第50話 ある絵師の逃避行

「おのれ、勝頼! おのれ、晴政!」


「アーハッハッハッ! 死ね、則祐ぇぇっ!」


 天文二二年(一五五三年)神無月も半ばに差し掛かったころ、浅利家最後の城であった十狐城(独鈷城)は炎に包まれた。浅利勝頼は、腹違いの兄である当主、浅利則祐の死を高笑いしている。その表情には狂気すら浮かんでいた。それ程までに憎かったのか。せめて最後くらいは、死者への哀悼を持てないのか。勝頼に同調した国人衆たちは、兄の死を嗤っている若者に対して、暗澹たる気持ちを持った。

 その後は比内大館城において、南部晴政への従属の礼を取り、そのまま浅利家当主として大館城に入った。だが花岡城も十二所城も南部家が城代を送り、十狐城は完全に燃えてしまっている。要するに浅利家は無理やり生かされているようなものであった。


「兄上。この度の勝利、おめでとうございます」


「其方が良く動いてくれたおかげで、浅利を滅ぼせたわ。さすがは我が弟よ」


 南部晴政と石川高信は、比内大館城の一室で兄弟水入らずの時間を過ごしていた。今や奥州一の大名となった南部家である。近習たちは部屋に誰も近づけないよう、周囲を警戒していた。


「来年はいよいよ檜山だ。今回ほど楽にはいかぬであろうが、それでも二年あれば落とせるであろう」


「解せぬのは、檜山が動かなかったことです。念のため兵一〇〇〇を大館に残しておいたのですが、無駄になってしまいました」


「うむ、何かあるな。調べよ。それから、元浅利の国人衆たちは次の戦で使い潰す。特に勝頼は安東との戦のさなかで、確実に死なねばならん。狂った男など、何をするか解らんからな」


 石川高信も頷く。勝頼は兄を殺したかった。それは果たした。当主に据えるという約束は果たしたのである。その後は邪魔になるだけであった。


「浅利一門で気になる点が一つあります。浅利則頼の末の娘である松を娶った門脇政吉の姿がありませぬ。どうやら事前に察知していたようで、我らが大館に着いたときには夫婦共々、姿を消していました」


「捜索の手配はせよ。だが見つからぬ場合はそれでも良い。浅利再興など出来るはずもない。放っておいても問題は無かろう」


 天文二二年秋からの戦は、南部晴政としては概ね満足する戦果であった。元浅利の国人衆たちは油断できないが、浅利勝頼を生かしてあるので当面、暴発はしないだろう。何かあっても石川高信であれば対処できる。満足感によるものであろうか。久々に兄弟で飲む酒は、いつになく美味かった。





 一方そのころ、下内川に沿って北上する一行がいた。十狐城落城により、浅利領内では落ち武者狩りが行われていたが、一行はすでに津軽地方に入っていたため、その不安はない。


「お前様、本当に浪岡で良いのですか? 安東の方が近かったのに……」


「うん。たぶん檜山より浪岡の方が栄えていると思うよ。それに都に上るには、十三湊からのほうが船も多いと思うからね」


 男三人、女三人の一行である。皆が一様に若い。野盗には目を付けられやすいだろう。実際、一度は野盗に取り囲まれた。だが男は見事な太刀筋で数人を斬り殺し、追い払ってしまったのである。


義父おとう様は大丈夫でしょうか……」


 その問い掛けに、男は答えなかった。十狐城にて当主の側に仕えている父親は、ひょっとしたら城と共に最後を迎えたかもしれない。あるいは逃げ延びたかもしれない。今となっては知ることもできなかった。

 やがて碇ヶ関いかりがせきに到着する。南部領に入るための関所である。当然ながら、比内方面から来た者に対する取り調べは厳しい。


「某は越前生まれの浪人、門脇牛欄と申す者。武家ではありますが、書画を嗜み過ぎたために勘当を受け、こうして流れ歩いている者です。南部様のところで絵を描けないかと一念発起し、ここまで罷り越しました」


「越前からここまで、どうやって?」


「途中までは船で、そこからは徒歩で。絵を売って口に糊しながら、なんとかここまで来たのです」


 そう言って、荷袋から鷹の絵を見せる。関所の代官は試しに絵を描かせてみた。すると牛欄は見事な似顔絵を描いた。こんな絵を描ける武士など滅多にいない。態度も堂々としており、嘘をついているとも思えなかった。落ち武者であれば捕らえるが、多少のくたびれはあれど、しっかりした身なりもしている。嘘とは思えなかった。


