第40話 津軽、風雲急を告げる

 吉松は天井を見つめていた。田名部館の外は極寒、吹雪である。だが室内は、炭団が温もりを与えてくれるため、それほど寒くはない。ヒヤリとした手が吉松の額に当たった。それが存外心地よく、吉松は目を閉じた。


「殿様、悩んでる?」


 蝦夷と和人との間に生まれたアベナンカの膝枕で、吉松は考え事をしていた。別にアベナンカと特別な関係という訳ではない。そもそも齢七歳の吉松には、そうした関係は無理というものである。単純に、アベナンカが暇そうだったからという理由と、いま作ろうとしている「そば殻枕」の参考とするため、女性の膝枕の感覚を確かめているだけだ。だが考え事は別の方向に及んでいた。


「俺は少し、調子に乗っていたのかもな」


 蠣崎と浪岡を臣従させ、南部家に対抗する。経済力と武器の質で南部家を追い詰め、南部晴政に隠居させる。俺が娘を嫁に娶っても良いし、一門衆の誰かを傀儡にしても良い。いずれにしても南部を臣従させれば、五年以内に奥州は制覇できる。そうなれば次は関東と北陸だ。四〇年以内に日本を統一できる。そう考えていた。だが現実は、最初の一歩から踏み外している。何度も経験してきたはずなのに、頭で考えるほど現実は甘くないということを、精神年齢八〇近くで再び思い知った。


「殿様、大丈夫?」


「ん? あぁ、すまんな。少し落ち込んでいた。アベナンカには安心して愚痴れる」


「難しいことはわからない。でもカムイノミはきっと届く。元気出して」


 カムイノミとはアイヌの祈りことである。吉松は今回の浪岡の乱で死んだ浪岡具永のことを考えた。惜しい人物だと思った。この北限の地で、あそこまで浪岡家を繁栄させたのである。並の内政力ではない。史実では、あと一〇年近くは生きるはずであった。せめて新田が大きくなった姿を見てから死んでほしかった。


(浪岡北畠家で見るべき人物など、他にいるか? 川原具信は確かに勇将かもしれないが、その程度なら他にもいる。というか俺は個人の武力など認めん。鉄砲一〇〇丁を前にそれでも生き残れたら別だがな)


 思考は鉄砲へと切り替わった。田名部では金崎屋が運んできた鉄砲を分解し、それを参考に鉄砲製造方法を確立させ、すでに二〇〇丁以上を製造している。だが吉松は、それは過程に過ぎないと言い聞かせていた。他家と同じ武器を持ったところで意味はない。その武器を遥かに凌ぐ性能を有したときに、圧倒的な競争優位性を確立することができる……

 再び、額が撫でられた。心地よいと思った。吉松は、考えることを止めた。




 一方、浪岡城においては深刻な対立が発生していた。先において、無駄に血を流させられた藤崎玄蕃、水木兵部尉は無論のこと、奥寺、朝日、強清水といった重臣たちが次々と離反してしまったのである。彼らは皆、土地を持ち、そこに館を構える国人たちである。浪岡北畠家という名門と、具永という傑物に忠誠を誓っていたのだ。


「彼らはなにも、浪岡家を見限ったわけではない。ただ、先代を手に掛けた者を許してはおけぬ。とてもついていくことはできぬと言っておるだけだ。新田は十三湊に隠居用の屋敷を用意すると言っている。ここは家を残すことを第一に考えるべきではないか?」


 実弟である川原具信が、当主の浪岡具統に説得を図る。すでに周囲はみな離反してしまったのだ。このまま春になれば、石川城から攻められる。その時に彼らがどう動くかわからないというのである。


「ふざけるな! 俺は、俺は……」


 おこりのように震える具統を見て、具信は内心でため息をついた。具統がすべて悪いという訳ではない。責任の一部は具永にもある。隠居した段階で、浪岡城を出るべきだったのだ。そうすれば具統も少しは背骨がしっかりしたであろうに。


「兄上よ。もし十三湊が嫌だというのなら、俺のところでも良い。隠居して城を出ろ。具運ともかずも二一になる。もう立派な大人として自分で歩くことができる。兄上が抱えてきた苦悩を息子にまで背負わせるのか?」


