第57話 策を隠すは策也
夏を迎えたといっても、最北端の宇曽利郷においては夜になると涼しくなる。月に一度、祖父の顔を見るために田名部館に戻った吉松は、
「……段蔵か」
「御意。御休みのところ申し訳ございませぬ。至急、御知らせしたきことがあり、忍び込ませていただきました」
「宿直の者たちは、気づいていないのか?」
「はい。ただお叱りにはならぬよう。並の忍びではここまで来れませぬ。いずれ九十九衆の者たちも、御守りに付かせていただきまする」
吉松は短剣を横に置いて布団の上に胡坐した。加藤段蔵が第一級の忍びであることに、疑いはない。だが段蔵に出来たことなら風間出羽守にも出来るかもしれない。そしてその時は、自分は死ぬかもしれないのだ。警備については見直す必要があるだろう。
「それで、至急の知らせとは?」
暗闇に向けて問い掛ける。本来なら顔と顔を合わせて話し合うべきだろうが、この闇ならば同じである。段蔵も気にすることなく、用件を口にした。
「三戸城で奇妙な動きがございまする。どうやら、御嫡女の桜様を殿に娶らせ、お二人の間に生まれた男子に三戸南部家を継がせることを条件に、殿に南部家家督を譲る。自分は隠居し、実弟のいる石川城に入る。評定の間で、馬之助殿(※南部晴政のこと)自身がそう口に致しました」
「ハッ…… あり得ぬわ。南部晴政は猛虎。病に倒れて動けぬというのならともかく、五体満足のまま隠居などせぬ。動ける限り戦い続ける。それが晴政という男よ」
「されど、石川城からは家老の金沢円松斎が三戸に入り、しきりと話し合いをしております」
「内容は聞き取れなかったのか?」
「申し訳ございませぬ。三戸城の天井裏には、忍び殺しの対策が施されておりました」
「つまり南部晴政は、こちらが諜者を使っていることを察知している、ということか。それにしても、忍び殺しか。それは新田にも導入せねばならぬな。で、その上で評定では半ば降参めいたことを口にしたか。こちらに知らせるためか? 他に動きは?」
「御父君である八戸行政様もお呼びになられ、話し込まれていました。少なくとも表面上は、南部晴政は殿に対して、折れるように動いておりまする」
「親父まで呼んだのか」
吉松は苦い顔になった。今さら親子の情愛などはない。だがそれでも、八戸に対して複雑な思いはある。もし八戸が下るのであれば、一門衆として新田の中でも他家が嫉妬しない程度に優遇してもよい。たとえ下らずとも、出来ることなら殺し合いたくはない。数える程度しか顔を合わせていなくとも、それが血の繋がりというものである。
「その動き、引き続き調べよ。出来るだけ詳しく」
暗闇から気配が消える。再び横になった吉松は、明日には浪岡に戻ろうと思った。
動きがあったのは、吉松が浪岡に戻ってから四日後であった。三戸南部家の使者として、石川城から金沢円松斎が来たのである。吉松の他に重臣として長門広益、南条広継が、また元服したばかりの蠣崎政広、厚谷季貞、小山元政、下国直季が控えとして座る。四人はまだ評定衆ではないが、政軍両面で働き始めており、いずれは新田の重臣となっていくだろう。
「この愚僧に御目通りの機会を頂き、ありがとうございます」
「円松斎殿御自身がわざわざ足を運ばれるとは。なにか重大なことかな?」
金沢円松斎は、毛利家で言えば安国寺恵瓊の立場に近い。津軽における政事のほか、国人衆との交渉なども担っている。僧侶でありながら、権力側に身を置き働く。つまり完全な生臭坊主であった。もっとも、金崎屋の例にある通り、吉松としてはそうした人物は嫌いではない。
「本日はとても御目出度いお話をお持ちしました」
金沢円松斎が持ってきた話は、段蔵から事前に聞かされていた内容ではあったが、長門も南条も驚いていた。簡潔にまとめるならば以下になる。
1.南部馬之助晴政の嫡女「桜」を新田吉松の許嫁とする。
2.残り二年の不戦期間を三年延長する。四年後、不戦期間が残り一年の時に吉松は元服し、正式に嫡女桜と婚姻する。
3.南部家と安東家との戦に、新田家は交易以外の関与は一切しない。
