第32話 南条家騒動(後編)

 蠣崎家の重臣である長門広益が突然戻ってきたことに、当主である蠣崎若狭守季広は当然驚いた。だが渡された書状の内容は愕然とするものであった。楷書体で書かれた新田吉松直筆のもので、事の重大さから、広益と話し合うときは人払いをして欲しいと冒頭に書かれている。そして蠣崎紅葉が、身体的には女性であっても、その精神、魂は男性であること。生まれてからずっと苦しんできたこと。そして両親を恨んだこともあるということが克明に記されている。


藤六とうろくよ、これは真か?」


「某もその場に居ました。紛れもない事実にございまする」


 季広は瞑目した後に頷いて、人払いをして自室で話をすると立ち上がった。自室で広益と向き合って座る。これが家中に知られれば、一門衆が動揺するだろう。二人とも深刻な表情であった。


「それで、実際にそのようなことがあるのか?」


「吉松様の話では、元々人というものは、男女で綺麗に分かれるものではないそうです。男の中にも、幾分かは女の気質が残っているそうです。ごく稀に、その割合が肉体と違ってしまう場合があり、紅葉様はそれに当たると……」


 季広は左手で自分の顔を覆い、なんということだと呟いた。


「……思えば、紅葉は昔から男のような気質だった。着飾ることよりも、太刀や馬を好いていた。顔立ちの良い男よりも、侍女に興味を持っていた。心は男だったのだな」


 そして肩を落として溜息をついた。


「儂は親失格よ。この寒さ極める地において美しきは、春の花々ではなく秋の色づき。そのように美しく育って欲しいと願って紅葉と名付けたのに、それすら苦しめる一因であった。儂はそれに気づきもせなんだ……」


「それは某も同じでございまする。紅葉様とは幾度も言葉を交わしてまいりました。戦の話をねだる紅葉様に、それよりも着物や化粧にご関心を持ちなされと伝えたこともあります。某も理解が足りませんでした」


 季広はグイと自分の眼を指で拭った。事情は理解した。これが家中に知られてはならず、また南条越中守の面子も守らなければならない。気を利かせてくれた吉松に感謝した。


「それで、紅葉を死んだことにすると書かれてあったが?」


「越中守の立場を考えれば、離縁という訳にはいきませぬ。そこで、新たな土地に慣れず体調を崩したということにします。そして今年の冬、寒さ厳しきときに病でお亡くなりになられた。外向けにはそのように説明いたします」


「実際は違うのだな?」


「吉松様は、ならば男として生きればよいと言われました。髷を結い、太刀を腰に差し、馬に乗れ。名前も男らしいものを考えろ。好いた女子がいれば口説いて娶れば良い。ただし、ただ飯は食わさぬ。しっかりした役目を与えるし、戦となれば太刀や槍を振るってもらうと」


「なんとも非常識な話よな」


「非常識なお方ゆえ、神童と呼ばれるのでしょう」


 二人は笑い合った。戦場に女子を連れて行くのは不吉。それが武家の常識である。新田吉松はそれを足蹴にしたのだ。男の言葉を使い、男の名を持ち、嫁すら持つ女子が戦場に出るのは不吉なのかと。痛快な気分だった。


「それで、新しい名は?」


「越中守の遠縁ということで南条の姓はそのままに、南条籾二郎もみじろう宗継むねつぐと」


 名前の中に「紅葉もみじ」がある。無理やり嫁に出した親に対して、それでも憎みきれず一片の愛情を持っていてくれたのかもしれない。季広は目を細めて頷いた。




「そうか。姉上は病か」


「某が至らず、申し訳ありませぬ」


 南条広継の家を訪ねた彦太郎は、家の中に通されるも姉とは会えなかった。だが言葉の端々からおおよその事情を察したようで、深く追求することはしなかった。


「姉上に伝えてくれ。この先どうなろうと、彦太郎は弟であり家族だと」


「御言葉、しかと伝えまする」


 隠れて聞いていた紅葉は、弟の気遣いに感謝し、涙を流した。そして翌日、南条紅葉改め南条籾二郎宗継は、新たな役目のために田名部館へと登った。外見は中性的で、完全な美男子である。衆道趣味の視線を受けることもあるだろうが、それは仕方がないと諦める。肝心の主君、新田吉松にはそうした趣味はない。それで充分であった。


「歩き巫女?」


「そうだ。もともとは信州の諏訪大社の巫女で、ノノウと呼ばれておる。諏訪信仰を日ノ本に広めるために方々を流れ歩いている。津軽油川近郊の造道つくりみちにも諏訪神社があり、巫女がきているそうだ。出羽には秋田諏訪宮という大きな社があるからな。歩き巫女は日ノ本全土を回っている。そこで、この宇曽理の地にも諏訪神社を置き、巫女を招きたいと考えている」


「某に、その巫女を束ねろと?」


 ここに来て女扱いをするのかと言外で文句を言う。だが吉松は肯定した。


「そうだ。歩き巫女を諜者として使う。この奥州一帯の動向を逐次報せるようにする。そのためには、巫女たちを束ねる者が必要だ。言っておくが、女扱いされているなどと軽く考えるなよ? その知らせによって、新田家の戦が決まるのだ。誤った報せに基づいて動けば、新田は滅ぶやもしれぬ。それほどに重要な役目だと心得よ」


