第33話 やませの足音
新田吉松の朝は日出と共に始まる。朝稽古は木刀の素振りである。本来、吉松はこうした武芸にはあまり関心がない。自分が戦場で太刀を振るわなければならないときなど、負けが決定しているときである。戦うよりも逃げることが優先だと考えている。だがそれでも、戦国を生きる以上は最低限の護身術は必要であった。だから手を抜かず、一振りに気合を込める。
「おはようございます」
蠣崎彦太郎や近習たちがやってきた。祖父の新田盛政を相手にした稽古である。骨がしっかりしている彼らは、打ち込みなども行うが、吉松はただ素振りをするだけだ。時折、水を飲みながら全身を汗まみれにする。それが終わると、井戸水で身体を拭って着替え、朝食となる。
「本日は長芋のすりおろし、根野菜と鹿肉の味噌汁、いぶり漬け、大根葉のお浸し、出汁巻玉子です」
稗と麦が混ざった雑穀米には長芋のすりおろし、いわゆる「とろろ」がよくあう。本当なら卵黄を入れたいところだが、万一を考えて生卵は食べないようにしている。醤油と味噌は完成したが、塩分は控えめにする。これは祖父にも注意している。現代社会と比べて運動量が多いとはいえ、塩分の過剰摂取は寿命を縮める。江戸時代では一日四〇グラムもの塩分を摂取していたそうだが、吉松としては現代人の味覚程度の塩分量で充分だと判断していた。グラムにすれば一五グラム程度だろうか。
「肉体は、食によって作られる。大陸の明には、薬食同源という言葉があるらしい。“命は食にあり、食誤れば病いたり、食正しければ病自ずと癒える”という意味だそうだ。味噌や醤油は確かに美味いが、取り過ぎれば病になる。御爺はそれに加えて、酒の飲み過ぎにも注意しろよ?」
「わかっておるわ。酒は一日おき、飲むのは一合までよ」
吉松がもっとも恐れているのは「病気」である。天然痘ワクチンや抗生物質精製の知識はある。だがそれでも、すべての病気を克服できるわけではない。発症する前段階、つまり「未病」の段階で治すためには、衛生環境、生活習慣が重要であった。
「吉松よ。今年は蕎麦と麻の栽培に力を入れるそうだな?」
「両方とも寒さに強いからな。特に麻は重要だ。日ノ本ではあまり知られていないが麻は古来、薬として用いられてきた。麻の実には肉体を健やかに整える効果があるらしい。そのお浸しに掛けられている粉は、麻の実を潰したものだ。今後は領民たちにも、麻の実を食べることを推奨していくつもりだ」
「確かにのぉ。数年前と比べると体調が良いような気がする。まだまだ生きられるかもしれんの」
「クックック、一〇〇まで生きよ、御爺。さて、歯を磨くぞ。彦太郎たちはまだ慣れぬであろうが、これも病を未然に防ぐためだ。習慣にせよ」
馬の毛で作った歯ブラシと塩水で歯を磨きながら、いずれ分国法を制定したら、手洗い、うがい、
歯磨きは領民の「義務」にしようと考える吉松であった。
田名部新田で穏やかな日々が流れる一方、陸奥と出羽の間に位置する鹿角郡では係争が続いていた。鹿角郡は陸奥、津軽、出羽の三国に挟まれた土地で、鹿角四氏と呼ばれる関東武士団が鹿角郡をまとめていたが、杉と鉱物資源に恵まれたこの地は、鎌倉時代から係争地であった。鹿角四二館と呼ばれる防御線により、南部家や安東家の侵攻を食い止めてきた関東武士団であったが、南部晴政の手によってついに陥落した。鹿角郡を得たことで、南部家の力は大いに高まったといえる。
だが、南部家の台頭は近隣国の警戒を招いた。浅利、安東は無論のこと、糠部の南方(今の岩手県北部)で九戸と争っている阿曽沼、和賀、稗貫、葛西などの有力国人や大名たちが、一斉に三戸南部を警戒したのである。
《南部家の台頭をこれ以上許してはならない》
特に檜山の安東
「頃合いだ。浅利と和睦する」
驚く家臣たちを黙らせ、事情を説明した。
「
「つまり、湊家を飲み込むと?」
「南部に対抗するには、今のままでは力不足故な。義父殿の了承も得ておる。十三湊を取られたことで、湊家の将来を危うんだのだろう。いずれ湊家を再興することを条件に飲みおったわ」
「ですが、これで西は安定します。いまこそ、浅利を攻めるべきでは?」
重臣の一人、
「伊予守には高水寺に行ってもらう。斯波御所を動かすのだ。南部の台頭は斯波家も頭を抱えているはず。安東が力添えをするゆえ、共に南部に当たろうと持ち掛けよ」
高水寺斯波家の前当主斯波
「斯波御所を旗印に、戸沢、葛西、伊達、大崎をも動かすのだ。このままでは奥州は南部家に呑まれると煽れ。それと新田に使者を出すように願い出ろ。南部の急所は新田よ。宇曽理が南部の敵に回れば、進退窮まる」
「はっ」
安東舜季が考えたのは、いわば「南部包囲網」であった。奥州の歴史は複雑で、例えば安東と戸沢は争っている。そのため安東が旗印となれば、戸沢は決して動かない。しかし鹿角郡に近い仙北郡を領する戸沢平九郎通盛は南部包囲網において重要な一角を占める。そこで名門である斯波氏の権威を利用しようというのだ。実際の権力は無くとも、旗印としては使えると考えたのである。
こうして、鹿角郡を得て力を増した三戸南部家に対して、その力を削ごうと諸勢力が動き始めた。吉松がやっている地道な内政による成長と比べ、戦によって土地を得ることは解りやすく、だから警戒もされやすい。南部晴政は、自身の覇気と積極的軍事進攻に対するしっぺ返しを受けようとしていた。
「問題は田名部新田よ。果たして動くか?」
新田が欠ければ、包囲網は完成しない。だが新田の動きが予測できない。舜季は苛立っていた。だが舜季は忘れていた。予測できないものはもう一つ、存在していたということを。
天文二一年皐月(旧暦五月)も終わりを迎えるころ、田名部では吉松が声を張り上げていた。
「水田は、日中は水を止め、夜に替えるようにせよ。それと竹酢液を米農家に重点的に配れ。病が発生した稲はすぐに引き抜き、破棄するのだ」
三日間、異様なほどに気温が低かった。そして今も、霧が出て東から風が吹いている。間違いなく「やませ」の兆候であった。冷夏がやってくれば、いもち病が発生し、米が全滅する可能性もある。様々な対策を打ってきた新田家とは違い、三戸南部から仙台あたりまでは壊滅的な打撃を受けるかもしれない。
「銭衛門に越後あたりで米を買わせよう。この時期は高いが、仕方がない」
この数年が幸運だったのだ。この北限の地では、僅かな気温差で米が採れなくなる。度合い次第だが、本格的な冷夏となれば、この奥州で数千人を超える餓死者が出るかもしれないのだ。
「来月には他家も気づくだろう。さすがの南部晴政も、この状況で戦などできまい」
冷夏は南部家にとっては危機だが、新田家にとっては好機にもなる。常に人が不足している宇曽理郷(下北半島)に、食えなくなった人々が群がってくるかもしれない。たとえ
「殿。高水寺斯波様より使者が参りました」
やませ対策で慌ただしい中、高水寺斯波家からの使者が来のは、皐月が終わり水無月(旧暦六月)に変わった日であった。
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