4.五年後、不戦期間終了と同時に、南部晴政は隠居し、家督を新田吉松に譲る。
5.吉松と桜との間に男子ができた場合は、南部家の嫡男とする。
6.以上の盟約の保証として、油川城を含めた外ヶ浜全域を新田家に割譲する。
「無論、この盟約については
「ふん、なるほど。良く練られた策よな」
「……と、仰いますと?」
「油川は、すでに新田への臣従を決めておる。石川や七戸が慌てたとこで、今さらどうすることもできまい。故に、外ヶ浜を新田に呉れてやっても惜しくはない。三年の延長と言うのは、あと五年あれば檜山を落とせるという見込みがあるからであろう? 嫡女については四年後に病になり、婚姻をズルズルと引き延ばす。そして檜山を落とした段階で盟約を反故にし、新田に襲い掛かる……そんなところか?」
金沢円松斎はペシリと自分の禿げ頭を叩いた。そして笑みを浮かべる。
「実はそうした御懸念をお持ちになるのではと、三戸でも話し合いをしておりました。それであれば今すぐに、馬之助様御嫡女、桜姫を輿入れさせましょう。田名部にてお預かり頂いて構いませぬ」
「なに? 本気か?」
吉松は一瞬、表情を変えた。盟約の保証として娘を人質に出すということである。長門広益も南条広継も考える表情になっていた。さすがに八歳の女児を人質に取るなど、外聞が悪すぎる。南部晴政は、少なくとも新田との盟約は守っているのだ。本来は人質など不要である。
だが実際に人質に取るかは別として、そこまで腹を括っているという事実が重要であった。これは慎重に判断する必要があると思った。
「話は解った。だが簡単には返答できぬ。家中の者たちとよくよく話し合いの上、御返事しよう」
「相解っておりまする。何卒、良しなに……」
金沢円松斎が下がると、吉松は当主の席に座ったまま、しばらく考え続けていた。
(南部晴政は何を考えている。起請文を交わし、娘を人質に出す。これで盟約を反故にしようものなら、南部家の名声は地に落ちるぞ。晴政のみならず、家臣皆が卑怯者と終生、言われ続ける。まさか本気か? 隠居しようとも影響力を発揮し続けられる…… そう思っているのか?)
「……二人はどう思うぞ?」
問い掛けられるまで黙っていようと決めていたらしく、まずは長門から意見を述べた。
「殿、どうも裏がある気がしてなりません。このまま二年後、不戦の盟が切れると同時に仕掛ければ、我らは安東と連携して動けまする。御受けになる必要はないかと……」
「されど、殿が南部家家督を御継になられれば、血を流すことなく南部領全域を手にすることが出来まする。そうなれば浅利、安東とて殿に服従しましょう。御当家は一気に、奥州屈指の大大名へと躍進致します」
「確かに、上手くいけばな……」
新田の強みは、北に敵がいないことである。蠣崎は既に臣従し、蝦夷の民については時間をかけて、貨幣経済への取り込みを図っている。後方を気にすることなく、全軍を南へ南へと進められる。もし南部領全域が無傷で手に入ったら、一〇年で関東進出、二〇年で畿内進出、三〇年で天下を統一できるかもしれない。
「藤六(※長門広益のこと)の言う通り、裏がないとは思えぬ。五年後、晴政は四〇を超えているが、それで隠居するであろうか。嫡女を犠牲にしてでも、盟を破る…… そう腹を括っているのか?」
「殿、さすがにそれは…… 失うものが余りにも多すぎまする。南部家は国人衆の集まりです。もしそのようなことをすれば、相次いで離反しましょう。少なくとも独立志向の強い九戸、大浦、大光寺は、三戸に強い疑念を持つに違いありません」
南条広継の意見には、長門藤六も頷いた。晴政の嫡女「桜姫」は、吉松と同じ齢八歳である。八歳で親元を離れて人質に出され、その親が舌も乾かぬうちに盟を破ったために殺されたとなれば、外聞が悪すぎる。熊野牛王符など何の保証にもならないが、嫡女を人質に出すとまで言われれば、信用しないわけにもいかない。
「この話、断った場合は新田に、どんな不利益がある?」
二人の重臣は互いに顔を見合わせ、それぞれの意見を述べた。
