第31話 南条家騒動(前編)

「人づてに少しだけ聞いたことがある。姉上が私を排除して自分が嫡子になろうとしているとな」


「若君。紅葉は某の妻でございます。そのようなことは……」


「いや、姉上が私に向ける眼差しや振る舞いには、どこか憎悪に近いものを感じていた。私は、単に姉上から嫌われているだけだと思っていたのだが、改めて考えると妙なことよ」


 蠣崎家長女による謀反という事件は、その後の南条広継の「逆さ水松」の逸話からも事実であったことは間違いない。だが話としてはあまりにも異常すぎる。庶子として生まれた長男が、その後に生まれた正室の嫡男を排除しようとした例ならば他にもある。

 だが「長女」が、嫡男やさらに下の弟を毒殺してまで自らが跡継ぎになろうとした例など他には無い。個人主義と男女平等の二一世紀の時代ではない。女子は家と家を繋ぐための道具。家長である当主が絶対であり、嫡男が跡を継ぎ、次男以下は親族としてそれを支える。それを常識とする戦国時代だ。

 しかも「蠣崎家」である。将軍家でも大大名でもない、日本からみれば辺境の極みに位置する蝦夷地の一隅で汲々と生きている家を、なぜそれほどまでに継ぎたかったのだろうか。


「実は十三湊で、長門殿に少し相談したのです。某と妻との間が上手くいっていない。妻には何か、人に言えぬ悩みがある様子。吉松様のお知恵を頂けないかと」


「なるほど。話はわかった。私が許す故、呼び出しがあった場合は遠慮なく行くがいい」


 南条広継とその妻紅葉が呼び出されたのは、二日後のことであった。南条家にとって新田は大殿と呼べる存在である。その呼び出しとあれば、妻はしっかりと準備をしなければならない。だが南条紅葉は化粧すらしない。一応、女性用の着物は着てはいるが、扱いもぞんざいである。これまでもこうしたことはあったため、広継はもう諦めていた。


「よく来てくれた。越中守殿、紅葉殿」


 田名部館にある離れに通された二人を待っていたのは、吉松と長門広益であった。長門広益は蠣崎家の家老であり、季広の信頼は絶大である。広継としても居てくれるのはありがたいことであった。


「なぜ広益がいるのです?」


「紅葉ッ」


 それを咎めたのは妻の紅葉であった。なじるような口調に、広継も思わず叱ってしまう。だが吉松が笑って事情を説明した。


「紅葉殿。初めて会うので、貴女を理解しているなどと言うつもりはない。だが俺は非常識な男だ。だから他の男二人よりは柔軟に理解できると思う。広益を呼んだ理由は二つだ。蠣崎家の家臣に会う以上、誰も傍に付けないというわけにはいかぬ。だがもう一つの理由のほうが重要だ。貴女について、若狭殿に説明する第三者が必要だと思ったからだ。夫である広継や、他家の当主である俺よりも、蠣崎家の家老から伝えたほうが良いと思ってな」


「そうですか……」


 紅葉はそう言って、室内に入った。納得しているわけではない。どうにでもなれという思いの方が強い。会う前までは神童と思っていた目の前の子供も、今では小賢しく感じていた。


「ふーん」


 目の前に座った紅葉を吉松はまじまじと見た。確かに美しい。目鼻立ちは整い、目元は涼やかで凛とした雰囲気がある。これで化粧をすれば、男たちは放っておかないだろう。そう思って観察していると、広継は額に汗を浮かべて言い訳した。


「なにぶん、妻は化粧が苦手故、お許しを……」


「構わぬ。そもそも俺は以前から不思議だったのだ。なぜ女だけが化粧をするのだ? 男が白粉を塗って口紅を付けたって良いではないか? 着飾ってオホホホホと笑って何が悪い?」


「殿、御戯れを」


「戯れではないが、まぁ良い。実は、田名部で暮らすにあたって、紅葉殿が不自由しないように、なにか贈り物をと思ってな。聞いたところ、紅葉殿は着物や化粧道具にはあまり関心がないそうだな? なにか欲しいものはあるかな?」


