第20話 一時の平和

 新田家と南部家との戦は、結局は回避された。石川左衛門尉高信が自ら交渉役となり、野辺地で新田吉松との話し合いの末、妥協点を見出したのである。


1.吹越峠での新田家、七戸家の合戦では、新田家が勝利したことを認める。

2.野辺地は七戸家に返還する。代わりに夏泊一帯の領有を認める。新田と七戸との境は「有戸」とする。

3.田名部に移った民については、その責は問わない。ただし今後は、南部領内での表立った人集めはしないことを約する。

4.三戸南部家は新田家の独立を正式に認め、五年の不戦を誓約する。

5.蠣崎家および蝦夷との交易、交流についてはこれを認める。

6.新田家は毎年二〇〇〇石を「自主的に」三戸南部家に納めるものとする。


 最後の一文は吉松から言い出したことである。南部家にも華を持たせなければならない。そのため、七戸家には勝ったが、南部家が出張ったため矛を納めた。従属こそしないものの、南部家に気を遣っているという姿勢を見せたのである。そうすることで、田名部新田は安全に独立地位を確保できるし、三戸は「さすがは南部家頭領」と一族からさらに重んじられる。


(まぁ、たかが二〇〇〇石で安全を買えるのなら安いものだ)


 五年あればさらに数隻の船を建造できる。安東氏の出羽、長尾氏の越後、朝倉氏の越前あたりから人を集めれば良い。それに独立国人ということは、戦の自由がある。津軽には未だ、南部に従属していない勢力が二つもあるのだ。


「名を捨てて実を取ったのだ。十分だ」


 祖父、新田盛政に対して、吉松は不敵に笑った。





 一方、三戸城においても交渉の成功が喜ばれていた。八戸行政はともかく、九戸や五戸あたりからすれば、元々は七戸と新田の争いなのである。南部晴政の命だからこそ聞いていたが、戦に参加したところで得るものは少ない。それよりも新たな領地が見込める鹿角のほうが、はるかに意義がある。大半の国人がそう思っていたところに、新田との和睦成立である。しかも得たものは大きい。野辺地を奪還したばかりか、毎年二〇〇〇石が「上納」されるのである。


「さすがは左衛門尉よ。まさかここまで分捕ってくるとはな。どのようなあやかしを用いたのだ?」


 評定において、晴政はそう激賞した。夏泊は平地が少なく、もともと放っておいた領地である。呉れてやっても何の痛みもない。有戸にしても同じである。もともと、有戸から宇曽利郷にかけては緩やかな山地となっているため、耕作が難しい。新田と七戸の境が明確になっただけで、失ったわけではない。そして不毛の地だった宇曽利郷から、毎年二〇〇〇石が入ってくる。形式的には自主的であるが、実態は上納だ。つまり、どのような形であれ新田を三戸南部の下につけたのである。一族の統制に悩む晴政としては、十分以上の成果であった。


「ですが独立を認めた以上は、蠣崎、蝦夷への接触は咎められません。新田は巨船を建造しておりますれば、蝦夷との交易に力を入れていくでしょう」


「蠣崎などいらぬわ。むしろ新田が面倒を見てくれるというのなら、有りがたい話ではないか。これで我らは北を気にすることなく、南に集中できる。鹿角を得た次は、いよいよ比内、そして檜山よ。皆も大いに気張るがよい!」


「「「はっ」」」


 主だった国人衆が一斉に頭を下げる。今回の件で、三戸南部家の力は高まり、石川左衛門尉高信の名も上がった。交渉をまとめた石川高信でさえ、新田は譲りすぎではないかと疑問を持ちつつも、この和睦を喜んでいた。だが晴政たちは理解していなかった。僅か三年で田名部の力を数倍にした吉松に、五年もの時を与えるということがなにを意味するのかを。





