第39話 浪岡騒動

 宇曽利郷(下北半島)は冬になると、一面が雪に覆われる。田名部館においても毎日のように、屋根の雪下ろしを行う。この日、吉松は雪下ろしと館内の掃除を指示していた。

 蠣崎家に戻った連中のうち、南条広継と宗継の「兄弟」は、一足先に田名部に戻ってきている。蠣崎彦太郎と長門広益は、蠣崎家の重臣たちと今後について話し合うため残った。十三湊の守りが薄くなるが、この真冬に兵を興すような馬鹿は津軽にはいない。岩木川の治水工事も冬場は休みとなり、十三湊の整備が賦役の中心となる。

 真冬は雪との戦いになる。そのため他家に戦を仕掛けるような余裕はない。この思い込みが吉松の中に一種の弛緩を生んでいた。


キキキュッ


 鳴き声のほうに顔を向けると、真っ白なイタチが走っていた。イイズナである。可愛らしい外見だが気性が荒く、飼いならせるものではない。


「そういえば、イイズナを飼いならす者がいると聞いたことがあるな。飯綱使いと呼ぶそうだが……」


 焼いた肉でも与えてみようかと暢気に考えていた時に、館に急使が駆け込んできた。やがてドタドタと盛政が駆けつけてくる。


「御爺、齢を考えろ。そんなに慌てて息切れさせて、心の臓が止まったらどうする?」


「吉松よ、それどころではないわ。一大事じゃ!」


「なんだ? 銭衛門の船が沈んだりしたのか?」


「違うわいっ! な、浪岡が…… 浪岡が兵を挙げおった!」


「……は?」


 吉松の頭が情報の受け入れを拒否した。いやいや、兵を挙げるって、もうすぐ師走だよ? 津軽地方だって一面が雪でしょうに、兵を集めてどこを攻めるっていうの? というか攻められないでしょ。


「十三湊から急使じゃ。おそらく、すでに石川城にまで達しておろう」


「どういうことだ? 浪岡具永の考えか? いや、あの老人がこんな無茶をするはずがない。率いている将は?」


「藤崎玄蕃げんば、水木兵部尉ひょうぶのじょうが出ておるそうじゃ。じゃが一門衆の川原具信が出ておらぬ。また、多田伊賀守もじゃ」


「川原と多田が出ていない? それはおかしい。石川城を攻めるのであれば、浪岡も全軍を出す必要があるはず。なにを考えている?」


 吉松の脳裏に、川原御所の乱という言葉が過った。だが浪岡具永は未だに健在であり、そんなお家騒動が起きるとは思えなかった。


「情報が足りない。諜報部隊の整備を急がなかった俺の手落ちだ。御爺、今は動けぬ。南条越中を十三湊に送って指揮をとらせる。とにかく守りを固めるのだ」


「相解った」


 こうして、後に「浪岡騒動」と呼ばれる一連の事件は、天文二一年の霜月(旧暦一一月)の暮れに起きた。事情が不明なため、新田はとにかく守備に徹した。一方、石川城では新田よりも早く、かつ正確な情報を掴んでいた。


「まさかこの時期に兵を興すとはな。それで、数はどの程度だ?」


「およそ一五〇〇が平川を超えてこちらに進軍中とのことです」


「一五〇〇でこの城を落とせると本気で考えているのか? 具永殿も不肖の倅を持たれたものよ」


「殿、どうされますかな?」


 石川家家老の金沢円松斎かなざえんちくさいが楽しそうな表情で笑う。名前から解る通り、元々は僧侶であるが、自らを生臭坊主というほどアクが強く、石川家の外交と内政を担っている。


「放っておいてもよいとも思うが、民を苦しめるわけにもいくまい。迎え撃とう」


「殿、某にお任せくだされ。兵は五〇〇もあれば十分です。倅に戦を経験させる良い機会です」


 長嶺左馬助将連ながみねさまのすけあきつらが進み出た。元服したばかりの七右衛門将輝あきてると共に出たいという。


「よし、任せる。奴らはこの雪の中を進んできた。すでに疲弊しておろう。一当てすればすぐに崩れる。無理はするなよ。こんな下らぬ戦で兵の命を無駄にするでない」


 石川高信の見立て通り、浪岡軍は簡単に蹴散らされ、這う這うの態で逃げていった。そもそも戦の目的そのものが不明確なのである。ただ戦いたかっただけにしか見えなかった。


「奴らは一体、何をしに来たのだ?」


 長嶺左馬助が首を傾げたのも、無理からぬことであった。城に戻ると今後の対応について協議する。長嶺は強行軍を主張した。


「ここは勢いに乗じて追撃しましょう。いま浪岡を攻めれば落ちるのは必定! これを機に、津軽全土を手中に!」


「いやいや、待て待て。すると今度は、我らが先ほどの連中と同じになるぞ? 兵糧も不足しておる。それに大浦、相川とも連絡を取らねばならぬ。ここは動かぬ方が良い」


 結局、高信は金沢円松斎の慎重論を採用した。城内の兵糧が不足気味なのである。現実的に考えても、ここで仕掛けるというわけにはいかなかった。




 一方、先陣として雪の中を進軍させられ、一方的に蹴散らされた藤崎玄蕃げんば、水木兵部尉ひょうぶのじょうは、憤懣やるかたない思いであった。浪岡から一方的に出陣を命じられ、何とか兵をかき集めたのである。戦をするならもっと早くに決断をすべきであった。なぜ冬になってから戦をするのか。国人二名のみならず、兵たちまでそう思っていた。

