第42話 五所川原の戦い

 津軽半島は、その東に津軽山地という山地を持ち、中央には岩木川が流れる広大な平地を持つ。岩木川の治水が完了している現在では、津軽平地は米の一大生産地となっているが、戦国時代では萱が茂る湿原が地平の彼方まで続いていた。十三湊は古来から、北日本交易における重要拠点であり、岩木川の水運も発達していたが、蠣崎蔵人の乱以降は急速に衰退し、この広大な湿原は手付かずのまま放置されていた。


「なんとも勿体ないことよな。時間は掛かるであろうが、いずれ俺が、津軽を一〇〇万石の土地に変えてみせよう。そのためにもまずは浪岡よ。浪岡の持っている土地をすべて我がモノにしてくれる!」


 十三湊から五所川原まで続く下ノ切通しものぎりどおりを南下する。津軽半島中央を縦断する交易街道だ。やがて五所川原と呼ばれる平地に到着する。治水工事のために集落が形成されており、浪岡攻略の拠点となる場所であった。


「五所川原の東に、飯詰いいづめ館、原子はらこ館があります。湊安東がいた頃より、浪岡の北方を守っていました。まずはこの二つを落とすべきでしょう」


 集まった兵力は一八〇〇、そのうち八〇〇が常備軍であり一〇〇〇は臨時で集めた農民兵である。浪岡が本気になれば三〇〇〇は兵が集まるだろう。野戦でまともにぶつかれば、勝つことは難しい。

 当然、その疑問は見学として参戦している蠣崎彦太郎や下国八郎師季もいだいていた。


「そうだな。こちらが軍を動かしたことは浪岡も承知のはず。そろそろ来るだろう」


 陣を置き十三湊からの物資を集積していると、浪岡からの使者がやってきた。赤松隼人、浪岡の準家老ともいえる家臣である。整然とした陣と大量の物資に赤松隼人は頬をひくつかせた。


「俺が新田吉松である」


「浪岡具運が臣、赤松隼人でございます。これは一体、いかなることでございましょうか?」


「いかなることか、見てわからぬか?」


 吉松は三〇前後と思われる目の前の男に対して、逆に問いかけた。


「浪岡では、すわ戦かと騒ぎになっております。新田家と当家とは、治水賦役で共に力を合わせてきた間柄、このような騒ぎは両家にいらぬ不和を……」


「その通りだ。解っているではないか。戦よ!」


 隼人の言葉を遮り、吉松は大声で返答した。


「この一月、俺は待った。岩木川の賦役も、新田家の方で人を集めた。朝廷への手土産が腐ろうとも、きっと浪岡から何かしらの使者が来る。そう信じていた。だが一向に来ぬ。お前たちは新田を舐めているのだろう?」


「いえ! 決して、決してそのような……」


「というのは表向きの理由よ。実際のところはな。浪岡の土地を取り上げに来たのだ。浪岡弾正大弼具永だんじょうだいひつともなが亡きいま、お前たちにこの肥沃な津軽の土地は勿体ない。よって、その土地は新田が没収する。いま降伏するのならば、石高と同等の禄で召し抱えるぞ?」


「なっ……」


 隼人は絶句し、そして怒りの表情となった。無茶苦茶な論理である以上に、この言葉の裏を察したからだ。年明けから浪岡に広がった根も葉もない噂は、新田が仕掛けたことであった。すべては口実づくりのため、この侵略のためだったのだ。


「……見たところ御手勢は一五〇〇を超える程度、その程度で当家に勝てるとお考えか?」


「決裂だな。急ぎ浪岡に戻り、兵を整えられよ。この五所川原で決戦といこうではないか。一人でも多くの兵を集めてくるのだぞ?」


 吉松の笑い声を背に、赤松隼人は浪岡城へと急いだ。




 吉松の挑発は当然、浪岡家中を激怒させた。川原具信以下、主だった家臣たちが一斉に立ち上がり、出陣する。同時に、五所川原の東にある飯詰館と原子館からも兵が出た。朝日高義、奥寺万助、金木弾正忠、源常顕忠など家中のほとんどが出陣する。多田家は、嫡男が元服していないということもあり兵を出せなかったが、それでも二八〇〇名の兵が五所川原に集結した。


「殿。敵は三〇〇〇弱、このままぶつかれば当方が不利です。どうされますか?」


「越中守、解っているはずだぞ?」


「では、最後の仕上げを……」


 およそ四〇〇間(七〇〇メートル強)を挟んで両軍が対峙する。その間を背に白旗を刺した一騎が駆けた。浪岡軍に矢文を放ち、自陣へと戻っていく。文は直ちに、本陣へと運ばれた。


