第35話 奥州人

 天文二一年(一五五二年)文月(旧暦七月)、北日本太平洋側で数年に一度発生する冷害「やませ」が猛威を振るっていた。やませは、酷い場合は平年と比べて六度近く気温が下がる。そのため農作物への影響は深刻で、しばしば一揆の原因にもなった。


「殿のご指示により、越後や越前から米を買いました。領内は大きな騒動も発生せず、落ち着いています。しかし、やはり稲の成長が遅いため、百姓は肩を落としています」


 内政担当の田名部吉右衛門が、半ば諦めの表情で報告する。現代日本の知識を持つ精神年齢八〇歳、肉体年齢六歳の吉松といえども、自然現象には勝てない。実際、一九九三年に起きた冷害では、青森県の太平洋側(陸奥地域)の作況指数は三〇以下、つまり例年の三割以下の収穫という壊滅的な被害を受けた。九三年の八月上旬、青森県では平均気温が一五度以下という日まであったのである。この冷害を受けて、寒さに強い米の開発が加速された。


「この冷害でも、実を付ける稲もあるだろう。特に早い段階で実を付けた稲は取り分けて保管せよ。その稲は冷害に強い早生米わせまいとなりうる。冷害は仕方がない。ならばそれを最大限に活かす」


 吉松が考えていたのは品種改良である。やませの中でも育った稲は、寒さに強い品種となりうる。それらをさらに掛け合わせる。年月は掛かるだろうが、いずれは蝦夷地でも育つ品種を作り上げるつもりでいた。


「麦はいささか収穫が落ちそうですが、稗と蕎麦は順調です。少なくとも飢えることはないでしょう。それと諏訪神社を大尽山に建立中です。場所が場所ですので街道の整備が必要ですが、賦役として扶持米を出していますので、人は集まっています」


 大尽山は宇曽利山湖を挟んで恐山菩提寺の反対側にあるピラミッド型の山である。宇曽利山湖から見ると綺麗な形をしており、どことなく諏訪湖を彷彿とさせるため、吉松は大尽山を選んだ。


「よし。籾二郎、秋田諏訪大社への折衝、ご苦労だった」


「ありがたきお言葉」


 南条籾二郎宗継は、涼やかな仕草で一礼した。今のところ、籾二郎は評定には参加していない。南条広継の室、紅葉の死去と共に、正式に家臣に加える予定であった。


「それで、檜山や高水寺の様子はどうか?」


「南部に刈田を仕掛けましたが、撃退されました。どうやら南部晴政は、包囲網を察知していたようです。津軽においても、石川城からほぼ全軍が出ています」


「籾二郎殿、石川左衛門尉は浪岡への備えをしていないのですか?」


 吉右衛門の問いに、籾二郎は頷いた。大胆な動きである。


「おそらく、浪岡は動かないと考えているのだろう。それは新田に対しても同じだ。この冷害、備えなければ民が飢える。浪岡弾正大弼は民を第一に考えるからな。むしろこの状況で大々的に兵を動かす南部のほうが、俺には異様に見える。刈田への備えなら、そこまで動員する必要はないはずだ。民にとっては辛いだろうな」


 そして吉松は思った。南部晴政が強運かどうかは知らない。だが民を犠牲にする覚悟を持っている点は強いと認めざるを得なかった。吉松だって前世では、部下を怒鳴ったこともあるし、解雇したこともある。だが他者を確信的に苦しめたことなどない。下手をせずとも餓死者が出るのだ。


「殿は民を第一にお考えです。この冷害の中でも、田名部の民は安心して暮らしています。某は、殿が正しいと思います」


 吉右衛門の言葉に、吉松は首を振った。


「晴政には晴政の正義があるのだ。これは良し悪しではない。晴政と俺の気質の違い…… いや、考え方の違いか」


 家のため戦のために、民を、女子供を餓死させるなど、自分にはできるだろうか。己にそう問いかけたが、吉松の中に答えは出なかった。




 冷害に対する様々な対策を行ってきた新田領でさえ、米を他から買わなければならないほどの不作が見込まれていた。新田領のような近代農法を取り入れていない南部領においては、壊滅的な被害が出ても不思議ではない。


「駄目だ。このままではオラたちは飢え死にだ」


「父ちゃん。お腹すいたよ」


 こうした嘆きは領内中に広がっていた。そして皮肉なことに、その上が兵を集める原動力となった。戦に出れば食うことはできる。そしていま、南部家は高水寺斯波氏をはじめとする連合軍によって攻められている。もしこれを弾き返し、さらには敵領まで侵攻すれば、飢え死にどころか褒美まで貰えるかもしれない。三戸城にはそうした淡い希望を持つ飢えた男たちが集まっていた。


