第44話 一所懸命
戦国時代の主家とは、国人衆の代表のようなものである。当然ながら、浪岡家が降伏したとしても、臣従していた国人衆も従うとは限らない。そこで吉松は、前当主具統および現当主具運の連名で、臣従している国人衆たちに書状を出させた。
大評定で今後の方針について新田家から話がある故、国人衆は全員参加せよ。新田は決して参加者に危害は加えず、また各家を潰すようなことはしない。それは前当主である自分が生かされていることからも解るはず。当主不在の場合は代理の者を送られたし。なお参加しない場合は一滴の血も残ることなく、新田家に滅ぼされることを覚悟せよ。
この書状によって、国人衆の選択肢は三つに限られた。浪岡に臣従するか、自立して新田と戦うか、南部家、大光寺家などの他家に寝返るか。だが後者二つを選択した場合、いの一番に滅ぼされることを覚悟しなければならない。南部家や大光寺家も兵糧が不足する中で、たかが数百石の国人のために新田と事を構えるとは考えられない。臣従する、しないはともかく、人を出さざるを得なかった。先の戦で当主を喪った家も、誰かしらが家に残っている。そうした者たちも含め、ほぼすべての国人衆たちが集まった。大評定の間では、異様な静けさとなっていた。
「此度の件、すべては我が不徳、我が愚かさから出たこと。皆々の衆には深く詫びる」
大評定では国人衆たちが胡坐で座っている。そして当主の座には吉松が座っていた。浪岡具統は吉松に背を見せる形で、評定の間に座る国人衆に手をついて謝罪した。具運は父の後ろで、同じように頭を下げる。だが誰も反応しない。状況が理解できず。どう反応して良いのか解らないからだ。ここで具統を悪し様に罵れば、下手したら新田の不興を買う。かといって許すといっても、犠牲が大きすぎる。
沈黙が数瞬流れた。吉松はパンと自分の膝を叩いた。皆が吉松に注目する。
「浪岡家の沙汰については、追って話をする。両名を含め、まずは俺の話を聞いて欲しい。二人とも戻ることを許す」
具統、具運が吉松から見て右手に下がる。臣下の席であった。つまり沙汰を待つまでもなく臣従したということである。その光景に、この評定がただごととはならないと、皆が察した。
「さて、俺の降伏勧告を忘れたという者は、恐らくはおるまい。すべての土地を差し出せ。俺はそう勧告した。だがここにいる者は、皆一様に思ったはずだ。土地を取り上げるとはどういうことだ。我らに滅びろというのか。命を懸けて我が土地を守らなければ…… 違うか?」
返答する者はいないが、何人かが頷く。吉松は国人の前列に、見知った顔を見つけて問いかけた。
「赤松隼人、其方に問いたい。一所懸命とはなんだ?」
「はっ…… はぁ、その…… い、命を懸けて自分の所領を守ること。でございましょうか?」
「そうだな。先祖から受け継いだ自分の土地を次の子孫に残す。この土地を守るために奉公し、時には弓、槍を手にする。皆がそう思っている。我が土地を守るために命を懸ける。それが一所懸命だとな。はっきり言おう。それは大間違いだ!」
評定の間に、吉松の声が響いた。ゴクリッ、誰かが唾を飲んだ音がした。
「およそ千年前、まだ清和源氏も藤原もいなかった頃、日ノ本の土地は誰のものでもない。すべて
皆が呆気に取られている。まさか目の前の童から、一〇〇〇年前の話を聞かされるとは思っていなかったからだ。
「一方、日ノ本各地では百姓が逃亡、浮浪し賊徒になるということが頻発していた。そこで朝廷は各地の国司に賊徒討伐を命じた。そこで活躍した家については、今さら語るまでもあるまい?」
皆が頷く。武家ならば誰もが知る名前である。桓武平氏、清和源氏、秀郷流藤原氏などだ。
「在地領主は、荘園を守るためにそうした武家と繋がりを持つ必要があった。武家が武力を維持するためには、米が必要だった。在地領主が荘園を守るためには武力が必要であった。そこで在地領主は土地の一部を武家に任せ、かわりに荘園の治安維持を依頼した。土地を開けば、利水の権利や通行の権利などが生まれる。そうした利権を巡って、領主同士で争うこともある。武家の武力は領主にとって必要だった。多くの領主と結びつけば、それだけ武家の力も高まる。やがて二つの家が特に力を持つようになった」
無論、平氏と源氏である。吉松は話を続けた。
「鎌倉幕府は、平氏、そして奥州藤原氏との戦いにおいて活躍した武士に、土地を与えた。御恩と奉公という考え方だ。土地を与えるからそれで手勢を養え。そして戦の時はその手勢を率いて主君のために働け。この考え方の根にあるのは、在地領主と武家の関係だ。在地領主が土地を豊かにし、武家がその土地を守る。武家は、在地領主のために命を懸ける。これが一所懸命の始まりよ」
