第52話 次の戦の足音
天文二三年(西暦一五五四年)睦月(旧暦一月)、檜山城では下国(檜山)安東氏第八代当主、安東太郎
「それでは、評定を始める。まず
さすがにこの場で異論ありなどと言う者はいない。愛季は左右に並ぶ重臣たちを見回して頷き、当主としての言葉を述べた。
「皆の不安は理解している。一六歳に当主が務まるのか。そう思っている者も多かろう。確かに俺は若い。だが若いというならば、北にて南部と対峙している新田家の当主は、まだ八歳だ。童ともいえる年だが、南部家を相手に互角以上に渡り合っている。歳など関係ない。俺がやること、為すことを見て、各々で判断せよ。さて、浅利が事実上滅んだ以上、雪解けと共に南部が押し寄せてくる。最初に調略から仕掛けてくるであろう。筑前よ。もし南部が調略を仕掛けるとしたら、どこだと思う?」
大高筑前守光忠が愛季に身体を向ける。
「恐れながら。某であれば、土崎を狙いまする」
土崎とは檜山の南部にある土崎湊(現在の秋田市)のことである。湊安東氏の本拠地であり、湊安東累代の重臣がそれぞれ城を持っている。だがこの評定には、呼ばれていない。愛季が檜山安東氏の当主となったことで、湊安東氏の家督は舜季の三男である茂季が継いでいる。
「その中でもどこだと思う? 構わぬ。申せ」
「土崎でも野心強き者…… やはり玄蕃殿かと」
「豊島か…… 俺も同じ見立てだ。あの男は御家のためなどと言っているが、実際は自らが土崎を支配したいと思っておろう。南部に呼応するかたちで、土崎で乱を起こさせるか」
「御意。津料(湊の使用料)を釣り上げるなどして、引き締めを図りますか?」
「いや、御待ちを。湊の国人衆が殿に叛いたのならばともかく、今は何もしておりませぬ。津料引き上げは、彼らをかえって追い詰めることになりましょう。ここは逆に津料の率を下げ、彼らを慰撫すべきかと存じます」
「御屋形様は、どうお考えでしょうか」
氏季の言葉に、愛季は少し考えた。
「調略を掛けるのならば湊の国人衆であることに疑いはない。だが疑わしいからといって津料を引き上げれば、彼らに叛く口実を与えるようなものだ。それに由利、戸沢、小野寺にも声を掛けるであろう。鹿角、比内を領した南部だ。戸沢などは気が気ではあるまい。だが、南部にも隙はある」
「それは?」
「新田よ。南部と新田は不戦の盟を結んでいる。新田がそれを反故にすることはあるまいが、いつまでも盟が続くわけでもあるまい。そこでまずは、能代湊から十三湊へ使者を出す。能代には清水治郎兵衛政吉という顔役がいる。その者を取り立て、新田と渡りをつける」
「具体的には、どのような?」
「蠣崎との交易よ。蠣崎は新田に臣従した。結果として湊安東に背いたことになる。そのため土崎では、蠣崎と交易をしておらぬ。能代がその窓口となれば、蝦夷の産物が入ってくる」
大高筑前守がポンと自分の膝を叩いた。
「名案でございます。蝦夷の産物は越後、越前では高値で売れまする。能代に富が落ちれば、それは御家の力を高めることになりましょう」
「土崎から、蠣崎への渡りをつけるよう依頼があるやもしれませぬ。その時は土崎支配を強めることを条件にすれば宜しいかと」
重臣たちの賛同を得て、檜山安東は新田家と密かに手を結ぶことに決した。奇しくもそれは、吉松が考えていることとまったく同じであった。
本州最北端の地では、太平洋側も日本海側も関係なく、冬になれば大量に雪が降る。浪岡の城下町では、田名部で使われている雪かき用の道具が導入され、人々が雪下ろしに勤しんでいた。軒下に座ってその様子を見ながら、若い男が絵を描いていた。
「これまでは鷹の絵とかを描いていたけれど、こうして気ままに人々を描くのも悪くないな」
