第25話 両雄の邂逅

 天文二〇年(西暦一五五一年)文月(旧暦七月)、二隻の船が野辺地に到着した。五〇〇石船は当時としては最大規模の船で、野辺地の民衆はその大きさに目を剥いた。上等な麻の着物を着た童、その後ろには五〇代半ばと思われる老人、さらに若い男たちが続く。


「この季節の陸奥の海は良いな。浜の風が涼しく、陸奥の自然を愛でることができる」


 新田吉松は心地よさそうに海風に吹かれていた。


「某、三戸城南部家家老、毛馬内靱負佐ゆきえのすけ秀範ひでのりと申しまする。主君より、新田様の御持て成しを任されておりまする。至らぬ点もあるやもしれませぬが、どうぞ宜しくお願い致しまする」


「確か、右馬助殿の叔父にあたる方でしたな。新田吉松です。こちらこそ、宜しくお願い致す」


 軽く一礼し、用意された馬に向かう。吉松のために、少し背が低い馬が用意されていた。それに乗り、田名部の街中を進む。民衆たちが吉松の姿を見てヒソヒソと話し合っている。吉松が顔を向けるとビクッと反応した。だが吉松はニッコリと微笑み、顔を前へと向けた。


「早いものですな。先の戦のあとは、もう残っておらぬ様子。民たちにも不安がなさそうで安心しました」


「主君の命を受け、この地に城を築く予定です。そのため七戸家は力を入れて、街並みを整えようとしております」


 築城計画など機密とされる軍事情報のはずである。それを口にするということは、新田を信用しているのか、それとも舐めているのか。両方だろうなと吉松は思った。やがて館が見えてきた。門に二人、そして壁には数歩おきに兵が守っている。だが見えないところではより多くの兵が隠れているのは明らかであった。晴政がその気になれば、吉松は簡単に殺されるだろう。


「こちらで、しばしお待ちくだされ」


 畳張りの部屋に通される。吉松は胡坐したが、誰も口を開かない。諜者を警戒してのことであった。




 南部右馬助晴政は、目の前の童を見て、本当にこの童がと改めて疑問に思った。確かに肝は据わっている。武装した兵がこの館を取り囲んでいる。そして自分は当主としての圧を放っている。眉毛一つ動かさず、平然とそれを受け止めるなど、ただの童にできることではない。


「新田吉松にございます。右馬助殿に御目文字が叶い、嬉しく思います」


 吉松が一礼する。だがそれは臣下の礼ではない。ただの形式的な挨拶に過ぎなかった。晴政も同じように、挨拶をする。


「南部馬之助晴政である。田名部より来て下されたこと、感謝いたす」


 そして互いに見つめ合う。吉松も晴政も、視線を逸らすことなく、数瞬の沈黙が流れた。先に動いたのは晴政であった。


「ふむ…… なるほど。神童か」


「そう呼ばれていると耳にしたことはあります。もっとも、父親を追い出した薄情者と陰口を叩かれているというのも聞いていますが」


「ハハッ…… 力ある者が力なき者を喰らう。それが今の世というものであろう。儂であれば誉にこそすれ、気になどせぬわ。さて、吉松殿に聞きたい。この先、我ら南部とどう関わるつもりだ?」


「特に何も。少なくとも、こちらから戦を仕掛けることはしません。ですが戦を仕掛けられた場合は、腹を括り、最後まで戦い抜く覚悟です」


「蠣崎を下し、十三を獲り、浪岡にまで手を伸ばしている。先の戦から電光石火の速さよな。家臣たちの中には、その動きに不安を覚える者もおってな」


「十三湊は荒れており、また岩木川は急流ゆえ、治水もしなければなりません。ただあの湊を押さえることで、蝦夷との交易がさらに活発になります。檜山安東家も、本当なら十三湊をしっかりさせたかったのでしょうが、資力の問題で手を付けられなかったのでしょう」


「そうよな。捨てるには惜しいが治めることもできぬ。そういう土地だったのであろう。そこに目を付けるとは見事なものよ。檜山も、わざわざ攻めるようなことはすまい」


 十三湊が無視されてきたのは、費用対効果の問題である。野辺地の湊でも、蝦夷との交易には支障がない。檜山安東も、深浦から蝦夷徳山館までは船で直接の行き来ができる。十三湊は良い湊だが、水害対策で金と人手がかかることを考えると、そこまでして欲しい土地ではないと考えられていたのだ。


