第37話 冷害の傷痕

 天文二一年(一五五二年)も収穫の時期を迎えた。新田領内においては田名部の他、大畑と川内の二つの集落でも収穫が始まっている。しかし今年はやませという冷害があり、昨年から収穫量は大きく落ち込んだ。吉松の指示により、文官たちは各農作物の収穫量を厳密に計算している。


「やはり米の落ち込みが大きいです。昨年と比べて三割以上は落ち込んでいます。概算で二万石強といったところでしょうか。稗についてはほぼ昨年通りですが、麦は二割弱の落ち込みです」


 詳細については書面で報告させ、評定では概算を共有し、今後の対策を話し合う。直近の課題は租税である。これまでの五公五民では、飢えはしないものの民は不満を持つかもしれない。


「やはり米に関しては四公六民にすべきか?」


「殿、それは御止めください。五公五民のままにすべきです」


 報告していた田名部吉右衛門が反対した。南条広継も同意したうえで言葉をつづけた。


「殿は民を第一にお考えになられます。お優しい殿を得た民は幸福でしょう。ですが、優しくすることと甘やかすことは違います。一度でも四公六民にすれば、今度はそれが当たり前になります。租税はそのままにし、御家をあげて次の冷害に備えることこそが、民への優しさというものでございます」


 蝦夷大館随一のイケメンが厳しい表情でそう言う。南条越中守広継は、政戦両略で活躍している。織田家でいえば明智光秀か丹羽長秀といったところだろう。「逆さ水松」の故事からも、忠義にも篤いことは疑いない。吉松としては、いずれ新田家筆頭家老になってもらいたい人材であった。


「わかった。両名がそう言うのなら、五公五民のままとしよう。それにしても、我が新田家ですらこれだ。南部家はかなりきつい状態だろうな」


 家臣たちは一様に頷いた。新田とは違い、旧態依然とした農法のままで、しかも戦までしているのだ。飢えから逃れるために田名部に行くという流れは続いていたが、収穫時期になるとその数は増えはじめた。


「今年の流民は、ついに二〇〇〇名を超えました。文字も書けない者が多いため、家族で逃げてきたものと単身で逃げた者を選り分け、新たな集落に送る予定です」


「単身者は船に乗せて十三湊に送れ。俺であればこの流れに乗じて、間者を紛れ込ませる。南部晴政も同じことを考えるだろう」


 その南部家においても、評定が行われていた。南部包囲網を弾き返しはしたものの、当然ながら民は疲弊していた。このままでは一揆すら起きかねない状態である。


「八戸、六戸の収穫は絶望的です。七戸、五戸、三戸では昨年の半分、津軽石川城は昨年から若干の落ち込みで済みましたが、全体でみると昨年の四割というところです」


 重臣たちの表情が一様に暗くなる。だが晴政は顔色を変えることなく、こう言い切った。


「租税はそのままとする。だが三戸に蓄えている備蓄米を吐き出せ。また石川にも同様の指示を出すのだ。備蓄米を民に与えよとな」


「殿、それでは万一にも攻められたら、我らは戦えませぬ」


 反対する者たちに、晴政は歯を見せた。


「攻める? どこから攻められるのだ? 連合して我らを攻めたのに弾き返されたことで、高清水の影響力は落ちておる。戸沢はもともと、安東や小野寺と敵対しておるし、それは浅利も同じだ。あの連合は一度だけのものよ。内輪で揉め始めるに決まっておるわ。それよりも今は、民を調伏するほうが先だ。税は仕方がない。だが我らも同じように飢えと戦っている姿を見せれば、民も納得するであろう」


 飢えはするが、飢え死にまではしない。我慢すれば乗り越えられるという見通しが立てば、絶望はしないだろう。


「ですが、新田がありまする。田名部は、攻めてきませぬか?」


「いや、それはないでしょう。約定を破棄して攻めるのであれば、斯波御前の呼びかけに応じていたはず。それに田名部は間もなく雪で閉ざされます。ここで兵を挙げたところで信用だけを失い、得るものはなにもありません。新田吉松という童は、油断ならぬ相手ではありますが、約定を破るような人物ではなさそうです」


 北左衛門佐信愛のぶちかの意見には、複数の重臣が頷いた。もはや南部家中に新田吉松を侮る者はいない。取り込めなければ決戦するしかない。その覚悟は皆が持っていた。


「その新田から書状が届いておる。約束通り二〇〇〇石を送るとな。それと若い女子を一〇〇ほど送ってくれと言ってきおった。謝礼に五〇〇石を追加するそうだ」


「どの村でも口減らしが行われ始めています。御家で取りまとめ、新田に送ってはどうでしょうか。米五〇〇石は馬鹿にはなりません」


 米二五〇〇石というのは、二五〇〇人が一年間暮らせるだけの米の量という意味である。これが領外から実質タダで手に入る。冷害で収穫が激減した南部家にとっては、有りがたい話であった。


(新田吉松、なぜ儂の子として生まれなかった。そうなれば今頃は、檜山も高水寺も攻め落としておったものを……)


