第56話 南部晴政の決断

  天文二三年(一五五四年)初夏、新田盛政は田名部館から眩しそうに、陸奥湾の方角を眺めていた。丘の上に建てられている館からは、田名部の街並みが一望できる。数年前とは目覚ましい違いがそこにはあった。家々はみな瓦葺になり、日の光を反射して輝いている。道は綺麗に舗装され、どこまでも真っ直ぐに伸びている。東には、青々とした田畑が広がっており、今年の豊作が期待できる。

 盛政は感無量であったが、一抹の寂しさも感じていた。新田は急速に大きくなり、孫の吉松は津軽浪岡城を拠点として動いている。宇曽利郷(※下北半島)には、田名部の名を得た吉右衛門が残っているが、日々忙しく動いている。数年前は気軽に街に出かけて、民たちと言葉を交わすことができたのに、新田の家が大きくなるにつれて、そうしたこともできなくなった。新田吉松にとって、自分は残された唯一の親族である。だからこそ人質としての価値も大きい。いつのころからか、常に警備兵が周りにつくようになった。気軽に出かけられないのは窮屈に感じていた。

 だがそれ以上の不安があった。八戸で暮らす息子夫婦と上の孫のことである。新田が大きくなれば、相対的に八戸への視線が厳しくなる。理由はどうあれ、吉松は新田家を乗っ取り、実の父親を追放した。これにより八戸家とは完全に断絶した。だが血は水よりも濃いともいう。息子である八戸行政はともかく、義理の娘である「春乃方」からは、毎年挨拶の書状が届いている。それだけが唯一の繋がりであるが、二年後にはその繋がりすら切れるかもしれない。


(親子で殺し合うなど、なんという不条理じゃ……)


 出来れば和解して欲しいと思うが、それが極めて難しいことも理解していた。根城八戸家は南部一門の中でも重きを為している。裏切りの可能性が一分でもあれば、後方などは任せられない。新田との戦いでは先方を任せられるだろう。そうなれば、鉄砲隊によって大勢が死ぬかもしれない。その中に息子が入っていないという保証はどこにもない。


「御隠居様、七戸に連なる国人衆から書状が届いておりますが……」


 考え事をしていると、側仕えの者が書状を持ってきた。所領安堵を条件に新田への内応を持ちかける手紙であったが、一読して書状箱に放り込む。こうした書状に対して、自分は一切返事をしないし、吉松に対して意見もしない。新田吉松は甘い男ではないが、それでも情はある。自分が何か言えば、それだけで吉松を困らせることになるかもしれない。だから書状をそのまま吉松に送るだけで、自分は何も言わないようにしていた。


(八戸内応などの噂を流して、南部家中の疑心暗鬼を誘うこともできる。だが吉松はそれをしない。頑なに八戸には触れようとしない。それが息子としてできる、親に対する情の表れなのだが、倅には理解できぬであろうなぁ……)


 自分の眼が黒いうちに、新田と八戸の和解を見ることが出来るだろうか。盛政は寂しそうに首を振った。




 一方その頃、津軽浪岡城では一つの儀式が行われていた。蝦夷蠣崎家嫡男、蠣崎彦太郎の元服である。烏帽子親は長門藤六広益、参加者には実父である蠣崎若狭守季広、下国八郎師季もろすえ、南条越中守広継、明石季衡すえひら、厚谷文太郎季貞すえさだ、など蠣崎家当主から重臣までが揃った。新田領の見聞を兼ねて田名部に来訪した彼らは、想像以上の繁栄ぶりに顎が外れるほどに驚いていた。


「蠣崎家累代当主の持つ広の一字、そして新田家累代当主が持つ政の一字を合わせ、政広まさひろを名乗るがよい」


 蠣崎彦太郎から、蠣崎宮内くない政広へと名が変わる。史実では安東家に従属していたことから「舜広」という名前であったが、蠣崎家は新田に従属している。そして蠣崎政広は、吉松の政事をその隣で見続けてきた。禄で仕えるということの不安と利点も理解している。家督を継ぎ次第、蠣崎家は本格的に新田に吸収されることになるだろう。


「殿、おめでとうございます。彦太郎様、いえ宮内様も御立派になられました。御家は安泰でございますな」


 明石季衡すえひらから酒を受けながら、蠣崎季広は時代の変化を肌で感じていた。十三湊から浪岡城まで、そこかしこで賦役が行われ、田畑は綺麗に整えられていた。石高は毎年上がり続けている。他の地では口減らしが行われたりするのに、新田領では人が足りずに他から呼び込んでいるほどだ。


