第38話 浪岡城の不穏

 天文二一年(一五五二年)神無月(旧暦一〇月)、田名部に人質という名の留学をしていた蠣崎彦太郎およびその近習は、新田吉松の許可を得て故郷である蝦夷大館に戻っていた。彦太郎のみならず、長門広益、南条広継、そして頭巾を被った若武者一人が同行していた。徳山城では大評定が開かれ、蠣崎家の主だった重臣および国人たちが一堂に会していた。蠣崎家当主蠣崎季広は、評定の間で両手をついて妻の死を詫びる広継を許した。


「紅葉の件は残念であった。儂は来年一年間、喪に服すこととする。だが越中守よ。其方は立ち止まってはならん。其方には、やるべきことがあるはずだ」


「此度の件、すべては某の責にございます。つきましては、我が所領をお返しし、新田家で一から出直したく思います」


「なんと……」


 重臣たちがざわめく。季広は手を挙げてざわめきを止めた。


「某には兄弟はおらず、両親も他界しております。ここにいる南条家の遠縁、籾二郎のみが我が家族。籾二郎を某の弟と思い定め、田名部で出直しまする」


「そうか。其方に遠縁がいたか。籾二郎よ。儂は越中守を我が子同然と思うておった。その弟である其方もまた、我が子同然。新たな土地でいろいろと苦労するであろうが、兄である越中守を支えてやってくれ。二人とも、困ったことがあればいつでも蠣崎を頼るがよい」


「はっ……」


 僅かに震えながら、およそ男とは思えぬ声が頭巾から漏れた。それだけで察した者が数名いた。だがなにも言わない。所領を返上するというのは、余程の覚悟である。それに主君である季広の様子が少しおかしい。込み上げてくるものを懸命に抑えているように見えた。何か事情がある。だがこの場で聞くには憚られた。そして場の空気を変えるように、彦太郎が明るい声を発した。


「父上、私も田名部に再び戻りたく存じます。ぜひお許しください。もっとも、許されなくても出ていきますが……」


「ほう。それほど田名部での暮らしが気に入ったか?」


 季広が笑いながら嫡男に田名部の暮らしぶりを聞く。


「聞くもの、見るものすべてが新しく、学びになりました。それに吉松様はとても面白い方です。モノの見方、考え方がまったく異質で、まるでこの世の者ではないみたいな……」


「それが神童と呼ばれる所以か。新田は大きくなりそうか?」


「間違いなく。吉松様は、飢えず、震えず、怯えずとい三無の旗印を日ノ本全土に広げることを目指されております。それを聞いたとき、私の胸は震えました。天下への道。私も吉松様と共に歩みたいと思います」


 季広は目を細めて頷いた。広益がちょうどよいとばかりに、広益に提案する。


「どうでしょう。他の国人の方々も、田名部を一度見学してはどうでしょうか。新田の統治を見るだけでも、大きな刺激になるでしょう」


「殿。お許しを頂けるのなら、某も一度、田名部を見とうございます」


 蠣崎家の重臣にして茂別館もべつやかたを預かる下国師季もろすえが名乗り出る。それ以外にも複数の家臣たちが名乗り出た。蝦夷大館と田名部はそれほど離れていないが、豊かさが段違いだということは皆が理解していた。遠からず、蠣崎家は新田に臣従する。ならば今のうちに新田に靡いておいたほうが良い。そうした打算も働いていた。

 この光景を見ていた長門広益は、国人衆の節操の無さに呆れつつも、いずれこれが他の大名家にも広がっていくであろうことを感じていた。もし新田が南部家を飲み込めば、もはや奥州に対抗できる勢力は無くなる。檜山安東家や高清水斯波家でも、臣従論が出るだろう。戦をせず、疲弊することなく領土を拡張し、さらに力が大きくなる。


(戦で領土を広げるのではなく、豊かさを見せつけることで戦う意思そのものを無くさせてしまう。これが、吉松様の考える戦か。だが……)


 だがそれは、先を見通せる者たちの話である。実際、蠣崎家の中ですら、苦々しい表情を浮かべている者もいる。そうした者は抵抗し、いずれ自ら滅んでいくだろう。新田吉松は民に対してはどこまでも優しいが、武士に対しては厳しい。


(お家のためにも、某が緩衝となるしかあるまい。それが季広様への最後のご奉公となろう)