 南部晴政自身でさえ、そう思うことがあった。家中では未だに、晴政の嫡女を吉松の嫁に出し、その子を跡継ぎとしてはどうかという意見もある。新田が南部家に深く食い込むことになるが、現在では国人としては大きすぎる所領を持っているのだ。内心はともかく、表立って反対する者などいない。


「たしかに、口減らしの女子一〇〇で五〇〇石が手に入るのなら安いものよな。よし、この話は受けよう。それと、流民の中に間者を紛れ込ませているはずだが、靱負佐ゆきえのすけよ」


「七戸、六戸の流民の中に、複数の間者を紛れ込ませました。されど、その後の連絡がありませぬ」


「その者らは信用できるのか?」


「家臣の縁者でございますれば、まず裏切ることはないかと。なにか事情があって連絡が出来ぬのか、あるいは……」


「殺されたか、か。新田の秘密を探らせようと、八戸の繋がりで仕掛けたりもしたのだがな。それ程多くのことは解らっておらぬ。稲を均等に飢えるだの、煉瓦とかいう褐色の石を使って壁を作っているだの、表面的なことばかりよ」


 内政の情報とは、上辺だけを真似たところで意味がない。なぜ米を均等に植えるのか。どうやってその道具を作ったのか。そうした深い部分の情報が無ければ、真似できないのである。


「まぁ良い。新田から追加で五〇〇石を引き出せるのだ。それで十分と考えよう。それと、野辺地と田名部の間で交易を強化するのだ。新田は牛や馬匹を求めておる。こちらは米や麦、酒を求めておる。商いになるだろう」


 来年の収穫まで、なんとか凌げそうだ。その見通しが立ったためか、家臣の表情には穏やかさが戻っていた。




 雪がちらつき始める時期となった。津軽十三湊では、男たちが半裸の状態で働いていた。土を運ぶ者、その土を押し固める者など、一〇〇〇人以上が忙しなく動いている。皆が身体から湯気を立ち昇らせていた。


「おおーい! 飯だぞ!」


 山菜、根野菜、雑穀、獣肉が入った味噌雑炊が木椀に並々と盛られる。露天ではなく、鹿革や熊革で作られた「ゲル」という移動式の住居に入って食べる。寒い季節では、すぐに体温が下がる。こうした屋根付きの住居で休めるのは、賦役で働く者にとってありがたいことであった。


「おい……」


 南部家によって送り込まれた間者二人が視線を合わせ、ゲルの隅へと移動する。


「連絡は取れそうか?」


「いや無理だ。ここが津軽だってことは解ったが、遠すぎる。それにもうすぐ冬だ。逃げても凍死しちまう」


「そうだな。それに解っていないことが多すぎる。見たこともない道具を使って書付などをしていたが、何をしているのかが解らん。解ったことは、俺たちがやっていることが、岩木川という川の治水だということくらいだ」


「こうやって一日三回、飯を食わせてくれる。五日に一度の休みの日には酒まで出てくる。そして春になれば褒美として三月分の米や着物が貰えるし、希望すれば領内で暮らすこともできる…… なぁ、俺たちはなんで、新田様を裏切るような真似をしなきゃならねぇんだ?」


「仕方ねぇだろう。兄者からの頼みだし、六戸には家族もいるんだ。俺だって、本当は逃げてえよ」


 誰だって、心にやましさを抱えながら生きたいとは思わない。間者二人は苦悩していた。その時、ゲルの中に人が入ってきた。現場監督という肩書を持つ男である。


「みな、よく聞いてくれ。この中には七戸や六戸から来た者も多いだろう。故郷では家族が心配していると思う。そこで、殿様がお心配りをしてくだされた。家族に手紙を出せるぞ。文字が書けない者は、代わりに書いてやる。ただし、紙一枚分までだ」


 ワッと歓声が上がる。だが新田吉松が、ただの親切心でこんなことをするはずがない。当然ながら、これには裏があった。


「中には、事情・・を抱えたままここに来た者もいるだろう。戻りたい者は名乗り出ろ。手紙と一緒に野辺地まで送るからな。それと、もし家族を呼び寄せたいのなら、その手筈も整えると殿様はおっしゃっている。ちゃんと冬を越せるようにしてやるし、皆が治水したこの土地で、百姓として働くことも許してくだされた」


 歓声の中に、啜り泣きの音が混じる。やがてそれは広がっていった。吉松からすれば、間者の洗い出しと追放、もしくは取り込みのための施策なのだが、彼らからすれば「なんと情の篤い殿様だ」と感動と感謝で胸打たれても不思議ではなかった。中には手を合わせる者さえいた。

 無論、この光景を吉松が見たら「クククッ、狙い通り」と内心で笑ったことだろう。人は苦痛には耐えられるが、感動には耐えられない。吉松得意の人心掌握術であった。


「おい、お前……泣いてるのか?」


「あ? お前だって……」


 二人は間者の役目を放棄することを決めた。


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