第28話 冬の厳しさと楽しさ

 人間の味覚において、人類の歴史上求めてやまないものが「甘味」でる。日本でも奈良時代には「甘葛」「蜂蜜」「水飴」が登場している。また砂糖も、鑑真によって大陸からもたらされていた。

 だがいずれも大変貴重な物であり、口にできるのは殿上人などのごく一部の人間だけであった。戦国時代において、南蛮貿易によって海外からもたらされた「スイーツ」は、権力者に衝撃を与えた。日本には古来より饅頭が存在していたが、塩や味噌による味付けであった。安土桃山時代においてようやく、甘い饅頭が登場するのである。

 江戸時代になると、甘味料としての砂糖が普及し始める。結果、江戸や上方を中心に和菓子が爆発的に普及するようになる。一八世紀末には、日本国内でも砂糖生産が本格化され、現在に続く和菓子の形はほぼ完成した。


 甘味は、人を渇望させるものであり、甘味一つで褒美として成立しうるものである。甘味がほとんど手に入らない陸奥みちのくにおいては尚更である。当然、吉松は甘味には早くから目を付けていた。


「甘く香しい香りですな。先ほどからアベナンカが唾を飲んでおりますぞ?」


「吉右衛門も同じ」


 田名部館のくりや(台所)では、侍女のアベナンカが鍋を火にかけていた。近習の松千代、梅千代、さらには吉右衛門まで香りに釣られてやってきた。


「楓の木に穴を開け、木で作った筒を差し込むと、楓から透明な水が出てくる。この水は甘味を含んでいる。それを煮詰めていくと、やがてとろみがつき、褐色の液体になる」


 メープルシロップはサトウカエデから作られるが、日本国内においても各地で生産されている。特に、北海道から東北に広がるイタヤカエデはメープルシロップを造るのに適している。実際、アイヌ民族ではイタヤカエデをトペニと呼び、冬の間に木を傷つけて、出てきた樹液が氷柱になったところを飴として賞味していたという記録もある。


「この地には楓が多いからな。この冬で大量に樹液を集めて甘味料とする。名前は…… 楓蜜だと原材料がすぐにわかってしまうから、紅飴べにあめとしようか」


 できあがったメープルシロップは紅いというよりは褐色であった。だが糖度は六〇%を超えている。イタヤカエデ一本から、一〇日間でおよそ二〇リットルの樹液が得られる。樹液の糖度はおよそ二%。メープルシロップの糖度を六五%とした場合、一〇〇リットルのメープルシロップを得るためには、何本のイタヤカエデから何日間、樹液を得ればよいか?答えは一六三本の木で一〇日間である。


「二〇人の人間が睦月(旧暦一月)の一〇日間だけ、この紅飴の材料集めのために働けば、この壺で一〇〇個分が集められるわけだ。ちなみに田名部から大畑、川内にかけて万を超える楓があるぞ。さて、どうする?」


「殿様、もっと作る!」


 アベナンカが叫ぶ。松千代、梅千代もコクコク頷いている。クックックッ……そうだろう、そうだろう。甘味というのは常習性が極めて強い。甘いモノが食べたいという誘惑は強烈なのだ。


「蝦夷の民にも教えよう。新田、蠣崎、蝦夷で、この紅飴を独占する。そして大館、田名部、十三湊で甘味処を開こう。大挙して人が押し寄せるぞ」


 吉松はそれ以外にも、ハチミツや麦芽水飴の商品化を目論んでいた。特に養蜂は実際に試さなければわからないことが多い。なぜなら現代日本で広まっている養蜂技術は、すべて「西洋ミツバチ」の養蜂であり、明治時代から行われているものだからだ。戦国時代には西洋ミツバチは存在せず、すべて日本ミツバチである。採取できる蜜の量は、西洋ミツバチの僅か五%と少なく、しかも神経質のため遠心分離による採蜜もできない。江戸時代に貞市右衛門が確立した「旧式養蜂」を試しているが、まだ成功していなかった。