 新時代の到来を感じつつ、広益はそう腹を括った。




 一方、浪岡家では前当主の浪岡具永ともながと現当主の浪岡具統ともむねの親子で、少しずつ意見の相違が表面化していた。


「父上。何故、攻めぬのです。斯波御所様の呼びかけに応じなかったのは、まだ納得します。冷害による不作も見込まれましたからな。ですが、南部家はそれ以上に兵糧に乏しく、今であれば石川城まで攻め上れますぞ」


「あと一月もすれば雪深くなる。仮に石川まで攻めたとしても、落とすことはできぬ。獲った砦や館をどう保つのだ? 結局捨てざるを得まい」


「ですが、我ら北畠の力を示すことができます」


「誰に? 誰に示すのだ? 良いか具統よ。時代が変わろうとしておる。もはや名門の権威は通じぬ。権威とは、相手が認めて初めて通じるのだ。南部も新田も、過去の権威を認めぬ。自らの手で権威を作り上げようとしておる。無駄に血を流すでない。今は待つのだ」


「………」


 親子の意見相違は解決されることはなかった。こうした対立は当然、家中にも影響する。浪岡家重臣である多田伊賀守行義ゆきよしは、内密に具永のもとを訪れた。


御前ごぜん様、お怒りを覚悟で申し上げます。殿のことを、今少し御信用くだされ」


 浪岡具統は数え四三歳になる。嫡男も大きくなり、いつでも後を継がせられる。だが先代である具永の影響力は依然として大きい。四三

「儂もできれば楽隠居をしたいわ。じゃが、どうも(具統は)いまひとつ煮え切らぬ。当主なのじゃ。いちいち儂の許可など得る必要はない。攻めるべきと思うのなら、自分で決めればよいのじゃ」


 具永としては、当主が決断してやると決めたならば、たとえ自分とは意見が異なったとしても黙っているつもりでいた。だが「こうしたいがどう思うか」といちいち確認に来る。庶子であり具統の弟である河原具信のほうがマシにも思えた。


「我ら家臣が、殿をお支え致しまする。幸い、石川左衛門尉は新田を警戒しているらしく、こちらに対しては防御を固めるだけでございます。今は御家中を一つにすることが先決かと」


「そうじゃな。儂も口煩くなっていたのやもしれぬ。少し、口を噤むとするかの」


 田名部から歳暮で送られてきた牛蒡茶を口にする。体調を整える効果があるらしいが、牛蒡の風味と甘みが、具永の好みであったためよく飲むようになった。椀に入った薄褐色の湯を見ながら、多田行義に語り掛ける。


「のう、伊賀よ。浪岡北畠家も先が危ういのう」


「御前様、なにをおっしゃられます。そのようなことは……」


 だが具永は首を振った。浪岡家の最盛期を築いた男である。その先見性は確かであった。


「新田吉松の器量は、具統の比ではないわ。儂が死ねば、浪岡は混乱しよう。そして南部と新田に飲み込まれ、この地が戦場いくさばになる。半生を懸けてこの地を豊かにしたのに、それが崩れようとしておる。寂しきことよ……」


「御前様。具統様とて、決して新田吉松殿に劣るものではありませぬ。なにより我ら重臣一同、決してそのようなことは起こさせませぬ。この多田行義、身命を賭して浪岡を守りまする」


「伊賀よ、感謝するぞ」


 具永は寂しそうに笑った。




 具永と行義の話し合いは、人を遠ざけて行われていたはずであった。だが城内で話せば、何らかの形で伝わるものである。そしてそれが主君の批評ともなれば、大袈裟に伝わるのが「伝聞」というものだ。具統の耳には、父親が自分を廃嫡し、庶子である河原具信を当主に据えるという話が伝え聞こえた。


「なんだと、父上が……」


 これが普段であれば、具統も笑って否定しただろう。自分は四三であり、嫡男も次男もいるのだ。今さら浪岡家の当主を変えたところで、家臣も国人も認めるはずがなかった。

 だが具永とは最近、意見の相違が多い。そしてその原因ともいえる新田吉松の存在が、具統を苛立たせていた。尊敬する父親が齢六歳の童を手放しで褒めた。実際、新田は数年で一〇倍以上の大きさになり、陸奥から津軽に掛けて力を伸ばしている。それに比べて、自分はどうか。なにをしたというのか。父親の陰に隠れて、ただ当主の席に座っているだけではないか。そう言われているような気がした。


「おのれ…… 許さぬぞ。浪岡家の当主は俺だ!」


 鎌倉から代々続く奥州きっての名門浪岡北畠家において、大きな騒動が起きようとしていた。天文二一年神無月、雪が降り始めるころであった。

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