「なるほど。この絵は買い取ろう。米と塩を与える。道はまだ長い。気を付けて行かれよ」


 こうして、門脇牛欄こと門脇金助政吉とその一行は、無事に南部領へと入ったのであった。だが道のりはまだ遠い。十三湊までは、石川城、浪岡城、五所川原と通らなければならない。休んでいる暇はない。空は曇り、吐く息も白い。いつ雪が降り始めても、不思議ではなかった。


「もう少しの辛抱だよ、松。石川城ならば旅籠に泊まることもできるだろう」


「はい、お前様……」


 一行の旅は、まだ続くのであった。




 神無月も末になり、雪が降り始める。比内地方が一段落したころ、津軽中部から北部にかけては粛清の嵐が吹き荒れようとしていた。事の発端は、吉松が打ち出した津軽改造計画である。


「南部、大光寺に接する関所以外はすべて廃止する。主要道を整備して一本に繋げる。歪な田畑は形を整え、また水捌けの悪い耕作地は、いったんは放棄する。村人たちも移住させ、岩木川沿いの肥沃な土地の開発に人員を集中させる」


 この冬の間に、スクラップアンドビルド、選択と集中を行うと宣言したのだ。当然、国人衆たちは反発した。土地を捨てるとは何事だ。先祖代々、自分たちが受け継いできた土地を粗末にするな。こうした声に対して、吉松は実力行使で答えた。


「お前たちの土地などもうない。すべて新田の土地、俺の土地だ。俺が俺の土地を好きにするのは当然であろう? なにより、それによって皆が幸せになるのだ!」


 別に奴隷のように扱っているわけではない。移住させる農民には、新たな家屋と田畑を与えるし、賦役で働く者には、食事と日当を出している。禄で召し抱えられた者には、文官と武官の仕事をそれぞれ与え、浪岡城の北館および城下町には屋敷も構えさせた。


「彼らは不満なのではなく、不安なのです。土地が無いということは、働きが認められなければ着の身着のまま寒空に放り出される。そうした不安があるのです」


 浪岡具統の言葉を吉松は鼻で嗤った。


「なにを贅沢なことを。この日ノ本には、今日の飯にすら苦しんでいる者が大勢いるというのに、働き口があるというだけで幸せだとなぜ思えぬ? たかが一〇〇石、二〇〇石の土地に執着し、より多くの幸せが見えない。そのような視野の狭い奴など、ロクに働けまい。切り捨てるか……」


 七歳とは思えない酷薄な表情になる。浪岡弾正少弼具統のところには、執り成しを頼むという国人からの依頼が幾つも来ていた。だが具統はそれらをすべて断った。浪岡は新田の一家臣なのである。主君の方針に従うのが、臣下の務めだ。少なくとも新田のやり方は、非情には見えても理には適う。不安は生まれても不幸は生まれない。戸惑いはあれど、間違っているとは思えなかった。だがそれでも、切り捨てるには忍びなかった。彼らは、長年にわたって浪岡を支えてきた国人たちなのだ。


「殿、まずは賛同する者たちだけで始められては如何でしょうか。土地が豊かになり、領民たちが富裕になっていく姿を見れば、反対している者も考えるでしょう」


「迂遠なやり方とも思えるがな。だが弾正少弼がそう言うのなら、考える機会を与えてやろう」


 無論、吉松としてもいきなり国人の大半を敵に回すようなことは考えていない。まずは小さくとも成功体験を積ませる。その成功が、こうすれば良いのだという次への行動促進に繋がる。職場における部下育成の基本である。国人衆相手にも、その手法を使おうと考えていた。ではなぜ、最初からそう言わなかったのか。これは演技であり、プロパガンダであった。

 浪岡具統の執り成しによって、国人衆の取り潰しが免れた。この形式が重要なのである。いずれ吉松は南部家を併合し、さらに南へと侵攻しはじめる。後方になる津軽は、浪岡に任せることになる。国人衆を庇い、軟着陸させたという実績があれば、浪岡も采配しやすくなるだろう。


(なるほど、統治とはこうやって行うのか……)


 その様子を傍で見ていた蠣崎彦太郎は、蝦夷地統治にも使えそうだと思った。

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