第47話 九十九衆

 恐山山系にある大尽山おおづくしやまに登るためには、むつ市からむつ恐山公園大畑線を自動車で移動し、恐山菩提寺に入る手前にある宇曽利湖畔の駐車場で自動車を降り、湖に沿う形で対岸まで移動して、登山口に入らなければならない。登山口までは高低差は殆どないため、特に危険なく日帰りで登山ができる。しかしそれは現代の話であり、戦国時代となれば恐山までの道も整備されておらず、まして鬱蒼とした森林に覆われる大尽山に登ろうなどという酔狂な者はまずいない。


「ふむ、思った以上に良いな」


 その大尽山の登山口からほど近い場所に、新田家の肝いりで諏訪神社が建てられた。石畳の道と鳥居、ひば材の社殿は本殿、拝殿、幣殿をしっかりと備えている。正直に言って秋田諏訪宮よりも立派だ。


「歩き巫女のための施設は全て調えてある。他に足りないものがあれば、なんでも言え」


「なんと立派な……」


 この宇曽利諏訪宮の宮司、南条籾二郎宗継は満足げに頷いた。歩き巫女の候補者は既に用意してある。あとは恐山の温泉地帯を整備し、本州最北端の歓楽街を形成する。宇曽利湖を隔てて清濁が対比されるかたちで存在するようになる。天台宗の菩提寺など、当然取り壊しである。


「坊主如きにあの温泉地帯は勿体ない。新田は寺領も荘園も認めぬ。すべからく没収する」


 歓楽街は忍び衆に管理させる。そこで落ちた金は、忍び衆の活動資金にもなる。引退した忍びが働くこともできるし、歩き巫女候補者を集める窓口ともなる。やがて天下が統一されたときは、各地に歓楽街を設けて新田の忍びたちが「みかじめ」をする。


「クククッ…… 美食、酒、女は古来より男が求めて止まないものだからな。それを新田が握る」


「殿、御貌が……」


 清らかで静寂な空気が流れる境内で、吉松は欲望丸出しの悪人顔となっていた。反省し、頬を揉んで表情を改める。


「新田に仕える者は隠居など許さぬ。活躍する場は俺が用意する。いま確かに生きているという実感を一生涯得続け、満足の中で死んでいく。俺自身そうありたいし、家臣にもそうあって欲しい。どうだ、段蔵?」


 霧から現れるかのように、音もなく黒い影が吉松の背後に出現した。籾二郎が太刀に手をかけ、吉松を庇うように前に出た。だが吉松はポンッと籾二郎の尻を叩いて、自分が前に出る。


「籾二郎、この者は加藤段蔵という。俺が探し求めていた忍びの者よ。腕は間違いなく、大望を抱いている。俺はそれを叶えることを約束し、召し抱えた。段蔵、この山はどうだ?」


「守りやすく攻めにくく、忍びの里としては最適にございます」


「必要なものがあれば何でも申せ。籾二郎に揃えさせる。籾二郎、お前は宇曽利諏訪宮の宮司として、巫女たちを束ねるのだ。そしてその裏で、加藤段蔵が巫女と忍びを動かし、奥州、さらには日ノ本すべてを裏から握る。段蔵よ。俺の計算では二〇年後に、新田は関東まで届く。風魔との決戦は二〇年後と心得よ」


 段蔵はニヤリと笑みを浮かべた。だがまだ動かない。


「何かあるのか?」


「早速頂きたいものがございます。我らの名でございます」


「なるほど。それもそうだな。忍び衆では味気ない。風魔のような、ドスの効いた名が良いだろう」


(甲賀や伊賀はみな地名だ。陸奥? いや味気ないな。風魔って漢字からして格好良いからな。それに匹敵する名前……)


「……九十九つくも衆。九十九とは付喪神のことだ。長い年月を経た道具に宿る神で、人の心を誑かす。新田が天下を獲ったとしても、いつの日かその天下は崩れよう。だが九十九衆は、末永くこの日ノ本を裏から見続けるのだ。どうだ?」


