第24話 三勢力の動き

 日本で初めて鋳造された流通貨幣は、和同開珎である。その後二五〇年間で、律令府は一二種類の貨幣を鋳造、発行した。これを「皇朝一二銭」という。いずれも円形で中央に四角が空いている銭であり、一銭として使われていた。だが時代が経つにつれて、その銭の価値は大きく下がった。和同開珎では一枚で米二キロを買うことができたが、最後の通貨である乾元大宝は鉛が七五%も含まれ、大きさも小さく、いわゆる鐚銭びたせんと呼ばれるものであった。つまり、律令府が発行した公式の通貨が粗悪品で、通貨としての価値が認められなかったのである。乾元大宝以降、長きにわたって日本では通貨発行は行われてこなかった。


「その結果、堺をはじめとする各地域では私鋳銭が作られ始めた。現在、良銭としては宋銭が認められているが、大陸ではとっくの昔に滅んだ王朝の銭を未だにありがたがっている。いかに日ノ本が遅れているかという証明だ。それを俺が変える」


 川内で鋳造された私鋳銭「宋元通宝(偽造)」が並べられた。土に埋めて古色を付けているが、銅の含有率が高く、文字もしっかりと読める。大きさは現在の百円硬貨程度だ。金崎屋善衛門はそれを手にしてしげしげと眺めた。


「日ノ本は未だに、大陸から銭を輸入している。円形で真ん中に四角い穴が空いていたら、なんでも一銭と認められているのが現状だ。その結果、文字が潰れていたり、穴が欠けていたり、粗悪な材料で作られていたりと、正に鐚銭が横行している。で、どうだ? その銭は?」


「良銭といっても差し支えありませんな。少なくとも鐚銭ではありません。堺の商人たちも、これならば認めるでしょう」


「新田が大きな力を持った暁には、その銭を新田が発行する通貨に変える。交換比率については流通後に考えるが、鐚銭などは二度と生まれないようにするつもりだ」


 一貫、つまり一〇〇〇文の束が用意される。


「銭衛門、これはお前に預ける。本当に使えるか、試してくれ。京文化が取り入れられている越前ならば、銭も流通しているだろう」


「へい。それで、もし上手く仕えた場合は?」


「決まっておろう? 大量に銭を発行し、鐚銭を駆逐する」


 律令府が通貨発行を止めて、輸入に頼るようになった結果、日本国内では深刻な「通貨不足」となった。つまりデフレ経済なのである。生産力をつけようとしても、デフレ経済であるためモノが売れない。結果、生産そのものが行われず、皆が貧しくなる。鎌倉から四〇〇年間、ずっとデフレだったのだ。




「主君の新田吉松は、放置され荒れている十三湊の現状を憂い、日ノ本北部における交易地として再び十三湊を輝かせたいと考えております。しかしそのためには、岩木川の治水が必須。我が新田家は知恵と資力はあれど人手が足りませぬ。そこで、御所様のお力添えをいただきとうございます」


 使者として浪岡城を訪れた吉右衛門は、岩木川治水のための人手を浪岡で集めることの許可を求めた。食事も出すし、給金として幾ばくかの米も日払いで渡す。新田家は表立って南部領内で人集めはできない。そこで浪岡領を間に挟み、石川や油川、さらには檜山からも人を集めようという計画である。紙芝居を使い、具体的な口上まで伝える。


「浪岡様におかれましても、次男や三男など土地を持たない者や、食べることに困っている者などについてお困りのはず。治水が成れば津軽北部の荒れた土地が豊かになります。御家にとっても利益があるのではないでしょうか」


「うむ。悪くない話よ。こちらは資材など出さず、ただ人集めを承知すれば良いというのだな?」


 浪岡北畠家当主浪岡具統ともむねは満足そうに頷いた。岩木川中流から下流は浪岡家の影響が及ぶ地域である。そこが肥沃になれば、津軽全土を掌握できるかもしれない。具統の天秤は、承認へと大きく傾いた。だがそれを止めた者がいた。先代の浪岡具永である。


「たしかに、聞く限りは悪い話ではない。だが物事にはかならず表裏がある。浪岡の民が、新田が指揮する賦役に参加する。食べ物や扶持なども得られる。それはつまり、浪岡の民が新田の統治を経験するということだ。現在、浪岡では賦役に飯も扶持も出しておらぬ。治水の賦役に参加した民は、新田に比べて浪岡はどうだと、不満を持つであろうな」


