第22話 飛躍に向けて

 戦国時代、人口と石高はほぼ等しかった。つまり一万石の土地では一万人が暮らしていた。一石が、人一人が一年間消費する米の量とするならば、一万石の土地に二万人が住むことは不可能だったのである。

 また兵については、一万石で一〇〇名~四〇〇名が動員可能であった。この幅については、農業以外の他産業の状況や、徴税の実態などで変わった。関ヶ原の戦いでは、平均して二五〇名/万石である。


「常備軍は三〇〇名とする。広益にはその半分を束ねてもらいたい」


 蝦夷蠣崎家からの借用というかたちで田名部にきた長門広益は、いきなり兵を与えられたことに目を白黒させた。それに蠣崎家内の所領はそのまま、新田から禄を受ける形となった。米五〇〇石である。


「今はまだ五〇〇石という米での雇用だが、いずれは銭で渡すことになるだろう。我が新田家では田名部以外の集落の開発を急いでいる。俺はそちらに集中したい。よって軍事については御爺に一任している。広益は御爺の補佐というかたちで、新田軍の増強を頼む」


 そう告げると、吉松は川内へと向かってしまった。残された広益は、取り敢えずは田名部館近くに用意された屋敷に入った。肉、魚、野菜、酒が届いており、家人たちも驚いている。


「殿はいずれ、若狭守様すら臣下に加えられるおつもりですか?」


 川内に向かう途中、馬上で吉右衛門が問いかける。吉松は当然だとうなずいた。


「あの蝦夷地において、まがりなりにも一族を束ね、畿内に使者を送り、蝦夷の民と戦い続けた。並の統率力ではできぬ。耐えがたきを耐えながら、蠣崎家と臣下を守ってきたのだ。そうした人間にこそ、内政を任せたい」


 画期的な技術ならば自分が教えればいい。だが民政とは本来、泥に塗れながら粘り強く進めるものだ。たとえば教育の仕組みなどは整えられても、人が成長する速度までは変えられない。一〇〇年間、荒んだ社会の中で生きてきた人間の意識を変えるには、長い年月を必要とするだろう。蠣崎季広ならばそれに耐えられる、と吉松は見ていた。


「殿、間もなく川内です」


 登り窯の煙が見えはじめた。




「この川内では、焼物の他に鉱物資源の加工を行う。無論、農畜産業も行ってもらうが、もっとも重要なのは粗銅の精製、そして銭の鋳造だ」


 日本の粗銅には、銀が含有されている。この銀を取り除く方法は、戦国時代末ごろにならないと登場しない。粗銅に鉛を加えて溶かし、溶解度と比重の違いを利用して銀を含んだ鉛を分離させる。そして次に、灰吹法を使って鉛から銀を取り出す。これにより、純度の高い銅と銀を得ることができる。


「安全を第一にしろ。口覆いと手袋を付けて、慎重に行うのだ。鉛は体にとって毒だ。直接触れないばかりか、鉛を含んだ空気を吸わないよう、換気にも気を使うのだ」


 豊臣秀吉による天下統一まで、戦国時代でもっとも価値が高い銭は「宋銭」であり、次が「永楽銭」である。吉松は既に何枚かの宋銭を手に入れていたので、これを参考に純度の高い銅で銭を作ろうというのだ。


「銭衛門には、畿内から粗銅や鐚銭を集めろと言ってあるからな。無論、鐚銭などは粗銅扱いだ。通貨としての価値など認めん。それらを鋳つぶして、含まれている銀を回収する。商いをするほどに銀や金が増えていく。クックックッ」


 銀がどの程度含有されているかは個々の粗銅で違うが、高いときには一三%に達したという。吉松は集めた銀と金で、新田領内で通用する貨幣を作るつもりでいた。

 すでに安部城鉱山の場所も判明しており、いつでも鉱山開発が可能な状態である。各施設が整い次第、順次開始する。金、銀、鉄、銅の四つが安定して手に入るようになれば、新田家の経済力は決定的なものになるだろう。その時こそ、南部を飲み込むときになる。