「良き名前、頂きました」


 段蔵が姿を消した。唖然としていた籾二郎が、吉松に問いかける。


「あれが、殿が仰られていた忍びの者ですか?」


「そうだ。優秀な男だぞ。籾二郎には宮司と武将の両面で働いてもらうことになる。忍びを動かしている時間はないし、そうした知見も無かろう? 忍びについては段蔵に任せ、籾二郎は環境を整えることに注力せよ」


「ハッ」


 こうして新田は、裏の力を手に入れた。天文二二年葉月(旧暦八月)に入ったころであった。





 忍びは本来、仕事の都度に雇われる。そして仕事が終われば離れる。腕に覚えのある者は、どこにも属すことなく流れ歩く。加藤段蔵も当然、そうした流れ者の一人であった。当然、他の流れ者とも知り合うことがあり、時に協力し合い、時に殺し合う。それが忍びの生き方であった。


「まさか段蔵を召し抱える者がいるとはねぇ。というより、よく仕える気になったね」


 加藤段蔵は職人に化け、金崎屋の船で越後に入っていた。春日山城の城下町にある遊郭の一室で、とある女と会っていた。遊郭を取り仕切りながら、忍びに仕事を斡旋する裏稼業も行っている。


「新田吉松、面白い童よ。だが甘き夢見る子供ではない。先々と足元の両方を見据えつつ、野望に燃えている。神童と呼ばれているが、違うな。あれは童の皮を被った怪物よ」


「主君のことを悪く言っていいのかい? いや、段蔵がそう言うなら、むしろ褒め言葉だね。それで、アチキに何をして欲しいのさ?」


 妖艶な仕草で酒を飲む。だが段蔵は冷たい表情のままであった。


「人手が欲しい。俺一人ではすべては仕込めん。それなりの腕を持つ男女が五人は欲しい。殿はすべて召し抱えてくださる」


 横に置いていた重そうな箱を開ける。銭の束が敷き詰められていた。


「金、銀、銭。必要なものは何でも用意すると仰せだ。日ノ本随一の忍び衆を作り上げろと命じられた。それに乗ってくれる者が欲しい」


「……アンタの主君は子供かい? って子供だったね。忍びにそんな大金をポンッと渡すなんて、持ち逃げしてくれって言っているようなもんじゃないかい。そこまで信じられたら、アンタは逆に裏切れないだろうね。それを読んでのことなら、大したもんだけど」


「当然、読んでおられる。その上で、俺を信じて任せてくださった。だから裏切らぬし、裏切れぬ」


「怖い子供だね」


 女は面白そうに笑って酒を干した。


「いいよ。心当たりが何人かいる。田名部については春日山でも噂になっているし、興味を持つ者もいるだろうね。明日の夜、また来な」


 段蔵の姿が消えた。箱はそのまま置かれていた。女は目を細めて箱を見つめる。久々に、酔いたいと思った。





 宇曽利諏訪宮は順調に動き出した。宮司も巫女も揃い、蔵には蓄えも充実している。祈祷や託宣などを行って、それで生計を立てながら奥州を回るのが主な役目だ。時には死者を下ろして口寄せも行う。


「それにしても、なぜイイズナが置かれているのでしょう?」


 若い巫女が真新しい諏訪宮の境内に設置された、イイズナの像を見上げて首を傾げた。


「この宇曽利の地では、イイズナを使役する飯綱使いと呼ばれる者たちがいると信じられています」


 声が聞こえて振り返る。見惚れるほどの美男子が宮司の恰好をして立っていた。巫女は頬を染めた。


「籾二郎様」


「また蝦夷の民たちは、祭事において神を下ろすことをイタックというそうです。この宇曽利の地を神が守りし地としたい。そういう思いから、この地に多く棲むイイズナを奉っているのです」


「そうなんですね。私たちが巫女みこと呼ばれていないのもそのためですか?」


 美青年は頷いて微笑んだ。巫女の頬が染まる。


「皆さんはただの巫女ではありません。神を降ろし、死者の言葉を聴き、時には飯綱を使う者。神がいつきし者。私はイタコと呼びたいと思っています。さぁ、掃除がまだでしょう。私も手伝います」


 社殿の屋根から、二匹のイイズナが見下ろしていた。

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