第54話 安東との密約
天文二三年(一五五四年)弥生(旧暦三月)、浪岡城に二人の商人が来訪した。一人は新田家御用商人である金崎屋善衛門。そしてもう一人は出羽能代地方で材木商を営んでいる清水治郎兵衛政吉である。
「新田吉松である。銭衛門から話は聞いている。安東家からの依頼だそうだな」
「はい。安東家当主安東太郎愛季様の書状を預かっております。こちらに……」
近習が受け取り、吉松に書状が渡る。草書体であるため些か読み難いが、要するに南部家と一緒に当たろう。十三湊を使わせてほしい。そして蠣崎との交易を認めて欲しいということだ。手紙を読みながら、吉松は安東愛季の姿を想像した。南部家に対する危機感は共通のはず。だから協力関係が結べるはず。きっとそう思っていたのだろう。
(頭は良いのだろうが甘い。いや、それが若さか。相手にとって、どんな利益があるのかを考えていない。丁寧に言葉を使っているが、ただの一方的な要求ではないか)
「なるほど。内容は理解した。それで何故、治郎兵衛殿が使者として選ばれたのだ?」
「はい。安東様は能代の発展を願っておられます。私は材木商ではありますが、能代の顔役として些かの力を持っております。新田様との交渉において、私になりに出来ることがあるのではないか。そうお考えになられたのでしょう」
「要するに、腹案は何もないということだな? 新田に対してコレコレを要求する。その見返りについては新田の方で考えろ。治郎兵衛が可能かどうか判断するだろう。そういうことか?」
「あ、いや…… それは……」
清水治郎兵衛はしどろもどろになった。そこに金崎屋が助け舟を出す。
「御殿様、治郎兵衛殿は材木問屋を営んでおります。新田の御家はいま、幾らでも材木が必要なはず。檜山という名にもあるとおり、出羽は古くから材木が豊かな国でございます。治郎兵衛殿に材木の仕入れを任せてはいかがでしょうか?」
「うん。一案だな」
清水治郎兵衛の表情を見ながら頷く。顔色が変わらない。つまり先ほどのしどろもどろは、譲歩したように見せかけるための演技だ。それぐらいの強かさがなければ、大名相手の交渉役など務まらない。
「南部晴政は間もなく、再び動き始めるだろう。檜山安東家は、土崎にも不安を抱えているはず。能代の開発という視点は感服する。だが交渉とは、互いの利益となってはじめて対等となるのだ。この書状の内容だけでは、甘く見積もっても安東二分、新田八分の関係になってしまう。治郎兵衛の材木が加わってようやく四分六分だ。もう一声、欲しいところだな」
清水治郎兵衛は表情にこそ出さないが、内心で感服していた。安東太郎愛季は、間違いなく名君の器量を持っている。だが若さゆえに経験が絶対的に足りない。そこだけが、清水治郎兵衛をはじめ家臣たちの不安でもあった。
その一方で、目の前の童はどうだ。齢八歳と聞いているが、まるで何十年もの商いを積んだ、老練な近江商人のようではないか。安東家当主も神童と呼ばれていたが、目の前の童はそれを遥かに超えている。
「それでは、新田様は檜山に対して、何をお望みでしょうか?」
「そうよな……」
吉松はパチリッと扇子の音を立てた。数瞬、沈黙して口を開く。
「新田は二年後、南部晴政と決着をつける。
もし大戦で新田が負ければ、南部は一気に檜山に襲い掛かるだろう。通商関係を新田と結んでいただけならば臣従も可能だが、比内を攻めれば軍事同盟と見做され、臣従すら認められないだろう。つまり吉松は、新田への旗色を鮮明とせよと要求したのだ。
「……すぐにでも檜山に戻り、安東様に諮りまする」
家の将来が掛かっている。さすがに一商人の独断では決められない。吉松は頷いて、それとは別に治郎兵衛に材木一千本を発注した。いきなりの大商いに、治郎兵衛は目を白黒させた。
「ヘヘヘッ…… 宜しゅうございましたな。吉松様は治郎兵衛殿を気に入られたようです」
浪岡城の旅籠(※旅館のこと)で、二人の商人が酒を酌み交わしていた。悪徳商人顔の金崎屋善衛門と、誠実で温厚そうに見える清水治郎兵衛政吉の対比であった。治郎兵衛は澄んだ酒を見つめ、そして呷る。
「いやはや…… 神童とも怪物とも呼ばれていると聞いてはおりましたが、正直、信じてはおりませんでした。しかし……」
「確かに。アッシも商人として色々なところに行きますが、あのようなお方は見たことがありません。もう一声と言いつつ、大きな決断を要求されましたな」
