第21話 一所懸命の欠陥
「長門殿、よく来て下された」
齢五歳、見た目だけなら童の当主が笑顔で評定間に入ってくる。蠣崎家の重臣長門広益は、吉松の見た目に惑わされることなく板間に両手をついて一礼した。
「この度は御戦勝、誠におめでとうございます。また当家への多大なるご支援、感謝のしようもありませぬ。主君からくれぐれも宜しく伝えて欲しいとの言葉を受けておりまする」
「その言葉、有りがたく頂戴しよう。勇猛忠烈と噂される長門殿と会えたこと、俺も嬉しく思う」
(この見た目でこの言葉遣い。そしてこの
広益は背中に汗が流れるのを感じた。外見に惑わされる者は多いだろう。だが実績を見れば侮れるものではない。三〇〇〇石の田名部を僅かな期間で数倍の石高にした手腕。民を纏め上げ、七戸を叩き返した武勇。そして三戸南部家との交渉。いずれも並の国人にできることではない。広益は吉松を童だと思うことを捨てた。
「蠣崎家は過去の遺恨をすべて水に流し、今後は新田家と共に歩む所存です。しかしながら、当家は一〇〇年にわたり安東に仕えてきた家柄ゆえ、家中には戸惑う者も多うございます。この先、我が蠣崎家はどのように新田家と手を取り合うか、吉松様のご存念をお伺いしとうございます」
「当然だな。ちょうど良い機会だ。御爺や吉右衛門にも聞かせておこう。長門殿、俺がなぜ蠣崎家を欲したか、わかるか?」
「それは、やはり当家が安東家に臣従しているからではないでしょうか。あるいは蝦夷との商いのため……」
「それもある。だがそれは枝葉のことよ。俺が欲した理由はな。蠣崎なら理解できると思ったのだ。鎌倉から続く一所懸命の思想、武士が領地を持つという考え方の致命的な欠陥についてな」
「致命的な欠陥? そ、それは……」
広益をはじめ、盛政も吉右衛門もポカンとしている。考えたことも無いのだ。土地を持つ。土地を広げる。土地を治める。これが武士の本分であり、守護職の役割であり、幕府の存在意義である。半ば本能とまで化しているその常識を吉松は真っ向から否定した。
「一所懸命の考え方はな。その土地から米が得られることが大前提なのだ。米が採れぬ土地は誰も欲しがらぬ。故にそうした山林には領主がなく、山の民がいる。そしてそれは徳山でも同じではないか? あの地では米が採れぬ。一所懸命の仕組みそのものが、通用しない土地なのだ」
広益は思案する顔を浮かべた。確かに自分も領地を持っている。稗や粟などの雑穀を育て、食いつないでいる。たまに魚や鹿肉などが入ると、僅かな酒を飲んで慰めとしてきた。そんな領地に、どれほどの価値があるというのか。
「南部も安東も、蠣崎領を欲せぬ。なぜなら米が採れないからだ。攻めたところで貧しい土地が得られるだけ。蠣崎蔵人の乱において、南部や八戸、あるいは安東が追わなかった理由がそれだ。土地、そして米を中心とする考え方。これこそ、鎌倉から続く罠なのだ。人は米だけあれば生きていけるのか? 他に何も喰わず、なにも飲まず、なにも着ずに生きていけるのか? 米など農産物の一つに過ぎぬ。俺はな。米ではなく銭を中心とした統治を行う。家臣に対しては土地ではなく銭を与える。無論、銭は使ってこそ価値がある。だから銭を使いたくなるような様々な物品を整える。いま、田名部では正にそれをやろうとしているのだ」
「つまり、蠣崎領を没収すると? 蠣崎家に潰れろと?」
「たわけ。蠣崎家も長門家も立派に続くわ。長門広益という一個の益荒男の力を銭で買うということよ。その方の力、本来なら一〇万石の値打ちがある。故に、一〇万石が買えるほどの銭を毎年与える。その方はその銭を使って、家人たちを雇えば良い」