全員が頷いた。ここまでは武家であれば常識であり、一定規模の国人ならば幼少から学ぶことである。だがここからが、吉松が語りたいことであった。
「だが、この鎌倉の制度には欠陥があった。武家に土地を与えるが、その土地の開発は依然として国司と開発領主、つまり公家が担っていた。与えられた土地の治安を維持することが武家の役割であり、土地そのものを開発することはない。鎌倉によって任じられた守護たちは、治安維持のみを役割としていた。やがて南北朝、そして室町へと至る。武家は遠征に駆り出され、領地の維持が難しくなった。そうなれば土地は荒れる。国司は力を失い、次第に守護が、その土地の開発まで担うようになった。三代将軍義満公の時代に、守護の権限は拡大され、幕府に任じられた守護がその土地の開発と治安維持を担うという守護大名が誕生した。そして一所懸命の武家たちは、守護と主従関係を結ぶようになった。さて、ここまで聞いて、何か一つ気づかないか? 隼人よ」
「は?」
赤松隼人は目を瞬かせた。童とは思えない博識と解りやすい話ではあったが、この場にいる多くの者はこの話を知っている。いまさら疑問があるとは思えなかった。
「誰が開発するのだ?」
「は?」
「かつて、武士の土地は国司や開発領主によって開発されていた。しかし今や、国司も開発領主もおらぬ。この場にいる国人の多くは、鎌倉から続く家であろう。守護もいないこの津軽で、お前たちの土地は一体誰が開発するのだ?」
「そ、それは百姓たちが……」
「たわけが!」
吉松は怒鳴った。多くの者が、ビクッと反応した。
「もともと武家は、土地を捨て賊徒となった元百姓たちを討伐するために生まれたのだぞ。そして開発領主が、そうした賊徒から土地を守るために武家を雇ったのだ。百姓が土地を豊かに出来るのならば、そもそも賊徒にもならず、武家を雇う必要もないではないか! 教えてやろう。それは武家であり国人の役目だ。国司無きいま、武家が土地を豊かにせねばならぬ。その土地を持つ武家が知恵を働かせ、創意工夫し、民百姓が飢えることなく暮らしていけるようにせねばならぬ。一所懸命とは、その土地を守ることだけではない。子や孫が繁栄するよう、その土地を命懸けで豊かにしなければならんのだ! だがそれを弁えておらぬ武家が多すぎる!」
そして吉松は盛大に息を吐いた。
「確かに多かれ少なかれ、民のことを思い、土地を豊かにしようとしておる武家もある。だが温い。俺から見れば温すぎる! 田名部は僅か数年で、石高を一〇倍に増やした。今では田名部の民は誰もが、米の飯を鱈腹食べ、焼き魚や煮物に舌鼓を打ち、夜ごと酒を飲んでおるわ。何着もの衣服を持ち、使いきれぬほどの炭薪を蓄え、寒さなく野盗に怯えることもなく、皆が豊かに暮らしておる。俺が知る限り、民を豊かにしようと心砕き身命を賭したのは、亡き弾正大弼殿のみよ。故に!」
吉松は瞳に力を込めた。
「俺に土地を渡せ。いや、預けよと言い換えても良い。その土地の開発を新田に任せよ。五〇〇石の土地を持つ者には、毎年五〇〇石を与える。そうだな。一〇年後には、希望する者に預けた五〇〇石の土地を戻してやっても良いぞ」
何人か、喜色を浮かべる者がいた。だが吉松の次の言葉で顔色が変わる。
「言っておくが、その五〇〇石の土地は一〇年で一〇倍以上の石高になる。つまり五〇〇〇石の土地になる。その中から返すのは五〇〇石の土地だ。つまり石高は変わらないが土地の広さは一〇分の一になるぞ。それよりも、
「お、およそ八〇〇石でございます」
「その八〇〇石、すべてお前の懐に入るのか?」
「いえそれは年貢が…… あっ…‥‥」
吉松はニヤリと笑った。
「気づいたか? たしか浪岡も五公五民であったな。五〇〇石の国人に五〇〇石の禄を与える。これはつまり、自分の家で使える石高、可処分所得とでも言おうか? これが二倍になるということよ。本来なら二五〇石しか入らんからな」
顔色が変わる者が出始める。吉松が大好きな顔色、欲望の顔色だ。
「さてどうする? 土地持ちに戻りたいというのなら、この場から出ていって構わん。ただし俺が認めるだけの開発をやってもらう。できなければ取り潰す。それとも新田の家臣として、いまの倍の石高を禄としてもらい、家を栄えさせるか。選ぶがよい。ちなみに浪岡家はすべての所領を差し出したぞ。そのうえで、俺が禄を決めて良いそうだ。先代の具統には、寺社関係の取り持ちなどをやってもらう。当主具運は文官として俺を手伝ってもらう。土地を豊かにするとはどういうことか、見せてやる」
「「ハッ」」
国人たちが顔を見合わせる。だが出ていこうとする者は一人もいなかった。
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