第49話 浅利家滅亡
天文二二年(西暦一五五三年)長月(旧暦九月)、南部包囲網の機運が再び盛り上がろうとしていた矢先、三戸、鹿角からは南部晴政が、津軽からは石川高信が、電撃的に浅利領への侵攻を開始した。総兵力はおよそ五〇〇〇。現時点で動員可能な最大兵力である。
「南部め、新田への備えはどうした!」
当主浅利則祐の困惑をよそに、石川左衛門尉高信は七ツ館、福館、女目館を落とし、一気に出羽花岡城に迫った。花岡城が落ちれば、比内大館城まで防衛線は無くなる。大館城が落ちれば、浅利は所領の半分を失うことになる。浅利則祐はただちに、国人衆に動員を命じた。
「殿、新田はやはり動きませぬ」
出羽花岡城を包囲した石川左衛門尉高信は、その報告を受けて黙って頷いた。南部家は新田をもっとも警戒している。だが一方で南部晴政や石川高信は、新田吉松に対して一定の信頼を置いていた。これまで南部家と新田家は幾つかの約定を交わしてきたが、新田吉松がそれを破ったことは一度としてない。南部家の危機であった昨年の包囲網の時でさえ、新田は不戦の盟を守った。あの時に新田が動いていたら、南部家は滅んでいたかもしれない。それでも盟を守ったのである。そのため「新田は、油断はできないが約束は守る」という評価が、南部家内には広がっていた。
「後方に憂いはない。ただ前に進めばいい。兄上もそろそろ、十和田を出た頃だろう。白瀧但馬守、藤森丹後守に降伏を促せ。命は保証するとな」
だが簡単には降伏しない。忠義もあるが、それ以上に南部家の限界も見えているからだ。神無月(旧暦一〇月)の後半になれば、雪が降り始める。そうなれば南部も撤退せざるを得ない。一ヶ月耐えれば良いのだ。浅利の抵抗は頑強であった。
一方、鹿角郡を出た南部晴政は、米代川に沿って西に進み、鹿角方面における浅利家の防衛線「出羽十二所城」に到達していた。城主である十二所信濃守信澄は、一門衆である浅利定頼と肩を並べる重臣である。
「晴政め。鹿角で満足しておけば良いものを、身の程知らずにも比内にまで手を伸ばすとは」
信澄は腕を組んで攻め上ってくる南部軍を見下ろした。後ろは山、前には米代川が流れる要害に建てられている十二所城の兵は約八〇〇人。だが防衛には十分な数であった。
「飢えた犬どもにたっぷりと矢を喰らわせてやれ!」
城から矢が射掛けられる。晴政は米代川を背にした本陣で、城攻めの様子を見ていた。
「なるほど。確かに堅牢だ。だが、儂がなんの勝算もなく、浅利を攻めると思うか? そろそろ仕掛けが効いてくる頃だろう」
津軽、鹿角の二方向から攻められた浅利家は、その意識を完全に外に向けていた。
「馬鹿な! 大舘が落ちただと?」
出羽檜山城にてその報せを聞いた安東舜季は驚愕のあまり立ち上がった。重臣の大高筑前守光忠は険しい表情のまま使者に詰める。
「それはおかしい。石川左衛門尉が攻め始めてから、まだ二〇日も経っておらぬ。先の報せでは、花岡城は抵抗を続けていたはず。それがこの短期間で大館まで落とすなどあり得ぬ。何かの間違いではないか?」
「それが、浅利勝頼様、御謀反にございます!」
それですべてを察した舜季は、手にしていた扇子を畳に投げつけた。眩暈がしたのか、少しふらついた。
浅利則祐、勝頼兄弟の仲が険悪だというのは前述のとおりである。史実でも、勝頼は安東愛季の支援を受けて謀反を起こし、則祐を殺害している。結局はその後、勝頼も安東愛季に殺されてしまうのだが、勝頼としては先に生まれたというだけで、側室の男が浅利を継いでいることに我慢できなかったのである。
「どうやら勝頼殿は、安東と南部の両方に声をかけていたようです。浅利にとって安東は長年の仇敵。安東よりは南部の方が選びやすいのは確かです。南部晴政はそこに付け込んだのでしょう。前々から、勝頼殿に調略の手を伸ばしていたようです」
吉松の他に長門広益、南条広継が、浪岡城で加藤段蔵の報告を受けていた。大館で指揮していた浅利定頼は勝頼に殺された。浅利家は混乱し、国人衆は次々と離反する。その中で、花岡城がついに降伏した。石川左衛門尉は大館まで進んで勝頼と合流し、一気に十狐城に襲い掛かる。