「………」


 吉右衛門は黙ったままである。実際それは、吉松の狙いでもあった。これまでの「当たり前」に疑問を持たせる。豊かさに目覚めさせる。そなれば民は、浪岡ではなく新田の統治を望むようになる。農民兵が大半を占める以上、新田との戦に参加したところで士気は低いだろう。それどころか戦場で新田に寝返る可能性すらある。


「どうやら、新田殿からそれとなく、聞かされていたようだな。やはり、新田の狙いは津軽を手にして力を付け、いずれ浪岡や南部を飲み込むことか」


「なっ…… 父上、それは真にございまするか! おのれ……よくも姦計を巡らせてくれたな」


「滅相もありませぬ。我が主君はただただ、津軽は惜しいと申しておりました。岩木川を安定させれば、津軽だけで一〇〇万石に達するだろうと…… 民の笑顔のためという思いからの申し出でございます」


「小賢しいわっ! そのような口先に乗る俺ではない。この場で成敗してくれる!」


 具統が怒りの表情で立ち上がる。だが父親の具永が窘めた。


「感情を表に出すな。その方は鎌倉から続く名門、浪岡北畠家の当主であろう。それに、最初に言ったように悪い話ではない。要は、岩木川を安定させた後、我らが津軽をどう治めるかだ。今までのままなら治まらぬぞと、新田は言っておるのだ。フフフッ…… 新田吉松、儂を試すか」


 具永は肩を揺らして一頻り笑った。具統は父親の愉快そうな表情に、怒りを出すこともできず、再び座った。吉右衛門は思った。やはり息子の具統は、父親である具永には及ばない。


「のう、使者殿。返答はしばし待ってもらいたい。どうせ賦役を始めるとしても来年の雪解けからであろう? ならばその前にぜひ一度、新田吉松殿と会ってみたい。その時に返答しよう」


「……承りました。我が主に、そのように伝えまする」


 吉右衛門は頭を下げながら思った。二人がどのような話をするのか、とても興味がある。ぜひ自分も同席したいものだと。




 一方、陸奥三戸城においても、田名部新田をどうするかについて議論が交わされていた。


「某は反対でござる! 桜様は殿の御嫡女。新田を婿とするなど、家の中に飢えた狼を入れるようなもの。もし婿取りとおっしゃられるのであれば、ここは前々から話が出ていた、左衛門尉様の庶子、亀九郎様を御養子に迎えられるべきかと存ずる」


 七戸彦三郎直国が声をあげた。直国は先の戦で吉松に煮え湯を飲まされている。本当ならすぐにでも復讐戦をしたいところだが、三戸南部家と田名部新田家の取り決めには従わなければならない。だから渋々、耐えているのだ。そこに新田吉松を三戸南部の一門に迎えるという話が出たのである。そうなれば復讐の機会など永遠に失われてしまう。反対するのは当然であった。


「殿。彦三郎殿の無念、察するに余りあります。ですが某は、ここは敢えて新田を取り込むべきだと考えます」


 南部家の知恵者、北左衛門佐さえもんのすけ信愛のぶちかが意見する。直国はギロリと睨んだが、反論はしない。自分が感情的になっていることくらいは自覚しているからだ。


「新田は既に、蠣崎を懐柔しております。このまま放置すれば、我らは北に大きな不安を抱えることになります。それに、新田は意外に義理堅いところがあります。たしかに父親は追い出しましたが、それは家中での騒動に過ぎません。他の家に対してはスジを通しております。それに一族は大事にしているようです。祖父の盛政殿は新田家中で重きを為し、まだ幼い吉松を支えています。無骨で一本気な盛政殿が、不義理者を支えましょうか?」


「それは田名部が豊かだからに過ぎぬわ。浅ましいことよ」


 直国が吐き捨てる。実際、先の戦では盛政が率いる騎馬隊に、いいように混乱させられたのだ。怒りの矛先が向くのも仕方のないことであった。

 賛成と反対、理性と感情の両方が議論の中で出てくる。それを十分に聞いた晴政は、一つの決断をくだした。


「婿にする、しないは横に置き、やはり一度、会っておくべきだろうな。おそらく向こうも、そう思っているだろう」


 こうして、南部晴政は新田吉松との会談を決めた。奇しくもそれは、吉右衛門が浪岡城を訪れたのと同じ日であった。


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