「なぜ、某に?」


「籾二郎は二〇年近く、女扱いを受けてきた。俺よりも遥かに、女については詳しかろう? 無論、気に入った女子がいれば、嫁にして構わんぞ。いずれは男の諜者も組織する。其の方は新田の裏を束ねるのだ」


「ですが某には、そうした心得はありませぬが……」


 歩き巫女は、信濃望月家の望月千代女が束ねていたという伝承があるが、これは歴史家によっては意見が分かれている。だが歩き巫女が何らかの情報活動に関わっていた可能性までは否定できない。ただの巫女をそのまま諜者にするわけにはいかない。諜報活動の専門家を招聘し、組織する必要があった。


「新田家御用商人がな。以前から東廻りで関東への航路を拓きたいと言っておった。ちょうどよい。猿ヶ森で船を造り、東廻りで北条家との繋がりを持つ。狙いは風魔衆よ。とりあえず籾二郎は、秋田諏訪宮へと足を運んでくれ。宇曽理に諏訪神社を建てたいとな」


「はぁ……」


 あまりに気宇壮大すぎて、籾二郎にはついていけなかった。恐らく祖父である新田盛政をはじめ、皆が同じ心境になるのだろう。これが「神童」と呼ばれる所以かと納得した。




 彦太郎は近習を連れて田名部の街を見て歩いた。まず驚いたのが、砂利を敷き詰めて押し固めた道である。大通りは広く取られており、荷車が二台すれ違っても十分に歩けるほどに広い。そして道行く人々の服装である。大館では襤褸を着ている人も少なくないのに、田名部では皆が清潔な服装をしている。それだけ衣類が豊富なのだ。


「これが田名部か」


「若様。賦役で働いている者が、普通に握り飯を食べていますぞ?」


 見ると家を建てていると思われる者たちが、思い思いに座って握り飯を頬張り、器に入った汁物を飲んでいる。どうやら鍋で汁を作ったらしく、味噌の薫りが漂ってきた。


「信じられん。普通に食事をしているし、道行く者たちも特に気にしている様子はない」


「つまりあの食事は、この田名部では当たり前なのだ。珍しくもないから、気にしないのだろう」


 庶民の食べ物一つで理解できる。新田と蠣崎とでは国力が違い過ぎる。もしあの食事が他家で当たり前なのだとしたら、蠣崎はなんと貧しいのだろうか。思わず、父が哀れに思えてしまった。


「若君?」


「話を聞くだけだ」


 彦太郎は、食事をしている男たちへと近づいた。なにを建てているのか。田名部での暮らしはどうか。この食事は当たり前なのかと聞く。男たちは最初こそ訝しんでいたが、蠣崎から来たというと、皆頷いて詳しく話し始めた。どうやら彦太郎たちが来ることは田名部の中で周知されているらしく、質問を受けたら答えてやれと言われているらしい。


「吉松の若様、いや殿様が豊かにしてくれたんです。つい数年前まで、明日食べるものにも困っていたのに……」


「今では読み書きに算術まで教わります。特においらたちのような番匠には、吉松様自らが教えてくれました。それまでは経験で判断していたことを、ちゃんと長さを測って図面に落としたほうが良い家が建てられるといわれてやってみると……」


「やってみると?」


「おいらたちがこれまでやっていたことが、ただの遊びに思えたんでさぁ。良い家とは何か。これまでは考えたこともなかったんです。ただ喜んでくれればいいというだけで。ですが殿様が教えてくれたんです。良い家とは最低でも、隙間風が入らず、地揺れに強く、内と外を分けるために音を断つ家なのだと」


 そう言われ、他の家を見る。木を組み合わせ、煉瓦と呼ばれる褐色の石と灰色の漆喰で壁を補強している。藁ぶきの屋根が多いが、中には総瓦の家もある。


「殿様はいずれ、すべての家を総瓦にすると仰っていました。なんでも川内という集落で焼いているとか」


 生産力。モノを生み出す力が決定的に違うのだ。様々な物を自分たちで作れるから、他を攻めて奪う必要がない。作った物を交換し合い、互いにより豊かになる。だから人が集まる。そして集まった人たちがまたモノを生み出す。これが循環しているのだ。


「これと同じことが大館、いや日ノ本中に広がれば……」


 おそらく戦は無くなる。少なくとも奪うための戦は無くなるだろう。そして武士は不要になる。なにかを生み出す者、作る者が中心の世となる。簡単ではないだろうが、彦太郎には吉松が成そうとする世の中が、おぼろげに見えた気がした。そして鳥肌が立った。藤原、平、源、足利…… 過去の権力者たちがいずれも為しえなかった、日ノ本中のすべての民を巻き込んだ大変革である。


「これが、新田吉松殿が見ている世界か……」


 その世の中を見て見たい。自分の中に沸々と湧いてくる高揚を彦太郎は感じていた。

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