「某であれば、新田は争いを望んでいる。せっかく南部家が嫡女を人質に出すとまで譲歩し、和平の手を差し伸べたのに、それを無下にした。平和を乱すのは南部にあらず、新田である。そう喧伝するでしょう。南部家中は一気に、新田憎しでまとまると思われます」
「私も同じ意見です。さらには高水寺、葛西、大崎、戸沢などにもそうした書状を送るでしょう。御家を悪者扱いし、三無の旗印は嘘であると流言します」
「嫌なことを言う」
吉松は顔を顰めた。だが自分でもそうするだろう。ならどう対策を打つか。
「話を整理するぞ。事の発端は、檜山安東家が、鷹ノ巣に砦を築いたことにある。これにより、安東家を二年で滅ぼすことが難しくなった。そこで南部家は、新田との不戦の盟を延長しようと考えた。だがタダでは延長できない。すでに新田と共同で治水にあたっている油川をはじめとする外ヶ浜を譲渡することで、その見返りとする。だが新田を信用させる必要がある。そこで起請文の他に、嫡女を俺の嫁として新田に出す。実質は人質だな。俺としては、齢八歳の娘を人質に取るというのは、どうかと思うがな」
二人とも頷く。新田は苛烈ではあるが、民には優しい。また臣従し真面目に働く者には、驚くほどの見返りを与える。皆が豊かに、幸福に生きられる世を作る。それが、新田が天下を獲る大義名分である。八歳の幼女を人質にとるというのは、その大義名分に傷をつけるのではあるまいか?
「誓紙を交わす際に、桜姫と顔合わせをさせてもらう。それで十分ではありませぬか? 今のところ、南部家は御家との約束を破ってはおりませぬ。南部右馬介殿の隠居についてはともかく、現在の不戦については、信用しても宜しいかと」
「某も同意見です。確かに、南部晴政は油断ならぬ男。されど、さすがに女児を人質に取るというのは、外聞が悪すぎまする。いずれ不戦の盟を破るであろうことを前提に、兵を整えておく。もともとこちらは、二年後の決戦を想定して準備をしてまいりました。油断さえしなければ、たとえ裏切られようとも問題ありません」
南部晴政が隠居などするはずがない。これは檜山を落とすまでの時間稼ぎに過ぎない。だが時間は新田にも味方するのだ。外ヶ浜を押さえれば、新田の力はさらに増す。南部晴政が、盟約を反故に出来ぬほどの力を見せつければよい。
「良かろう。この話、受けよう」
パチリッと扇子が音を立てた。
「……と、吉松殿はお考えでしょうな。大殿が盟約を違えることを前提に、この話を御受けになるでしょう。新田にとって、外ヶ浜は喉から手が出るほど欲しいはず。浪岡と田名部は堂々と行き来できるようになりますからな」
石川城において、城主の石川左衛門尉高信は、金沢円松斎から交渉の首尾を聞かされていた。高信の表情は暗い。本来なら、こんな策は認めたくなかった。だが残り二年で檜山安東家を滅ぼすことは困難であり、その二年で、新田との力関係が逆転してしまうであろうことも予想できた。今しかないのである。
「確かに、吉松殿は神童です。いえ、神童を超えた怪物ですな。されど優れた方故に、策を見破ったら疑いませぬ。策を隠す最良の方法は、他の策を見破らせることでございます」
南部晴政が隠居などするはずがない。ならばこれは時間稼ぎに過ぎない。実際に、桜姫を人質に取るわけにはいかない。恐らく南部家は、人質は不要と新田が言うことまで想定しているのだろう。だが外ヶ浜を手にすれば、新田はさらに大きくなる。盟約が破られることを前提に、延長の時間を有意義に使えばいい。
吉松はそう喝破した。喝破したつもりになっていた。
「まさかこの話、一から十まですべてが策とは思ってはおられますまい」
ヒョヒョヒョと嬉しそうに笑う円松斎に、高信は釘を刺した。
「油断はするなよ。相手は宇曽利が生み出した怪物、新田吉松だ。北畠顕家公以上の神童ぞ。僅かでも疑いを持たせれば、策を見破るに違いない。秘中の秘とせよ」
円松斎は笑いながら、ペシリと自分の禿げ頭を叩いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます