第51話 浪岡評定

 天文二二年(一五五三年)師走(旧暦一二月)、浪岡城において新田家の大評定が開かれた。旧浪岡領の国人衆も全員が集まり、新田家からも新田盛政、田名部吉右衛門、長門藤六広益、南条越中守広継、南条籾二郎宗継、浪岡弾正少弼具統、浪岡式部大輔しきぶたいふ具運が座る。また蠣崎家からは代表として下国下野守師季が出席した。また見学者として、蠣崎彦太郎以下近習の者たちもいる。


「弾正少弼の執り成しにより、希望する国人衆に対しては来年一年間、様子を見ることにする。新田が内政を重視し、民を豊かにすることを目標としていることは、この場にいる全員が理解していることだろう。南部家との不戦の盟はあと二年ある。つまり二年間は、戦にでることはない。一年間、新田を驚かせるつもりで、所領を豊かにせよ。その成果によっては、俺も考える。それと弾正少弼には感謝しろよ? 俺は兵を差し向けるつもりでいたのだからな」


 次に吉右衛門から、天文二二年の収穫について報告された。石高のみならず、百姓一人当たりが生産した量と前年からの伸びまで数字で報告される。それを聞いた国人衆たちの顔色が悪い。桁違いの生産性もさることながら、そんな視点で考えたことがないからだ。


「田名部においては、米の生産性はほぼ上限に達していると考えられます。あとはこれを維持しつつ、津軽までこの生産性を広げていくことが肝要かと存じます」


「うん。式部大輔よ、岩木川治水の進みはどうか?」


「は、幸いなことに人は集まっております。予定以上の速さで進んでいます。ですが浪岡から十三湊までのすべてに強固な堤防を築くとなると、現状の人員数では五〇年以上はかかるかと」


「当然だな。浅利から人が逃げてきている。賦役に出れば、取り敢えずは口に糊することもできる。積極的に採用せよ。その中で見るべき人物がいれば、推挙してくれ」


 内政を重視する新田家では、評定でも内政関係の話題に重点が置かれる。吉松としてはできるだけ、国人衆にも理解できるように話しているつもりだが、それでもついてくるのが精一杯の様子であった。


「さて、内政関係の話はこれが最後だ。吉右衛門」


「はい。田名部、川内、大畑の他、大間、脇野沢、佐井にも集落を置き、特産品の生産を始めています。物が豊かになったことで、相対的に米の価値が低下しています。市では未だに物々交換が行われていますが、そろそろ貨幣の使用を促す時期かと思われます。そこで来年からは各集落に行政官を送り、貨幣における取引を行うようにします」


「吉右衛門殿。民のほうの準備はどうでしょう? 銅銭を使うということは、算術が出来なければなりませんし、それ以前として食べられない銭で食べ物を買うということについて、民は理解できているのでしょうか?」


 南条広継の問い掛けに田名部吉右衛門は嬉しそうに頷いた。広継の問いは、半ば国人衆に聞かせるためでもある。近い将来、津軽でも貨幣経済が導入されるからだ。


「この二年、絵解きなどを使って民に理解を促してきました。また農閑期には、各集落で文字と算盤の学び舎を開き、仮名文字や簡単な算術ならばできるという民も相当数になりました。宇曽利郷と限定するならば、問題ないでしょう」


 吉松がパチリッと扇子の音を立てた。視線が集まる。


「貨幣というものは、これまで胡乱であった富裕という概念に形を与えるものだ。当然、自分よりもあいつの方が金を持っている、という比較が生まれる。その結果、争いが生まれたり押し込み強盗が起きたりする。だが貨幣の利便性はそうした弊害に勝る。そこで、商取引における取り決めや、罪を犯した者を取り調べ、捌くための取り決めを設けたい。分国法と呼ばれるものだ。伊達家では塵芥集と名付け、事細かな取り決めがあるらしい。我が新田でも、そうした取り決めを設け、皆に公平に適用する」


 この段階に入ると、理解が追いつかないという者たちがかなりいた。実際に素案を用意するので、今は決め事を作るとだけ理解しておけと言って、小休憩を入れた。




 国人衆たちは、別室の畳の間に通された。大きな座卓が二台置かれており、椀には菓子と思わしきものが置かれていた。そこに座ると女中たちが茶を出してくる。どうやら菓子は好きに食べて良いらしい。今さら毒殺もあるまいと思って食べてみると思いのほか甘く、牛蒡の風味の効いた飲み物と良く合う。


「いやはや…… 聞きしに勝るとはこのことですな」


 三宅藤太左衛門高重に語り掛けられた赤松隼人は、頷かざるを得なかった。新田は豊かだとは聞いていた。だが実際に数字で示されると、自領との違いに圧倒されてしまう。この菓子だって、津軽では滅多に手に入らない甘味である。それが無造作に置かれ、好きに食べろと差し出されてくる。つまり新田にとっては「振る舞い」にすらならないのだ。


「藤太左衛門殿はどうされるおつもりか?」


 領地を明け渡すか、抗って自分で開発するかを問う。藤太左衛門は首を振った。


「最初は自分の手でと思っていました。ですが無理です。百姓一人当たりが作る米の量を聞いたでしょう? 私では、その半分すら達成できないでしょう。第一、領民がついてきません。隣では毎日腹いっぱいに米を食べ、こんな菓子まで楽しんでいるのに、自分たちはなんで貧しい生活をしなければならないんだと思うでしょう。半年で領民はみな逃げ出してしまうでしょうね」


 何人かが、藤太左衛門の言葉に聞き耳を立てていた。一様に顔色が悪い。赤松隼人も、手にした菓子を見つめて考えた。自分が土地を諦め、俸禄で新田に仕えれば、領民たちは皆が幸福になる。新田吉松の言葉は本当だった。子供たちが満面の笑みで、この菓子を頬張っている姿を想像する。頑迷に八〇〇石の土地に執着し、その幸福を妨げても良いのか。それで武士といえるのか。本当にそれが一所懸命なのか。赤松隼人のみならず皆がそう考え、悩んでいた。


「殿ッ!」


 誰かの言葉に顔を上げる。浪岡弾正少弼具統が部屋に入ってきた。今まで見たことがない穏やかな顔になっている。


「もう殿ではない。俺は新田家の一家臣に過ぎん。皆、すまぬ。俺が不甲斐なかったばかりに、こうして皆を悩ませ、苦しめることになってしまった」


 そう言って頭を下げる。だが新田家の中で、自分の立場を危うくしてでも国人衆を守ろうとし、新田吉松の考えを翻意させたのだ。水に流すことはまだできないが、責める気もなかった。


「弾正少弼殿。俸禄で仕えるということに、不安はないのですか?」


 誰かが聞いた。自分たち国人衆は俸禄で仕えたことが無い。だから不安なのだ。いつ御役御免となり、素寒貧で放り出されるかしれない。土地があれば生きていける。皆がそう思っていた。


「最初はあった。だが最近は、むしろこれこそが御恩と奉公の形なのではないかと思うようになった。殿は言われた。やらなかったという怠慢は責めるが、知らないこと、出来ないこと、失敗したことを責めることはせぬと。どんな人間も失敗はする。そこから何を学び、次にどう活かすかが大事なのだと。言葉や態度は苛烈に見えるお方だが、実はとてもお優しい方なのだ」


 そして出された牛蒡茶を飲んで笑みを浮かべる。


「一年、まず自領に向き合うのも良いではないか。いろいろと創意工夫し、自分なりに考えてみてはどうだ? 成果が出ないかもしれん。失敗して民が逃げるかもしれん。だが殿は決して、それを責めたりはせぬ。一年後、やはり難しいと思ったら、その時こそ土地を預ければ良い。殿は何一つ責めることなく、その時の石高で召し抱えてくださる」


 誰かが嗚咽を漏らした。やがてそれが広がっていく。具統もいつの間にか、涙を流していた。彼らはようやく、浪岡家が滅んだことを受け入れることが出来た。




 少し長めの休憩が終わり、皆が評定の間に戻ってきた。その表情は明るく、何か吹っ切れた様子であった。吉松たちは何も言わず、評定を再開した。


「二年後、南部晴政と決着をつける。一度しか会っていないが確信していることがある。晴政は俺と同じよ。誰かに屈するくらいなら死を選ぶ。対等すら認めぬ。お互いに手を取り合って、平和に暮らしましょうなどという戯言は、俺も晴政も耳を貸さぬ。つまりどちらかが死ぬまで、殺し合うしかない」


「そうじゃな。南部晴政とはそういう男よ。あれは虎。いわおに起立し、糠部から奥州を睥睨する猛虎じゃ」


「であれば、殿は天空から天下を睥睨する龍ですな。龍虎相討つ。血が滾りまする」


 南条広継の言葉に少し笑いが出る。強大な敵と死力を尽くした決戦というのは、武士の血を騒がせるのに十分であった。もっとも、根が経営者の吉松にとっては、面倒なことをという思いが強かったが。


「南部が安東を飲み込めば、それこそ虎に翼を与えることになる。そこで、十三湊を使って安東を支援する。安東舜季きよすえは未だに回復していないようだ。恐らく来年には、嫡男の愛季ちかすえが家督を継ぐだろう。新田と交易をするだけで、安東家は潤うはずだ」


 当然、南部晴政もそれは読んでいる。だが読んでいても止められなければ意味がない。それに安東と交易しないという約定はない。吉松としてはこれを機に、安東愛季と繋がりを持ちたかった。


「恐らく決戦の場所は二ヶ所。石川、大光寺、大浦を迎え撃つのが津軽。そして南部晴政率いる本軍と激突するのが七戸あたりになる。だがそのためには、野辺地と油川を落とさねばならない。今のうちから手を打っておこう」


 新田家と南部家の戦いは、すでに始まっていた。

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