとした。

 政行も守信も黙ったままであった。高信の言葉には真実がある。たしかに、このままでは新田はさらに大きくなり、そして自分たちは飲み込まれるだろう。だが新田は、本領安堵など認めない。禄によって臣下となるか、それとも滅びるか。この二つしか選択肢がないのだ。


「……だが、新田吉松に勝てるのか? あの浪岡北畠を僅か一日で滅ぼした怪物ぞ?」


「勝てる。なぜなら、新田吉松は野辺地において死ぬからだ」


 大光寺政行の懸念に、石川高信は自信ありげに頷いた。無論、内心では違う。上手くいくかどうかは五分五分だと考えていた。だがこの場で、それを見せるわけにはいかない。

 そして野辺地での謀殺計画を説明する。そのあまりの卑怯、卑劣な謀略にはさすがの二人も顔を顰めたが、どこかで南部晴政らしいという思いもあった。どんな悪名すらも恐れない。それが南部晴政の強さである。


「……承知した。それ程の覚悟ならば、某も従おう。ただし、新田吉松が生き延び、この津軽に現れた段階で、我が大光寺家は撤退する。宜しいな?」


「大浦家も同じく。それともう一つ。浪岡城を落とした暁には……」


「それぞれの御家にて、好きにされるが良かろう。今、我が兄南部馬之助晴政が、此方に向かっているはず。大きな利を得たければ、励まれよ」


 浪岡での略奪を認めることで、ようやく国人衆たちも落ち着いた。天文二二年長月、石川城から南部軍およそ五〇〇〇が出陣した。奇しくも、新田吉松が野辺地の死地を脱した時刻と、ほぼ同時であった。




 南部軍の侵攻という報せは、すぐに浪岡城に齎された。もともと、盟の延長という話に疑問を抱いていた長門藤六広益は、直ちに防衛体制に入った。浪岡城を取り囲む城や砦には、浪岡弾正少弼具統から助言を貰いつつ、信のおける国人衆を重点的に置いている。だが強化のための改築は進んでいない。治水賦役に人手が取られていたためだ。


「それぞれの砦には籠城するように急使を出せ。それと十三湊に置いてある兵五〇〇へもだ。十三湊には若…… いや蠣崎宮内殿と下国殿がいる。初陣だと伝えよ」


 浪岡城内が慌ただしく動く。浪岡城防衛の砦は大きく三つ。浅瀬石川を堀とする堂野前館、浪岡城と石川城を繋ぐ街道を押さえている水木館、そして浪岡城の喉元にある川原御所である。


「堂野前館と水木館には、それぞれ八〇〇ずつ兵を置いておる。弓、槍、鉄砲、兵糧も十分。しかし川原御所は違う。十三湊からの兵を入れるべきであろう」


 元浪岡家の領地であるため、具統は地理を熟知していた。対南部戦線は、なんとか持ちこたえられるだろう。だが懸念は後方にあった。


「南部晴政が野辺地から青森を通って進んでくれば、我らは進退窮まる。それに殿が心配だ。野辺地は死地となったはず。果たして御無事であろうか……」


「我らが殿は神童…… いや、宇曽利の怪物。簡単に退治されるお方ではない。だが……」


 だが田名部から兵を率いてきたとして間に合うか。田名部二〇〇〇の兵を十三湊に送るには、船を往復させる必要があるためどんなに急いでも四日は掛かる。そこから浪岡までさらに二日。つまり六日を要するのだ。一方、野辺地から浪岡までは、急げば三日で軍を進めることが出来る。南部晴政が浪岡城まで来れば、敵の勢いは増し、味方の士気は挫けるだろう。


(あと二年あれば、完全に準備が整ったのだが、時が足りなかったか……)


 城を枕にしての討ち死に。長門はそこまで覚悟した。だがその覚悟は、翌日になって霧のように消えた。新田本軍が陸奥乃海を船で夜通し渡り、青森に入ったという報せが届いたからである。


「信じられん。なんという速さか……」


 具統は絶句した。理屈を言われれば、出来ないことではないと理解はできる。だがこれを齢八歳の童が成したのだ。まさに怪物の所業である。おそらく、誰が聞いても信じないであろう。


「よし、ならば俺も動くとするか」


 長門の貌が変わる。蠣崎家にこの人ありと言われた、戦人の顔つきであった。


「出陣されるのか?」


「南部晴政は来ぬ。ならば浪岡城の兵は前に出すべきであろう? 馬引けぇぇっ!」


 大音声が浪岡城に響いた。ガシャガシャと甲冑の音が連なる。具統は自分の中にも、熱いものが込み上げてくるのを実感した。不思議なものである。当主の座を降り、一介の武士となって初めて、戦に出てみたいと思った。自分の変わりように愉快になり、自然と笑い声が漏れた。




 夏泊半島、平内の山道を軍が進む。道が狭いため細長くなって進むしかない。その軍を、冷たい眼差しで見つめる集団がいた。加藤段蔵率いる九十九衆、そして山の民たちである。


「もうすぐウサギが近づきやすぜぇ(新田盛政が通るまであと僅か)」


「ウサギじゃぁ、しゃぁねえな。猪はいねぇのかい?(周囲の警備はどうなっている?)」


 符丁を使いながら会話をする。やがて山道の途中で小休止となった。盛政が小用だというと、兵四人に連れられて藪の中に入った。その時、南部軍に向けて四方から一斉に矢が放たれた。


「敵襲! 敵襲!」


「どこからだ!」


 だが矢の数が少なく、混乱はすぐに収まった。そして気づく。新田盛政が戻ってこないのである。見つかったのは首を掻き切られた兵士の死体だけであった。

 毛馬内秀範はその報告を聞くと頷いて、おざなりの捜索だけを命じた。南部晴政は、たわけがと一喝したが、それで終わりである。そもそも死を覚悟している盛政に、人質の価値はない。下手に人質にしようとすれば、舌を噛み切って死ぬだけであろう。そしてそうなれば、弔い合戦の名目を与えることになる。逃げられるのは惜しいが、下手に扱う訳にもいかなかったのだ。


(盛政殿、御無事で……)


 秀範は自軍に戻る途中、森の中に視線を向けてそう祈った。




 南部軍二〇〇〇のうち、その報告を最初に信じたのは、当主である晴政であった。家老の毛馬内秀範ほか、家臣たちの誰もが信じなかった。いや、信じたくなかった。


「なぜ…… なぜここに新田がいるのだ!」


 誰かが怒鳴った。怒鳴りたくなるのも当然である。つい二日前に殺されそうになり、宇曽利(※下北半島)に遁走した八歳の童が、黒字に金糸で「三無」と描かれた旗印を風に靡かせ、完全武装の二〇〇〇の軍を率いて目の前にいるのだ。しかも馬止などもしっかりと築かれた堅陣まで敷いている。


「新田吉松とは、本当に物ノ怪なのか?」


 一刻も早く津軽に入る。そのために無理をしながらここまで進んできた。そこに待ち受けていたのは、自分たちと同兵力の敵軍だった。自分の眼を疑い、あやかしではないかと思う者までいた。


「落ち着け。恐らく陸奥乃海を渡ったのであろう。不眠不休で渡れば不可能ではない。靱負佐(※毛馬内秀範のこと)よ。ここで新田と決着をつける。兵を休ませ、食事を与えよ」


「殿、しかし……」


「少し、やっておきたいこともある。言う通りにせよ」


 新田軍まで少し距離がある場所で、慌ただしく陣を張る。晴政は、秋晴れの空を見上げた。

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