第34話 高水斯波家
「斯波御所様の御意向、あい解った。されど俺一人では決められぬ。重臣たちと相談する故、しばし待たれよ。十三湊から呼ぶ故、時間が掛かる。五日で結論を出し、高水寺城に使者を送ろう」
高水寺斯波家からの使者の話を聞いた吉松は、その日のうちに十三湊に長門広益を呼びよせる使者を出した。吉松の中では、肚はすでに決まっている。だが家臣たちの存念を聞いておきたかった。
そして四日後、新田盛政、吉右衛門、長門広益、南条広継が揃った。なお、蠣崎彦太郎や近習たちも見学という形で参加している。発言は許していない。
「急な評定ですまぬ。皆にはすでに伝えている通り、高水寺斯波家から使者が来た。だがその話の前に、まず目出度い事から始めようと思う。吉右衛門」
「はっ」
吉右衛門が前に出て、両手を板間についた。
「この数年、文官として田名部の繁栄に尽力してくれた。其方がいなければ、今の田名部の繁栄は無かったと言ってよい。良く尽くしてくれた。そこで其方に苗字と名を与える。この地は其方が作りし地と言ってよい。よって、今日より田名部を名乗ることを許す。また名には、新田家代々の名につきし政の一字を与え、
「誠にありがとうございます。この田名部吉右衛門政嘉、命果てるまで殿にお仕えいたします」
吉右衛門は感動に震え、涙で板間を濡らした。だが感動してばかりはいられない。ここからはさらに重大な話になるのだ。
「さて、俺から言わせればもはや骨董品も同然の斯波家から、面白い話が来た。鹿角郡を取った三戸南部に対抗し、安東、浅利、戸沢、斯波、葛西などが連合して戦を仕掛けるらしい。そこで、新田には陸奥と津軽を北から攻めて欲しいということだ」
「殿、南部家とは五年の相互不可侵という約定を結んでおりまする。確かに大きな連合ではありますが、約定を反故にすれば、新田を信じる者はこの天下から無くなりますぞ?」
長門広益が反対という意見を表明した。だがその隣に座る南条広継は意見が違うようである。
「某は考えてみても良いと思います。約定は反故にせずとも、七戸との境で調練を行う。あるいは浪岡家と合同で練兵を行う。こうした動きを見せるだけで、南部の気を引くことになり、連合の助けにはなるでしょう」
「ふむ。越中守は賛成か。やはり南部の拡大には気を付けるべきか?」
「はい。某の見立てでは、先ほど
新田ですら劣勢になる。さすがにそこまでは口にしないが、なにを言いたいかは皆が理解した。ちなみに南条広継は、家庭内の問題を着地させた吉松に対して、臣従を誓った。立場としては長門広益と同じだが、折を見て一族ともども新田に移りたいとまで言っている。もっともそれは、蠣崎家の完全な臣従後になるだろう。
「田名部吉右衛門の意見はどうか?」
「某はむしろ、戦になるのかどうかすら、怪しいと考えまする」
田名部吉右衛門政嘉は、昨年と比べて寒い夏であること。こうした夏の時は決まって凶作となり、戦どころではなくなるため、包囲網自体が自然消滅するのではないかと意見した。
「確かにな。俺も同じ見立てだ。陸奥国においては、今年の米は不作だろう。兵を興そうにも、民がついてくるまい。包囲網自体は完成したとしても、実際の戦は津軽の局所で終わるのではないか?」
そして最後に、祖父である新田盛政の意見を聞く。盛政はずっと黙っていた。何かを深刻に考えているらしい。吉松にはそれが気になった。
「儂はな。少し恐ろしいと思うた」
「恐ろしい? 何がだ、御爺?」
「南部晴政の運よ。考えてもみよ。新田家と七戸家との戦いによって、結果として南部家一門における三戸の影響力は強まった。独立志向の強い九戸でさえ、いまでは南部晴政に逆らえぬ。そして鹿角に侵攻する直前に、浅利与市(則頼のこと)が死んだ。その結果、浅利は迅速に動けず、晴政は易々と鹿角を手に入れた。そして此度の冷害じゃ。包囲網という危機に対して、まるで天が味方するように寒き夏が来た」
「確かに、運は良いな」
吉松はそれがどうしたという思いで失笑した。だが盛政、広益、広継は笑わなかった。
「吉松よ。其方は若く、それでいて聡い。まさに神童じゃ。じゃがな、決して運を侮るではない。たとえ優れた者であっても、運には勝てぬ。運を持つ者というのは、それ程に恐ろしいのじゃ」
「先代様の仰る通りです。某も、幾度も戦場で働きましたが、たとえ豪勇の者であろうとも、運が無ければ簡単に命を落とします」
歴戦の名将、長門広益も盛政に同意し、真剣に進言する。だが科学と合理主義の世界で生きてきた吉松にとって、運不運など言い訳に過ぎなかった。幸運な成功というものはある。だが不運の失敗など吉松は認めない。失敗には必ず原因があるのだ。