「私からもお尋ねしましょう。この先、新田はさらに豊かになります。南部の民として生きるより、新田の民として生きるほうが遥かに豊かに、遥かに安全に、遥かに幸福に生きられる。民がそう思い、離れていったとしたら、それでも右馬助殿は腰を上げませんか?」


「上げざるを得まいな。先の戦、問題の根幹はなにも解決しておらぬ。七戸の民は、より豊かな暮らしを求めて田名部へと移った。人の口には戸は建てられぬ。五年もあれば、それは南部領全土に広がるであろう」


 吉松は内心では意外に思っていた。南部晴政は、状況をしっかりと理解している。南部家は、むしろ追い詰められているのだ。状況を打開するために、乾坤一擲の戦を仕掛けるしかない。だが状況はもう手遅れになりつつある。十三湊を押さえ、浪岡と繋がりを持った新田家に対して、津軽の軍を動かすわけにはいかない。三戸、八戸、五戸、七戸といった陸奥地方の軍勢のみで、新田家と戦うことになる。総兵力はおよそ三〇〇〇強。それでも兵力は上回るが、田名部の民を相手にすれば半分以上を失うことになる。つまり、状況はもう詰んでいる。本気で新田を潰したいのならば、和睦などせずに攻めるべきだったのだ。


「確かに、南部家は追い詰められている。だが逆転の手がないわけではない。新田家の弱みはお主よ。当主である新田吉松はまだ童。子などおろうはずがない。ここでお主が死ねば、新田は絶えることになる」


 吉松の瞳がスッと細くなる。本気で言っているわけではないことは解っている。本気ならとっくにやっているからだ。何のためにそんなことを言うのか。すると晴政はクツクツと笑い出した。


「クククッ…… 実はな。儂にも子がおらぬ。みな娘ばかりで、養子をというこえが煩くてな。そこでどうだ。儂の娘を娶らぬか?」


「……ただでというわけではありますまい。なにをお望みなのです?」


 南部右馬助晴政の嫡女である桜姫は、史実では石川高信の庶子である南部信直の正室となる。だが南部晴政は五〇を過ぎて子を成した。その結果、晴政と信直の仲は崩壊し、晴政の死後は養子である信直と嫡男である信継との間に家督相続の騒動が発生した。だがそれは三〇年後の史実の話である。いまの晴政に、そんなことを予見することなどできるはずがない。


「南部三郎から続く南部家を残す。南部家をさらに繁栄させる。それが父の願いであり、儂の願いでもある。だがこのまま儂に嫡男が生まれなければ、いずれ跡目を巡る騒動が発生しよう。南部家は割れ、いまの所領すら守り切れぬかもしれん。それを防ぐには、時を繋ぐ者が必要なのだ」


 南部晴政は数え三五歳である。現代の感覚ではまだまだこれからという年齢だが、人間五〇年が当たり前の戦国時代では、そろそろ跡継ぎを考えなければならない年齢であった。


「実弟である左衛門尉に次ぐ、三戸南部家の重臣として迎えよう。南部家全土の内政を任せる。逆らう国人がおれば潰しても構わん。田名部を繁栄させた手腕を、我が南部家でも発揮してもらいたい。それが条件よ」


 ドクンッという鼓動が聞こえた。糠部、津軽、蝦夷を押さえる広大な領地。それを好きに開発して良い。商いの仕組み、関所のあり方、予算配分、家中の決め事などなど。途方もない地位と、やりがいのある仕事を与えるというのだ。


(例えているなら、東証一部上場の超大手ゼネコンの最高執行責任者みたいな地位か。なるほど。こんな地位をポンと出してくるとは、やはり南部晴政は傑物だ。だが……)


 だがそれは、史実における南部信直の立場になるということだ。強い権限は与えられるのだろうが、それでも南部晴政の下につくことになる。吉松にとって、自分の考えや自分の意見を、より強い力によって否定されることは我慢できないことであった。だから前世でも、自分で会社を興したのだ。


「大変ありがたいお話ですが、お断りします。他人が造った山を登るより、自分で山を造る。それが新田吉松の生き方なのです。南部家に飲み込まれるのではなく、南部家を飲み込みます」


 しっかりと見据えて返答する。南部晴政は目を細め、黙ったままであった。

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