「人は集められぬが、交易をしてはならぬという取り決めではないからな。野辺地、七戸、三戸あたりにも米や酒を流すか。あとは石川もだな」


 黒備衆が道の整備を続けている。停戦期間の五年があれば、下北半島はほぼ整備されるだろう。馬車を使った物流網を完成させ、ヒトとモノを動かす。五年後には米だけでも一〇万石。麦や稗、大豆などの他の穀物や野菜、家畜などすべてを合わせれば、二〇万石を超えるはずだ。つまり南部家をも超える。


「だが足掛かりを作っておきたいな。来年あたりか?」


 吉松の脳裏には、次の戦の構想が出来上がっていた。




「殿、お聞きしても宜しいでしょうか?」


 田名部館では、長門広益を歓迎するささやかな酒宴が開かれていた。吉松は酒が飲めないため、牛蒡茶を盃に入れて飲んでいるが、盛政や広益は鶏の塩焼きを稗酒で堪能していた。ただの塩ではない。昆布から濃い目の出汁をとり、それに塩を入れて煮詰めてできる「旨味塩」を使っている。田名部の新たな特産品にならないかと考えたのだが、費用が掛かるため田名部館の中だけで使っている塩だ。


「御領地は繁栄し、今年は米だけでも二万石を超えましょう。ですが、その石高に比して兵が少なく思います。なぜ、敢えて兵を少なくしておられるのでしょうか?」


 広益は吉松のことを「殿」と呼んだ。これは広益の中にあるケジメである。自分の忠誠は蠣崎家に向けられている。だがこの田名部にいる以上は、新田吉松が主君なのだ。新田が蠣崎を守る限り、自分は新田吉松を主君として働く。広益はそう決めていた。


「この数年、田名部では稲作が上手くいっていた。これは幸運なことだ。だがどのような知恵を使おうとも、防げぬものがある。この地は数年に一度、寒い夏がやってくる」


 吉松が恐れているのは、いわゆる「やませ」である。北日本の太平洋側には、オホーツク海から寒流の親潮が流れている。その上を通ってくる風は当然、冷たい。そのため数年に一度、標高一五〇〇メートル以上の空気より、以下の空気のほうが冷たくなることがある。そうなれば冷たい空気は暖かい空気を超えられず、奥羽山脈などに阻まれて留まってしまう。古来より、下北半島から三陸海岸にかけて、この冷害に悩まされてきた。現代において日本海側に米どころが集中しているのは、このやませが無いためである。


「ひょっとしたら、来年そうなるかもしれない。寒い夏となれば米は全滅だろう。稗や麦すら危うい。田名部で多様な作物を育てている理由は、冷害に備えてのものだ。だから常備兵については、豊作を前提とした兵数ではなく、冷害を前提とした兵数を揃えようと考えている。もっとも……」


 吉松は口角を上げて言葉をつづけた。


「津軽を手に入れれば、少しはマシになろうがな……」


 広益の腕に鳥肌が立った。




 稲の実りが良い。幸いなことに、天文二〇年も豊作を迎えられそうであった。やませの予測は不可能だ。現代科学においても、メカニズムこそ解明できたが、予測には至っていない。よって、冷夏が起きることを前提とした仕組みを整えておく必要がある。


「大間や大畑ではソバを栽培させよう。ソバは寒さに強い。それに今年は醤油や味醂が完成する。普通にざる蕎麦を食べたいしな」


 宇曽利ではカツオこそ獲れないが、かわりにサバが手に入る。鯖節でも旨味は取れるし、荒節までなら比較的簡単に作れる。麺としてのソバの使い途を教えれば、栽培にも力が入る。


「あとはジャガイモか…… こればかりは南蛮商人がいないと手に入らないからな。山芋を栽培しよう。麦、大豆、葱、ニンニクを輪作に組み込めば大丈夫だろう」


 新田領内の農業について一通りの報告書を読み、方針を伝えた後は、次の合戦について考える。下北半島を南下することは不可能だ。南は南部家によってガッチリ固められている。つまり飛び地しかない。


「クックックッ…… 土地を栄えさせず、切り取ることしか知らぬ者たちには、この地の価値は解るまい。新田の飛躍のために、まずは此処から手を付けようか」


 吉松は手製の地図に石を置いた。津軽半島北西部である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る