「わかった。二人の忠告は胸に留めよう。しかし今は、南部晴政の強運の話ではなく、斯波御前にどう返答するかを考えよう。俺としては、稲の不作を理由に大規模な出陣は難しい。まずはそちらで、南部に当たってくれと答えるつもりだが?」
要するに「様子見」という回答である。実際、吉松は今すぐに南部家と事を構えることは避けたかった。間もなく鉄砲が届く。それをさらに改良し、大量生産すれば、南部晴政の強運すらも吹き飛ばせるだろう。とにかく時間が欲しかった。
もしこの時、無理にでも包囲網に参加していたら、その後の歴史はどう変わったのだろうか。吉松は後に、回顧することになるのであった。
高水寺斯波氏を語る上では、そもそもの斯波氏を知らなければならない。斯波氏は、元々は足利家の分家である。足利家三代当主足利泰氏(※三代将軍ではない)の長男である足利家氏が陸奥国の斯波郡を所領として分家したのが斯波氏の始まりである。つまり斯波とは斯波郡の地名から取ったものなのである。
では、高水寺斯波氏が斯波の嫡流なのかといえば、まったく違う。斯波氏の家祖である足利家氏はあくまでも所領が斯波郡だったというだけで、実際は鎌倉で生活をしていた。そして家氏の子孫は代々「尾張守」に叙せられ、尾張足利家と呼ばれた。これが戦国時代まで尾張で続く斯波氏の嫡流「斯波武衛家」である。
では陸奥にいる斯波氏とはいったい誰か。斯波氏四代当主足利
つまり奥州管領に任じられた斯波氏の直系は大崎氏であり、断じて高水寺斯波氏ではないのである。では、高水寺斯波氏とは一体、何者であろうか。家系図では、先に出た足利高経の長男である斯波家長の直系子孫といわれているが、この家系図は極めて疑わしく、また他の史料も乏しい。
しかし、少なくとも南北朝時代には、大崎氏と同格の家柄として扱われており「斯波御所」と呼ばれていた。そして大崎氏の力が衰退すると共に、南部家に対抗する高水寺斯波氏の影響力は強まった。それは奥州探題でありながら家中をまとめきれず、伊達に半ば従属することになった大崎義直と、家中を纏め上げ、国人たちと連合して南部に対して優勢を保った斯波詮高の違いによるところが大きい。
新田吉松は南部包囲網への参加を拒否した。この報せは、高水寺斯波氏当主である斯波詮高を不快にさせるものであった。弟である
「使者殿よ。理由を聞かせてもらおうか。三戸南部と隣接する新田は、その圧力を
「それにつきまして、主、吉松より口上を承っております。申し上げます。この夏は例年になく寒さ厳しく、凶作になること疑いなし。南部家との戦の前に、凶作との戦いに備えられよ。以上でございます」
「余計なお世話というものよ。この地は宇曽理郷のような貧しき土地ではない。北上川の肥沃な土地に、稲穂が大いに実っておるわ。もう良い。食べ物もなく飢えに苦しんでおる輩に頼るのが間違いというものよ。ご苦労であったな」
使者は一礼して退いた。田名部の繁栄の噂は三戸までは届いているが、高水寺城の城内までは聞こえていなかった。そのため、凶作に怯えて兵を出せないのだと勘違いしたのである。
「しかし兄上。新田が動かないとなると、半包囲にしかなりませぬ。果たして南部を打倒できましょうか?」
「いや、むしろ好機だろう。噂では確かに、三戸以北では寒さによる不作が恐れられている。先ほどの使者の話はそれを裏付けるものだ。ここは九戸を攻め、刈田をしてはどうだろうか?」
南部包囲網は未完成だが、高水寺城はそれでも動くことを決断した。一方の三戸城では、檜山安東と浅利の和睦という報告が届いていた。
「なるほど。安東と浅利が和睦したか」
南部晴政は報告を聞いてしばらく黙った。家臣たちも皆が押し黙る。晴政が沈思を邪魔されるのを嫌っているためだ。やがて考えが整理できたのか、晴政が指示を出す。
「九戸、石川の両城に使いを出せ。刈田に来る可能性が高い。警戒せよとな。左衛門尉(石川高信)には特に伝えよ。浅利と安東が同時に攻めて来るやもしれぬ。それと鹿角だ。浅利は鹿角には来ぬ。戸沢への警戒に集中せよと伝えよ」
「殿?」
「雑魚が寄せ集まって儂に対抗する気らしい。だが残念だったな。新田は動かぬ。新田吉松は内政家だ。不作が見込まれる中で兵を動かすような大胆さは持っておらん。民に我慢を強いる非情さがない。それがあ奴の欠点よ」
いぶかる家臣たちに、晴政は凄みのある笑みを見せた。
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