 紅葉は少し黙り、そして眉間を険しくしたまま答えた。揃えられるのなら揃えて見ろと言いたげである。


「それであれば刀、弓、槍、甲冑、そして馬を望みます」


「紅葉、そなたっ……」


「良かろう! すぐに用意しよう」


 慌てて止めようとした広継を遮るように、吉松は大声で了承した。これには言い出した紅葉でさえ唖然とした。まさかこんなに簡単に了承するとは思っていなかったのだ。


「先ほどの続きだが、俺は以前から不思議だったのだ。馬に乗り、槍を振り回す女がいたって良いではないか。そもそも人間の半分は女だぞ? 女が戦場に出れば、それだけで兵力は二倍になる。それを縁起が悪いとか下らぬ迷信で家に閉じ込めるなど、愚の骨頂だ。言っておくがこれは戯れではない。俺はな。理に適わぬ常識や慣習というものを最も嫌っておる。そうしたものは尽く破壊する。今後、田名部では積極的に女子を活用していくぞ。政事や他家との折衝は無論、戦場いくさばでもだ」


「さすがは殿でございますな。見事なまでのへそ曲がりぶりでございます」


 長門広益は呆れたように笑って首を振った。まだ新田に来て間もないが、吉松の性質は理解していた。吉松は何事も突き詰めて考える。なぜ存在するのか。なぜそれが一般的なのか。そして理にそぐわないと思ったらすぐに破棄する。そう考えると確かに、常識に染まった自分たちよりも、紅葉のことを理解できるのかもしれないと思った。


「それにしても、話をしていて思ったのだが、紅葉殿。紅葉殿は自分を“女子だ”と思ったことはあるか? 身体のことではない。心、魂のことだ」


 そう問われ、紅葉は震えた。吉松は視線で男二人を止める。ここが要所である。本人の口から言わせなければならない。しばらく逡巡し、紅葉は口を開いた。


「それは…… 正直に言えば、ありません。私は、自分を男だと思っています」


「なにっ! 紅葉、其方は……」


「止めよ、越中守! いまはとにかく聞くのだ!」


 吉松は広継を止めて、話を促した。生まれてからずっと、自分は男だと思ってきたこと。女性の身体として成長しつつも、心は男性のままだったことへの戸惑いと苦悩を訥々と語る。吉松も他の二人も、ただ黙って聞き続けた。

 広継は呆然としつつ、これまでの疑問が氷解していくのを感じた。男だったと仮定すれば納得できることが多いのだ。確かに自分がその立場になれば、苦悩するだろう。男なのに女性の着物を着せられ、化粧をさせられ、女らしく振舞えと言われ続け、あまつさえ他の男に抱かれる。苦しんで当然だと思った。


「お許しください。私は、貴方様の妻にはなれません!」


 紅葉はそう叫んで、広継に手をついて謝罪した。この時はもう、広継の心は決まっていた。すべては、気づかなかった自分が悪いのだ。大館での評判の美女を娶ったと有頂天になっていた自分は、妻のことをなにも見ていなかった。そしてそれは、父親である蠣崎若狭守も同じだと思った。


「越中守にも若狭守にも罪はない。身体は女なのに心は男。だが身体は見えるが心は見えん。だから理解できない。理解できなくて当然なのだ。己を責めるな。同じように、若狭守のことも責めてはならん」


 吉松にそう言われ、広継は一礼した。だが本人には詫びたい。だから紅葉の頭を上げさせ、手をついて謝罪した。


「私の方が悪かった。お前のことをなにも見えていなかったのだ。気づくべきだった。心から謝罪する」


 こうして南条夫婦の悩みについて、その原因は判明した。だが問題は解決策である。南条家は蝦夷地に領を持っている。少なくない人が紅葉を知っている。さらに紅葉を娶ったからこそ、南条広継は一門衆に加わっているのだ。そこに踏み込むのは、他家の事情に口を出すことになる。


「殿。某は一度、徳山に戻りたく存じます。紅葉様の件、伝えなければなりますまい」


「そうだな。だが解決案を持っていく必要がある。若狭守が納得するような解決案をな。まず一つずつ考えよう。越中守、どうする? 離縁するか?」


「それは……」


 あまりのことで頭が回っていない。離縁したほうが良いのは理解できる。だがそうなると蠣崎家中での立場がなくなる。ただでさえ、紅葉姫を娶ったことで嫉妬されていたのだ。離縁は許されないだろう。


「ふむ。となると解決策は一つだな。紅葉殿には死んでもらおう」


 まるで近所に出かけるかのような気軽な調子で、吉松はそう口にした。

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