「これは……」


 浪岡家当主浪岡具運は、文を読んで手を震わせた。川原具信がその文を読み上げる。


「まずは弾正大弼殿の御逝去を心よりお悔やみ申し上げ候。一所懸命を心得し方の御逝去を新田吉松は深く痛み候。然るに残されし者たちは、民を富ます術を知らず、それを学ぼうとする意志を持たず、ただ漫然と弾正大弼殿の遺産を食い潰すだけの輩に見え候。新田家は飢え、震え、怯える浪岡の民を見るに忍びなく、ここに兵を興し候。一所懸命の心得を僅かでも持つならば、すべての所領を新田に明け渡し、降伏することを心より御勧め申し上げ候。なお、降伏勧告は二度目故、三度目はないものと心得て頂きたく候…‥‥なんだこれはっ!」


 激高した具信は、文をビリビリと引き千切った。要約すると「お前らは土地を治められない無能なんだから、新田にすべて渡せ」ということである。国人に対して、いや武士に対しての最大限の侮辱であった。当然、各国人たちは激怒し、それぞれ兵を率いて出陣する。戦術も策もない。ただ自分の兵を率いて突撃するだけだ。奇異にも見えるが、これが当時では当たり前の戦い方であった。


「ハハハッ、阿呆どもが…… 越中守、頼むぞ」


「ハッ!」


 南条越中守広継は、最前線に出た。一〇〇名の鉄砲隊が三段、計三〇〇丁が待ち構える地獄の入り口に、浪岡軍が殺到する。


「距離一〇〇間を切ったところで斉射する。引きつけるぞ!」


 萱が覆いしげる平原を足軽たちが駆けてくる。鉄砲隊はじっと敵が来るのを待ち構えた。そして一〇〇間を切った時、広継の鋭い声が響いた。


「撃てぇっ!」


 音が轟き、中には立ち止まる兵士もいた。だが大半は無我夢中の状態で、そのまま駆け続ける。再び音が響く。そしてまた音がする。さすがに異変に気付き、浪岡軍が止まった。

 それは異様な光景であった。兵士たちは進んでいるはずなのに、敵陣に五〇間以上近づいて倒れている死体が殆どないのである。


「な、なんだ? 何が起こっている?」


 川原具信は、頭が真っ白になっていた。


「よし、嗤え!」


 一〇〇〇名の臨時兵が一斉に嗤い声を出す。吉松の指示であった。敵を冷静にさせてはならない。とにかくこちらに突撃させる。そして射程に入った敵は鉄砲で「駆除」する。

 嗤い声の中、鉄砲隊は淡々と銃身の掃除を行い、弾込めをする。やがて敵が再び突撃してきた。嗤い声に轟音が重なった。


「これはもう、戦ではない。鹿や猪を狩るのと同じ。いや、それ以下だ」


 下国師季は、声を震わせていた。目の前では、目を背けたくなるような殺戮が行われている。吉松にとって戦とは、土地接収を邪魔する害獣を駆除する作業でしかない。武士として、いや人としての誇りもほまれも認めない。ただ黙って土地を差し出せ。そうすれば仕事と禄を呉れてやる。それが嫌なら害獣として駆除するのみ。それが新田吉松の戦であった。


「殿、敵が退いていきまする」


「よし、このまま一気に浪岡を突くぞ。他の館には眼もくれるな。逃げた連中はどうせ、閉じこもって震えているだけだ。浪岡を獲れば、それでこの戦は御終いよ」


 近習の手伝いを受けて、吉松は馬に乗った。まだ齢七歳の身体では、一人で馬に乗ることすらできないのだ。だがこの童が、瞬く間に一〇〇〇名以上を殺害したのだ。こちらには一兵の損害も出ていない。


「彦太郎、どうであった?」


 吉松は、同じように馬に乗った蠣崎彦太郎に声をかけた。彦太郎の顔色が悪い。元服していないため初陣とは呼べないが、初めて見る戦に恐怖しているのだ。


「お、恐ろしいです。とにかく、恐ろしいです」


「戦が恐ろしいか?」


 それであれば問題だと思った。彦太郎にはこの先、新田の武将として働いてもらわなければならないのだ。だが彦太郎は首を振り、恐怖の眼差しを吉松に向けた。


「吉松様が、恐ろしいです。なぜ、こんな殺戮ができるのですか?」


 吉松は目を細めて頷いた。そして累々の死体が転がる津軽平野に視線を向ける。僅かな間で、浪岡は半数近くの兵を失った。兵の多くに、妻や兄弟、友がいるはずである。当然、その恨みは新田に向けられる。


「俺はこれからも、こうした殺戮を続けていくだろう。そしてその数だけの怒り、恨み、憎しみを向けられるだろう。だが、誰かがやらねばならぬ。この日ノ本を統一し、民を安んじ、農林漁業畜産業を発展させ、さらに様々な新産業を振興する。一つに纏まった国、日本国として、広く他国と交易を行う。そのために、俺はこれからも戦い続ける。何十万、何百万という憎悪を背負いながら、それでも俺は歩み続ける。それが、新田吉松の生き方なのだ」


 それが天下への道。なんという哀しき道なのだろうか。だが彦太郎は安心もした。新田吉松は決して無慈悲な人間ではない。すべてを背負う覚悟で、天下を目指しているのだ。


「私も、僅かでも背負います。殿……」


 彦太郎の言葉に、吉松は笑みを見せた。

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