「へへへッ…… 殿様。御戦勝、おめでとうございます」


 田名部に戻った吉松を待っていたのは深浦の商人、金崎屋善衛門であった。商人としての嗅覚から、今回の戦でさらに商いの幅が広がることを敏感に察していたのである。


「クックックッ…… さすがに早いな、銭衛門。儲け話をしようか」


 これまで南部の眼を気にして手を付けていなかった鉱山開発。蠣崎家の本格的な懐柔と蝦夷との関係強化。夏泊の椿山の本格的な活用など、やりたいことは山ほどある。味噌と醤油の醸造は既に開始しているが、完成には一年を要する。その間に、それぞれの特産品の生産力を増強する。組織化、マニュアル化を図り、計画的な人員育成を行う。

 無論、新たな特産品の開発も行う。椎茸栽培がいよいよ本格稼働し始めた。この時代、干し椎茸は同量の黄金と交換されるほどに価値がある。それがトン単位で収穫できるようになる。硝石についてはあと二年を要するが、完成すればそれも新たな特産品になるだろう。


「銭衛門には引き続き、人集めをお願いしたい。特に欲しいのは鍛師および鉱山を掘る若い男だ。だがそれ以外に、ぜひ調達してきて欲しいものがある。鉄砲を調達してきて欲しい」


「鉄砲? それはどのような?」


 吉松が説明すると、それは「種子島」と呼ばれている武器ですなと善衛門は頷いた。一五五一年は、種子島に鉄砲が伝来してから僅か八年しか経っていない。だがすでに鉄砲鍛冶師は近畿地方にも存在し、作られ始めている。京都に近い越前ならば、あるいは手に入るのではないかと吉松は考えた。


「へいっ。アッシは商人でございますゆえ、お客の望む商品はできるだけ調達いたしやす。ハイ。ただ…… 少々お値段のほうも張りますが?」


「解っている。言い値で構わん。銭衛門を信用しよう。それとな。そろそろ新田では銭を作ろうかと思っている。畿内で出回っている鐚銭ではないぞ。最高の品質を持つ良銭だ。金崎屋はいつも良銭で払ってくれる。越前や畿内からその信頼を得られたなら、商いもしやすくなるのではないか?」


「へへへッ…… さすがは殿様、商いをよくご理解されておられる。して、アッシはなにを?」


 齢五歳の幼児と卑下た笑みを浮かべる商人が、悪人顔で膝を突き合わせる。その光景に盛政は思った。


(……あの顔、育て方を間違えたかの)




 下北半島には港となる海岸が幾つかある。江戸時代、木材の需要が全国的に高まり、下北半島には多くの廻船が陸奥の木材を求めてやってきた。そこで江戸時代において盛岡藩は、積荷税を徴収する指定の港(湊)を定めた。それが「田名部七湊しちそう」である。


「安渡(田名部大湊)、川内、脇野沢、佐井、大間、大畑に集落を設け、五湊とする。それと東だが、目名(現在の東通村)までの道を拡張する。最終的には猿ヶ森の大砂丘まで広げ、東廻りの湊としたいが、今は人手が足りぬ」


 日本国内における砂丘といえば鳥取砂丘が有名だが、実は下北半島にも、鳥取砂丘に匹敵する大きな砂丘がある。それが「猿ヶ森砂丘」だ。東西二キロ、南北一七キロに及ぶ広大な砂丘だが、日本政府によって立ち入りが禁じられているため、観光することはほとんど不可能である。

 だが戦国時代ではそんなことは関係ない。猿ヶ森にはヒバの大森林が広がり、大量に砂鉄が採れる。鉄砲に手を出す以上、鉄は大量に必要であった。


「人が足りないのは仕方がない。一つずつ整備していくのだ。今年は川内と大畑の集落に力を入れよ。脇野沢と目名は来年だ。それと横平に館を、吹越峠には砦を建設する」


 矢継ぎ早に指示を出していく。吉松の下で働く文官は育ってきているが、やはり将が足りない。吉松の指示を受けて自ら動ける人間が必要であった。


「殿、蠣崎若狭守様の使者として、長門広益殿がお越しになられました」


「来たか!」


 それは、前々から打診していた「新田蠣崎連合」についての返答であった。吉松は逸る気持ちを抑えて、ゆったりとした足取りで評定の間に向かった。

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