「浅利則祐殿、十二所信濃守殿は未だ抵抗を続けておりますが、南部家の攻めは激しく、このままでは……」
「段蔵殿、檜山は動かないのですか? 浅利が滅びれば、次は安東です。舜季殿もそれくらいは解っているはず。石川の後ろを突けば、浅利を救うこともできると思いますが?」
南条広継の問いに、加藤段蔵は首を振った。
「手前も調べました。どうやら、舜季殿はお倒れになられたご様子。おそらくは卒中かと……」
「そんな…… 舜季殿はまだ四〇にもならないはず。それで卒中とは……」
「南部晴政…… 恐るべき強運よ」
広継が絶句する。長門広益は腕を組んで呟いた。史実を知っている吉松でさえ、ここまで都合の良いことが重なると空恐ろしくなる。史実でも、安東舜季は翌年の天文二三年に三九歳の若さで死んでいる。寒さが厳しい奥州では、塩分が過剰摂取になりがちになる。それに酒とストレスが加われば、四〇歳で死んだとしても決して不思議ではない。
「仮に舜季殿が亡くなられたとして、後を継ぐのは?」
「安東太郎
神童という言葉を聞いた二人が、チラリと吉松に視線を向けた。だが吉松は別のことを考えていた。
(安東愛季…… 能代の湊を復活させた智将だったな。内政にも調略にも強い。できれば臣下に欲しい人材だ。だがまだ一四歳。はたして南部晴政に抵抗できるか?)
「殿。いずれにしても、安東と南部がぶつかるのは来年のことでしょう。十三湊を使えば、南部に気づかれることなく安東と接触できます。密かに、支援してはどうでしょうか」
「そうだな。南部に対する危機感は相当なはず。接触してみてくれ。段蔵、引き続き戦況を調べよ。ただし無理はするな。藤六(※長門広益のこと)は兵の引き締めを頼む。この豊作で、阿呆なことを考える国人が出ないとも限らないからな」
三名は一礼して、各々動き出した。
「わ、若君! 御家の危機にございますぞ! このような時に城下に出るなど……」
「騒ぐな、筑前。南部はここまでは来ぬ。間もなく雪が降り始める。今年はもう時間切れよ。それよりも民が動揺していないかを確かめておく必要がある。それに、新田に出入りしている商人が城下に来ているそうだ。新田吉松について聞きたい」
安東太郎愛季は、大高筑前守光忠の静止を振り切って城下へと出た。浅利が南部に攻められて滅亡寸前だという噂は、すでに檜山まで届いている。そのため浮足立ち、逃げ出そうとする者までいた。
「若、民が浮ついておりますな」
「そうだな。だから笑みを浮かべながら、悠然と歩け。我らが落ち着いていれば、それだけで民も安心する。時はまだあるのだ。慌てる必要はない」
城下町を歩き、町人に話しかける。そして声を出して笑う。上が余裕を持っていれば、下は安心するものである。南部が攻めてくるのではないかと問われると空を指し、冬に攻めてくれば奴らは凍死するだけだと答えてやる。来年、攻めてくるのではないかと問われれば、浅利が南部に変わっただけではないかと答える。真実かどうかなど、どうでも良い。短的に、庶民に伝わりやすい言葉で答えていく。少しずつ、町人たちは落ち着き始めた。
檜山川沿いの田畑を見つめる。愛季は幼い頃から、黄金色に輝く稲の波が好きだった。これを領内全体に広げたいと思っていた。そのためにはより広い平地が必要になる。米代川沿いの広大な平地には、前々から注目していた。湊安東家も自分が継いだ。いまなら檜山から湊まで、一気通貫で開発することができる。交易に力を入れ、蝦夷から越前まで船で繋げば、安東には大きな利が入ってくるだろう。
「実際、新田は十三湊で同じことをやっている。俺と同じことを考えるとはな。新田吉松か……」
自分より七歳年下の、会ったこともない人物を想像し、愛季は少しだけ楽しかった。
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