広益は必死に考えた。領地が無くなるということと家が無くなるということは、必ずしも同じではない。実際、土地を持たない商家なども立派に繁栄しているのだ。だがどうしても腑に落ちないでいた。
「腑に落ちぬであろうな。当然だ。誰も見たことがない新しい統治の仕組みだ。故に実感などあろうはずがない。安心せよ。当面は蠣崎家への支援と交易を続ける。この話はもう少し先になってからよ。だがその前に相談がある。長門広益、お前の力を借りたい」
「は?」
てっきり、蠣崎家に対して臣従を求めるとか戦役を要求するとかを考えていた広益にとって、吉松の話はあまりに気宇壮大で半ば妄想のような話であった。そのため話の内容についていけず、思わず声を上げてしまった。
「俺は蠣崎家に戦役など求めぬ。ただでさえ生きるために戦っているのだ。そこに戦を求めるなど人の道に外れておる。だがそうなれば、蠣崎家では戦は無くなるぞ? 故に、武将としての其方の力を借りたいのだ。契約料として年間三〇〇〇石で其方を借りたい。蠣崎殿に伝えてくれぬか?」
自分に仕えろというのではない。蠣崎家の家臣のまま、新田家で働けという。いわゆる傭兵に近い考え方だが、他家の家臣に対して「外注」を求めるなど聞いたことがなかった。
「銭が中心の世の中となれば、それが当たり前になる。考えてみてくれ。断ってくれても構わん。だが俺と共に来れば、面白い一生を過ごせるぞ?」
「ははっ」
広益は平伏した。なにを言っているのか、半分も理解できなかった。だがこの童が途方もないことを考えていて、それを本気で実現しようとしていることは理解できた。蠣崎なら俺を理解できる、そう言っているのだ。ならば言葉を尽くして、主君に伝えるしかないだろう。
「銭を中心とした世の中か……」
蠣崎若狭守季広は、広益の言葉を受けて沈思した。新田は、蠣崎なら理解できるはずだと言ったという。だが長門藤六広益は、いまひとつ理解できない様子であった。
「なるほど。武士の考えではない。武士では思いつかぬ。まさに神童よな」
「殿には、新田殿の言葉が理解できるのですか?」
「おおよそはな」
米が得られない蠣崎家は、蝦夷と安東との交易を取り持つことで収入を得ていた。武家というよりは商家に近いことをやっていたのだ。そのため他の武士に比べて、経済感覚は発達していた。
米は相場によって変わる。豊作であれば米は安くなり、凶作となれば米は高くなる。だが銭ならば、米の収穫量に関係なく安定した価値を持つ。安東が凶作になれば、豊作だった他の土地から米を買えばよい。銭による禄ならば、季節に一喜一憂することなく、領地の運営にも悩まされることはない。
「フッ……フフフフッ」
怪訝な表情を浮かべる広益をおいて、季広は肩を震わせて笑った。領地と家を分けるという考え方は、目から鱗であった。確かに、銭を禄として貰えるのならば、この極寒の蝦夷地などに固執する必要はない。土地とは違い、銭は持ち運べるのだ。そして様々な物を買うことができる。本当にそれが実現できるのであれば、蠣崎家は残ることができるだろう。その時は新田に仕えても構わないと思った。
「殿。新田殿が言われた件ですが……」
「構わぬ。お前の力を貸してやれ。新田吉松の言葉を信じるならば、この先、この地が戦に巻き込まれることはない。だがそのためには、より強い力が必要だ。田名部は繁栄しているのだろうが、人が足りぬのが弱みよ。新田吉松の下で、蠣崎家重臣、長門広益の力を見せつけてやるがよい」
「はっ」
長門広益が僅かな供回りと共に田名部へと移ったのは、これから一月後のことであった。
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