善衛門は面白そうに笑う。仲介人として幾ばくかが入ってくるし、安東家からも感謝される。得しかない商いだったことに満足しているのだ。だが治郎兵衛のほうは安東家にどう伝えるかで悩まなければならない。しょせんは口先だけの約束である。二年後に素知らぬふりで反故にするという方法もあるが……
「一言、アッシから助言しておきます。吉松様は商人の気質をお持ちですが、同時に信義を重んじられます。もし反故にしようものなら、安東様を決して許さないでしょう。一反の田畑まで残らず召し上げ、国人衆ともども皆殺しにされるやもしれません。お優しい方ですが、甘い方ではありませんぞ?」
「それは解っています。安東様にもよくよく、お伝えします」
安東太郎愛季なら理解するだろう。新田吉松ほどではなくとも、非凡な当主なのだ。治郎兵衛は自分にそう言い聞かせた。
「それで、首尾は如何であった?」
当主、安東太郎愛季は清水治郎兵衛政吉の帰りを今か今かと待っていた。檜山城には重臣たちが集まっている。皆が、新田の返答を期待していたのだ。
「はっ…… 十三湊および蠣崎との交易は恙なく認められました。ただし二つの条件を出されました。一つは、材木が足りぬ故、檜山にて都合してほしいとのこと。もう一つは二年後、新田の動きに呼応して比内大館城を攻めて欲しいとのことです」
重臣たちが沈黙する。新田吉松の要求が理解できたのだ。新田家と南部家との大戦というのは、奥州の国人衆なら誰もが予想していた。それが二年後だと明確になった。そしてその大戦においては新田に与せよと要求された。これが安東家にとっていかに重たいことかが理解できなければ、重臣など務まらない。
「受けよう。受けるしかあるまい」
「殿、しかし……」
「受けねば、その二年後すら見届けられぬやもしれんのだ。南部家との戦いにおいて、後方となる能代湊の発展は必須。今を生き残るために、将来を賭けるのだ。それで、新田吉松とはどのような人物であった?」
家と家との戦いにおいて、当主の器量は重要である。安東愛季は新田吉松という人間に興味があった。だが清水治郎兵衛は黙ったままである。言葉を選んでいるようにも見えた。
「治郎兵衛殿、どうされたか?」
重臣の一人に呼びかけられ、治郎兵衛はようやく口を開いた。
「童、などという可愛らしいものではありませんでした。見た目は子供でしたが、まるで円熟の老商人と話しているような錯覚に陥りました。あの方はもう、神童などという小さな枠には収まりません。物ノ怪、
「それほどか……」
そう呟いた愛季は、どこか嬉しそうでもあった。そんな怪物と繋がりを持てたのだ。その力を利用して、安東家を大きくする。出羽を発展させる。それが愛季の夢であった。
「それともう一つ。浪岡の城下町で聞いた話ですが、新田家では国人が土地を持つことを認めないそうです。国人は俸禄で召し抱え、土地はすべて新田家の文官によって開発されているそうです」
「馬鹿な。そんなことをすれば、国人衆がこぞって叛くであろうに」
「それが不思議なことに、ほとんどの国人衆が従ったそうです。新田様はこう言われたそうです。新田よりも土地を、民を豊かに出来る者など、この日ノ本にはいない。だからすべての土地を新田が領する。それがもっとも多くの幸福を生み出すのだ、と……」
「なんたる傲慢…… 殿、これはやはり考え直しては!」
だが愛季は考える眼差しを浮かべたまま、黙っていた。治郎兵衛が言葉を続けた。
「私も最初はそう思いました。ですが浪岡や十三湊、そこに至るまでの道々で見かけた者たちの様子に、あながちその自信に偽りはないとも思いました。民は飢えることなく、清潔な着物を纏い、街には様々な物が溢れていました。菓子を頬張っている子供たちすらいたのです。越後でも越前でも、そのような民の姿は見たことがありません」
「殿。某も聞いたことがありまする。新田と南部の対立のきっかけは、新田領があまりにも豊かになり、南部領から民が逃げ出してしまうからだと。圧倒的な豊かさを見せつけ、このように豊かに暮らしたければ臣従せよ。土地を差し出せ…… それが新田のやり方なのでしょう」
「卑怯なっ!」
怒りを示す重臣たちに、愛季は首を振ってみせた。
「卑怯なのではない。新田殿は当たり前だと思っていよう。そもそも我ら武士は、土地と民を守るために存在している。新田殿は、民を守るという中には飢えさせないことも入るのだと言っているのだ。一所懸命の考え方が根本的に違う。いや、むしろそれが本来の一所懸命なのかもしれぬ。新田吉松殿か…… 会ってみたくなったな」
そして明るい声で笑った。
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