「小麦粉、牛の乳と卵もあるからな。紅飴をつかって簡単なクレープでも作るか」


 臼で挽いた小麦粉に牛乳、卵、メープルシロップを加えて混ぜ合わせる。ホイッパーを作っておけばよかったと後悔しつつも、吉松はアベナンカに命じて木箸で混ぜさせた。背が低い鉄鍋に牛乳から作った牛酪バターを溶かし、生地を焼く。最後に上からもメープルシロップを掛ければ完成だ。


「ハッハッハッ……美味いな!」


 吉松は笑っているが、他の者たちは深刻な表情を浮かべている。なぜならあと一枚、残っていたからだ。




 宇曽利の冬は厳しい。中世日本は小氷河期であり、宇曽利の冬は最高気温でも氷点下になる。そのため寒さ対策は必須であった。


(もともと、日本の木造建築は江戸時代にその基礎が完成した。通気性が良く、夏は涼しいが、冬は寒さに耐えるという家だ。関東ならば良いだろう。だが宇曽利の寒さは耐えられるものではない。煉瓦と炭団だけでは、まだ足りないな)


 煉瓦を使った暖炉も考えたが、暖炉は熱エネルギーの多くが、煙となって屋外に出てしまう。そのためどうしても室内を温めるのに時間がかかる。かといって、中世の技術で高断熱住宅を建てようとしたら、結露問題が発生し、カビやダニが発生しやすくなってしまう。

 結局のところ、炭団の大量生産や毛皮を使った衣類の普及などの防寒対策によって

冬を乗り越えるしかない。救いとしては、農畜産業を振興したことで、飢えることないということだ。稲藁を編んで敷布団とし、毛布として鹿の毛皮を掛けることで、寒さに耐えることが可能となった。


「飢えは無くなった。だが震えはまだ消えない。建築技術を発達させるには、ちゃんとした研究が必要だからな。三無まで果てしなく遠いな……」


 熊の毛皮を肩に掛け、炭団に掌を当てながら、吉松は小さく呟いた。 




 冬の代名詞といえば、やはり温泉であろう。純白の雪景色の中、濛々と湯気が立ち昇る露天風呂に浸かる。現代においても贅沢と思えるひと時であろう。


「恐山までの道がようやく整備され、宿泊できる館も立てた。吉右衛門、約束通り一番湯を許す」


 恐山山系にある天然温泉を開発し、露天風呂および宿泊施設として整備した。吉松はここを新田家の保養地として活用するつもりであった。いずれより多くの重臣たちが揃うだろう。彼らと裸の付き合いをし、ともに同じ料理に舌鼓を打つ。幹部社員限定の社員旅行のようなものだ。


「ふぅぅぅっ。良いのぉ。風呂とはこれほどに良いものなのか」


 盛政が湯の中で感嘆の声を漏らす。吉松はしてやったりと笑った。


「新田が大きくなれば、重臣も増えていく。年に一度くらいは、遊女を侍らせて羽目を外す場を作っても良かろう。浮気は男の甲斐性というしの?」


 片目を瞑って揶揄うように見る吉松に、盛政は苦笑せざるを得なかった。本当にこの孫は童なのだろうか。祖父の自分でさえ、時々、物ノ怪のように思うことがある。だが言っていることは間違ってはいない。男というものは、しょうもない生き物なのだ。


「御爺も吉右衛門も、俺に遠慮するな。良いものを用意してある」


 それは田名部で初めて作られた「清酒」であった。ただの濁酒ではなく、器の底まで透き通っている。


「雪景色を見ながら、湯につかって冷えた酒を飲む。これが温泉の楽しみ方だ。もっとも、俺は飲めんがな」


 進められるまま清酒を一口呷る。なんとも言えない美味さであった。稗の濁酒も良いが、この清酒は米本来の旨味を感じる。ついつい、もう一口飲みたくなる。


「湯の中では酒が回りやすい。二人とも、一合だけにしておけよ?」


 吉松の声が少し遠く聞こえた。盛政は笑った。酒と景色、そして孫の頼もしさに酔ったのかもしれないと思った。

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