門脇牛欄政吉は、気の赴くままに筆を握っていた。浅利家を離れて一介の浪人になってみると、こうして絵師として生きていくのも良いのではないかと思えてしまう。決して裕福ではないが、人間関係から解放された自由が、政吉には合っていた。
「浅利家一門衆、門脇政吉殿でございますな?」
だが生まれというものは、どこまでも政吉を追ってきた。政吉はため息をついて顔を上げた。すると驚いたことに、目の前には子供がいた。屈強な男たちが、子供を守るように囲んでいる。
「なるほど。見事だ。墨だけの下図だが、写実的だな」
子供は政吉が書いていた絵を見て、しきりに頷く。政吉は子供の正体を一目で見抜いた。こんな大人たちに囲まれて歩く者など、この奥州には一人しかいないだろう。
「某になにか御用ですか? 新田吉松殿」
周囲の男たちが警戒する。だが吉松は子供らしい笑みを浮かべた。
「どうだ。浪岡城で飯でも食わんか? 奥方や供回りも連れてくるがいい」
「某は浅利を捨てた、いえ逃げ出した一介の浪人に過ぎません。なんの御役にも立てませんよ?」
「それはお前が決めることではない。役に立つか立たないかは、俺が決めることよ」
およそ子供の話し方ではない。なるほど、これが神童かと思いながら、政吉は吉松の誘いを受けた。実際、絵で口に糊するのも限界だった。正直、助かったという思いが強い。
「まぁ、なんて珍しい料理」
門脇政吉の妻である松の方は、嫋やかながらも闊達な女性で、アベナンカが鍋を作るのを喜々として手伝っている。猪肉と味噌の香りが漂い、政吉の腹が音を立てた。
「ハッハッハッ、アベナンカの鍋は美味いぞ。今日は
政吉が通されたのは、浪岡城の内館の一室であったが、およそ大名が食事をする場所ではなかった。厨(台所)に隣接する使用人たちの部屋で、中央には囲炉裏が置かれている。
「政吉は俺の臣ではあるまい。つまり客人よ。足を崩せ。奥方も側仕えも楽にされよ」
吉松は胡坐のままニコニコと笑っている。一体、目の前の童はなんなのだ。
「良し、煮えたな」
驚いたことに、当主自らが鍋の具を椀によそって政吉に差し出した。政吉は完全に硬直してしまったが、吉松が受け取るように促すので、仕方なく手に取った。
「喰ってみろ。美味いぞ?」
椀の汁を一口啜る。そして驚いた。味噌の味は知っている。だがこの汁は、複雑な旨味が絡まり合い、なんとも滋味深い味になっていた。猪肉から溶けた脂が葱や大根の旨味をさらに引き出している。思わず夢中で食べてしまった。
「美味しいわぁ~」
愛妻が朗らかに笑うと、吉松も手を叩いて笑った。そして自分で椀によそって掻き込み始める。
「アッハッハッ! 美味い!」
気が付くと椀が空になっていた。吉松は杓子を自分に向けた。あとは自分でやれということである。なんとも非常識な大名だと思った。なるようになれと、半ば諦めて勝手に食べ始める。
「アベナンカ、稗酒を出してやれ」
「うん。でも殿様はダメ」
「俺は飲まん」
なぜそんな言葉づかいが許されるのだと、政吉についてきた供回りも唖然とした。気にしていないのは松の方だけである。
「さて、門脇政吉よ。浪岡に呼んだ理由が解るか?」
「某を家臣にとお考えでしょうか。でしたら……」
「阿呆。絵描きに俸禄を与えてどうする? 俺はな。お前に依頼したいのだ。石川城、大光寺城、そして七戸城の城下町を歩いて、城の絵を描いてはくれぬか? できるだけ詳細にな。報酬は弾むぞ?」
目の前の子供が何を考えているのか、政吉は理解した。そして同時に怖くなった。神童という噂は聞いたことがある。だがこうして対面してみると、童ではなかった。童の皮を被った怪物だった。
(……これは、断れないな)
都に上るのはもう少し先になりそうだ。政吉はそう覚悟した。
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