「田名部にいこう。新田様の領地なら、飢え死にすることはない」


 戦に加わらず、村を捨てて田名部を目指す気の利いた百姓もいた。無論、簡単なことではない。領民に逃げられるなど領主の恥である。村内でも監視の目があり、追手が掛かる場合もある。夜中にひっそりと村を出て、三日三晩歩き通しで逃げたという百姓もいる。だがその数は吉松が期待していたほど多くはなかった。戦という手段が他にある以上、村を離れないという者が少なからずいたのである。


「現在、およそ八〇〇名が南部領から逃げてきました。多くは六戸、八戸からです」


「思った以上に少ないな。三〇〇〇人くらいは来ると期待していたんだが……」


「三戸では募兵が続いているそうです。特に激しいのは鹿角と津軽です、食い詰めた者たちが送られているそうです」


「やはり九戸は落ち着き始めているか?」


「はい。稗貫をはじめとする国人衆が二度ほど刈田を仕掛けましたが、いずれも撃退されています。それどころか雫石(現在の盛岡市西部)に攻め入っているほどで」


「九戸右京信仲、やるな」


 やませの影響を最も受けるのは、太平洋側の国である陸奥国である。奥羽山脈に位置する鹿角や、それより西の津軽、出羽地方ではやませの影響は少ない。こちらの戦はより激しかった。


「戸沢が角館すみだてから仙北を経て鹿角を伺っています。どうやら安東とは和睦しているようで、各館を素通りしている様子」


 吉松は右掌を額に当てて考える。歴史が大きく変わっている。本来、戸沢は安東、小野寺と戦い続け、仙北一帯を領するはずであった。だが現実では戸沢と安東が和睦している。高水寺斯波家の働きかけなのだろうが、そこまでしてなぜ、南部家と戦おうとするのか。


「御爺。俺には解らん。なぜ南部晴政はここまで嫌われるのだ? 戸沢にとって安東は仇敵に近いはず。いかに南部への危機感があるとはいえ、簡単に和睦するものだろうか?」


 祖父の新田盛政は、いわば奥州の生き字引である。盛政は少し遠い眼をした。


「おそらくは、奥州人おうしゅうびとの逆鱗に触れたからじゃろうなぁ」


 吉松は首を傾げた。奥州人とは、つまり奥州で生きている人間のことだろうか?


「奥州の国人のほとんどが、鎌倉によって置かれた。南部、安東、戸沢、和賀、稗貫などなど、みな鎌倉御所(鎌倉幕府のこと)に仕えた。じゃが実際にはそれ以前、つまり奥州藤原氏の代からの豪族も多い。それぞれの家に由来があり、たとえ敵対しようともどこかで互いを認め合ってきた」


 鎌倉から続く仲間意識。この北の地で蝦夷、そして自然と戦いながら、苦労して今日まで家を残してきたという共通点。奥州の国人たちにはそうしたものが存在している。


「小競り合いはある。時に千を超える兵がぶつかり合う。じゃが滅ぼすことはせぬ。家同士で問題が起きれば、戦で勝ち負けを決める。それが暗黙の了解であった。それぞれに土地を持つ国人たちが、ある意味自由に、それぞれの家を繁栄させてきた。じゃが、南部右馬允うまのじょう安信は違った。家の自由を認めず、己に従え。従わねば滅ぼす。そうやって南部家を拡大させた」


 南部晴政の父親である南部安信は、奥州における最初期の戦国大名といえる。これまでの暗黙の了解を破り、国人を滅ぼし土地を接収し、中央集権体制を構築しようとした。未完成ではあるが、その流れは南部晴政に引き継がれている。


「吉松よ。よく覚えておくがよい。其方が進もうとする道に立ちはだかるのは、安東でも南部でもない。奥州の歴史そのものが、其方の行方を阻もうとするじゃろう。余程の覚悟を要するぞ?」


 己の道を遮る者は、仏であろうと鬼であろうと排除する。情けを捨てよ、非情になれ。千を殺し、万から恨まれ、億から嫌われる覚悟がなければ天下は取れない。

頭では解っていたつもりであるが、いざ突き付けられると戦慄せざるを得ない。吉松は瞑目して頷いた。

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