 具統の震えが止まった。がっくりと肩を落とし、嫡男である具運を呼んだ。




 結局、浪岡城の混乱に決着がついたのは、年を越えて天文二一年(一五五二年)になってのことであった。当主の浪岡具統は隠居し、実弟である川原具信がいる川原館に入る。新しい当主は、具統の嫡男である浪岡具運となり、具信が後見する。浪岡北畠家にとっては無難な着地であったが、吉松からすると一つの誤算があった。前当主の具統が十三湊に来ないことである。


「さすがに他家に世話になるということを避けたのでしょう。浪岡からすると人質にもなりかねません」


 十三湊から報告に来たのは南条籾二郎であった。年明けの再交渉は兄である南条越中守広継が担っている。籾二郎自身が、兄に頼んだらしい。理由を聞くと、ただ右手で左腕の上腕を押さえた。それだけで吉松は何となく察した。


「しかし、具統も馬鹿な奴だな。自分で自分の寿命を縮めるとは……」


 吉松は牛蒡茶を飲みながら呆れたように笑った。籾二郎が首を傾げる。男になってから女らしく見えるとは一体どういうことだろうかと思いながら、吉松は説明した。


「恐らく一年以内に、具統は殺されるぞ。御家騒動の種だからな。十三湊に来れば、飢えない程度の捨扶持を与えてやったものを」


 籾二郎は一瞬呆気にとられて、そして頷いた。混乱を起こした張本人、それも前当主である。生かしておく理由が無かった。体制が整い、朝廷に向けて使者がでる直前辺りで死ぬだろう。御家騒動自体を無かったこととして、臆面なく朝廷に官位をねだるに違いない。


「まぁいい。最低限の着地をつけた。これで曖昧だった浪岡との境も決まった。後は口実だけだな。別になくてもいいが……」


「殿? まさか、浪岡を御攻めになられるのですか?」


「攻めない理由があるか?」


「朝廷への使者に持たせる土産を用意するというのは……」


 籾二郎は、何か恐ろしいものを見るような瞳を吉松に向けた。吉松は苦笑して右手に顎を乗せた。


「あのなぁ籾二郎。俺が浪岡を攻めずにいたのは、浪岡具永という傑物がいたからだ。老人ではあったが、まだまだ長生きしそうだった。だから攻めるよりも取り込むことを考えた。しかし具永は死んだ。具統も消える。残るのはいきなり据えられた若い当主と小さな国人たちだ。簡単に食い殺せる」


 そして表情を暗くし、薄笑いを浮かべた。


「朝廷への土産という話は、具信を説得するための撒き餌よ。用意はするさ。だが新田の名で用意する。浪岡の使者に持たせる必要などない。どうせ使者など出ないのだからな。今は乱世。食えるときは迷わずに食う。それが掟よ」


 籾二郎はゾクッと震えた。そして思った。これが神童、新田吉松の正体。なんという頼もしさなのだろうかと。




「そうか。兵糧はギリギリの状態か」


「は、残念ですが他を攻める余裕はありませぬ」


 金沢円松斎かなざえんしょうさいの報告に、石川左衛門尉高信は舌打ちした。


「我らは今年の収穫まで兵を興せぬ。この間隙を新田が見逃すはずがない。恐らく夏までに、浪岡に向けて兵を動かすだろう」


「やはり新田が動きますか」


「新田吉松は約束を守る男だが、甘い男ではない。新田と浪岡との間に不戦の盟があれば別であろうが、そのようなものはあるまい。賦役で協力するという程度の繋がりであろう。ならば攻めぬ理由がない。口実は何でもよい。賦役の約束が破られただの、具永殿との約束と違うだの、適当にでっち上げることさえできる。実際、残された者たちで弾正大弼と同じ統治ができるとも思えんからな」


「齢七歳で、そこまで……」


金沢円松斎は呆れたような、あるいは恐ろしい何かを見ているかのような表情を浮かべた。高信の表情も厳しい。浪岡は飲み込まれるだろう。そうなれば南部はいよいよ、新田と対峙することになる。檜山安東や独鈷浅利も動き出すだろう。津軽を失うかどうかの瀬戸際となる。


「雪解けと共に、三戸に向かうぞ。兄上に相談しなければ」


 津軽が、風雲急を告げ始めていた。

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