「麦や米、味噌、醤油、甘味、焼物などなど…… 新田が様々な物を生み出した恩恵を蠣崎も受けておる。田名部では銭が流通し始めているが、近いうちに蝦夷においても、銭が当たり前に使われるようになるであろう」


「それが御家のためです。蝦夷の民まで銭を持つようになれば、彼らはもう逆らうことはできませぬ。蝦夷の民を銭で餌付けする。殿はそう言われておりました」


 南条越中の言葉の意味を季広は正確に理解していた。吉松の発想が武士のものではない。だが極めて効果がある。人は豊かさに馴れたら、貧しい生活には戻れないものだ。蝦夷の民に銭と豊かさを与え取り込んでしまえば、もう戦う必要もない。


「新田殿…… いや、もう殿と呼んだ方が良いかのぉ。殿から引出物を頂いた。徳山をより豊かにするための新たな特産品が、妻内川の上流にあるそうだ。価値を知る者にとっては、黄金に匹敵する値打ちがあるとな」


「ほぉ、つまり金山のようなものですな」


「うむ。白い石を探せ。必ず見つかると仰せであった。焼物に使うらしい。宇曽利郷の川内にある窯で焼けば、唐物と同じものが作れる。越前あたりに持っていけば、途方もない値が付くと」


「なんと……」


 第二次大戦後に本格的に開発された「松前陶石」は、天草陶石に匹敵する品質があり、日本の陶石採掘の二〇%を占めたこともある。露天掘りが可能で、比較的簡単に採掘できる。

 季広は面白そうに笑った。新田によって、蠣崎家は数年前と比べて遥かに豊かになった。贅沢を言えばキリが無いが、少なくとも飢えることも、震えることも、怯えることもなくなった。「三無」の旗印に嘘偽りはなかった。


「以前はどこかで、貧しき土地と領地を見下げていたのだが、どうやらそれが儂の限界だったようだ。殿にとって、蝦夷の土地は宝の山。工夫次第で幾らでも豊かになれるらしい。儂にはその知恵はない。ならば知恵を持つ方にお任せするのが一番であろう」


 武士は、土地を手放すことに対して本能的に抵抗を覚える。だがここまで違いを見せつけられると、抵抗する気が失せてしまう。禄で仕えつつ、蝦夷地の代官としてそのまま留まることだってできるのだ。住み慣れた館から、日々豊かになっていく街と人々を眺めるのも、悪くはないと思えた。




 新田と蠣崎が繁栄を謳歌している頃、三戸城では南部晴政が一つの決断を下そうとしていた。檜山安東は新田から協力を得て、抵抗を続けている。これを二年で抜くのはかなり難しい。そしてその二年で、新田はさらに繁栄し、力をつけてしまう。鹿角郡を得て、浅利を臣従させた今が、最後の機会かもしれない。


「ここで仕掛けるしかない……か」


 不戦の盟を破って新田に仕掛ける。南部家は、卑劣漢、卑怯者という蔑みを永代に渡って受けるだろう。悩まなかったといえば嘘になる。だが奥州の覇者になるには何としても新田を潰さねばならない。己が野心のためならば、悪名すらも甘んじて受ける。その覚悟が固まりつつあった。


「亀九郎を三光庵に預けるとは。だが悪い案ではない」


 石川左衛門尉高信の重臣、金沢円松斎からの書状に眼を落とす。そこには対新田の策が書かれていた。このままでは南部家は新田に押しつぶされる。約定を破って新田を攻めるしかないとある。だが万一にも敗れれば、南部家の血は絶えることになるかもしれない。血筋を残すには決戦の前に、石川高信の子である亀九郎を南部家の菩提寺である三光庵に預ければ、新田とて無茶はしないだろう。そう書かれていた。


「これは左衛門尉の案ではないな。坊主の独断か。だが確かに、新田を破るには奇襲しかない」


 勝てばよい。決定的な一撃を持って新田を滅ぼすなり屈服させるなりすれば、それで終わる。卑劣漢という蔑みは残るかもしれないが、新田家も南部一族の端に位置しているのだ。一族の中の争いと強弁することも不可能ではない。


「決戦は…… 長月あたりか」


 南部晴政の貌に、暗い影が差していた。

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