 だがその不満は、浪岡城に到着したときに驚愕、そして怒りへと変わった。先代であり実質的な当主である浪岡具永は既に亡く、そればかりか重臣の多田伊賀守まで殺されていた。すべては当主、浪岡具統の判断である。具永の弟である川原具信は、川原館において門を閉ざしていた。つまり、浪岡家の御家騒動に巻き込まれたのであった。


「ふざけるな! 我らは親子喧嘩に巻き込まれた挙句、興さなくても良い兵を興し、いたずらに命を散らさせたというのか!」


 二人の激怒はもっともなことであった。具統としては、自分よりも父親を評価している二人が戦っている間に、決着を付けたいと思っていたのだ。最初は父親に浪岡城を出てもらい、十三湊あたりで隠居してもらおうと考えていた。しかし話し合いは徐々に過熱し、ついには具永が、吉松を見習えと言ってしまったのだ。父から評価されないことに劣等感を覚えていた具統は、この言葉に激昂し具永、そしてその場に居た多田伊賀守を殺害してしまったのである。


 この報せは、師走も末に近づいたころに、新田にも届いた。吉松は首を振って肩を落とした。もうすぐ齢七歳になるが、やけ酒を飲みたい気分だった。


「これで浪岡は草刈り場となる。我らはなんとか五所川原までは押さえたいが、肝心の浪岡城は石川左衛門尉の手に落ちるであろうな」


 十三湊を押さえているとはいえ、石川左衛門尉には大浦、相川、板垣、土岐などの国人衆もいるのだ。十三湊とは軍事力が違い過ぎる。


「殿、調略を仕掛けてはいかがでしょうか?」


 腕を組んで悩んでいたところに、本件を報告しに来た南条籾二郎宗継が、一つの策を提案した。




 浪岡城の南にある川原御所では、城主である川原具信が書状を読んでいた。目の前には十三湊から密かに訪れてきた男がいる。男とはいっても、その見た目は見惚れるほどに美しく、化粧をすれば女にしか見えないだろう。衆道の床に誘いたいと思ったほどだが、さすがに他家の臣にそのような真似はできない。


「それで、具統を十三湊であずかると?」


「はい。僭越ながら現在、御当家はどう着地をつけるかでお困りのはず。弾正大弼様(浪岡具永のこと)を手に掛けた具統様をお認めになられないという重臣の方々も多いのでは?」


「当然だろう。俺とて同じよ。父上は浪岡北畠家をここまで大きくした大人物ぞ。意見の違いがあろうとも、怒りに任せて手に掛けるなど許されることではないわ! それをあのたわけ者が……」


 具信は口を極めて、兄である具統を罵った。具信は気質としては武人であり、政事には向かない。だが武人らしい果断さがある。そうした決断力は、兄である具統より上であった。


「そこで、御嫡男の具運ともかず様にご当主となっていただき、具信様がその後見となられてはいかがでしょうか。後をお継ぎになられるとなると、官位も必要かと存じます。朝廷への品々は、新田家でご用意いたしましょう」


「ほう。そして兄上には隠居の上、十三湊で暮らしてもらうと? それで、新田になんの得がある?」


 なんの見返りもなしに気前よく大金を支払う者などいるはずがない。いくら武人気質とはいえ、その程度のことは川原具信にも解っていた。使者として川原御所を訪ねた南条籾二郎宗継は、その美貌に微笑みを湛えた。具信は思わず唾を飲んだ。


「新田はいま、岩木川の治水に力を入れております。弾正大弼様にはお力添えを頂いておりました。具運様がご当主になられた後も、引き続き人集めにお力添え頂きたいことが一つ。もうひとつは五所川原を境とし、津軽北部を新田領としてお認め頂きたく存じます」


「津軽北部か……」


 悪い話ではないと思った。津軽北部は湊安東氏の影響下にあったが、近年ではそれが弱まっていた。浪岡具永は五所川原に館を設け、以南の開発に力を入れていた。津軽北部は稲作が難しく、放置していたのである。新田がそこを領すれば、浪岡の北部は安定するし、十三湊を使った交易の利も見込める。


「俺としては、異論はない。だが事は慎重を要する。まずは家中を纏めることが先だ。年明けに改めて、詳しく話し合いを行いたい」


「承りました。戻って主君に、そう伝えます。…‥‥ご武運を」


 男装をしているが、所作の端々に色香があり、声は完全に女のものだ。次会ったときは床に誘おう。具信はそう思った。

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