第19話 吹越峠の戦い

 下北半島は「まさかり」に例えられることが多い。鉞の刃の部分は恐山山地が中央に位置し、平地はかなり少ない。鉞の柄は、南北五〇キロ、東西一〇~一五キロと細長く、下北丘陵と呼ばれる緩やかな山地が連なっている。その中でも特に有名なのが、東北一〇〇名山の一つ「吹越ふっこし烏帽子」であろう。五〇〇メートルを超える程度の山だが登山道が整備され、多くの登山客がこの山を訪れる。山頂からの見晴らしがよく、山の西方では春になれば一面の菜の花畑となる。

 しかし戦国時代、宇曽利うそりと呼ばれていたころは、吹越は陸路で田名部に向かう上での要衝であった。菜の花畑などあろうはずもなく、烏帽子を東に見ながら草原と雑木林のなだらかな丘を越えていく。江戸時代には「田名部街道」と呼ばれた道を七戸軍二〇〇〇が進む。


「殿、あの丘で休息を取りましょう。吹越を抜ければ、田名部まですぐです」


 弥生になれば、この北限の地でもそれほど雪に悩まされずに済む。七戸軍はそれほど疲弊することなく、峠の麓に差し掛かった。その時であった。音もなくいきなり、黒い礫が一斉に降り注いできた。


「な、何事だ!」


「これは…… 投石です。丘から石が投げつけられています!」


 田名部の民二〇〇〇人による、一斉投石であった。それも投石機スリングを使ったもので、降り注いできた石の威力はかなり強い。


「物見は…… 物見を出していなかったのか!」


 通常であれば、軍を進めるにあたって先遣隊を出してしかるべきである。だが二〇〇〇という大軍であり、田名部など鎧袖一触だと考えていた七戸軍は、先遣隊を出すことなく進んでいた。つまり完全に油断していたのである。

 次々と降り注いでくる礫に頭を打たれ、倒れる兵が続出した。鉄を使う兜などを付けているのはごく一部であり、大半は古びた腹当てを付けている程度である。頭上からの攻撃には完全に無防備な状態だ。


「ひぃぃぃっ」


 農民兵たちはみな、頭を抱えてその場でうずくまった。そこに容赦なく第二派、第三派の石が降り注いでくる。七戸軍は、出だしで完全に躓いた。





 戦国時代において、投石は一般的な攻撃方法だった。小山田信茂の投石部隊などがとくに有名だが、その攻撃は素手による投石であり、スリングを使った遠距離攻撃戦術ではなかった。吉松は稲藁で編んだスリングを大量に作らせ、石灰岩採掘の際に出た石を使って三〇〇メートル以上の彼方から投石を行ったのである。


「凄まじいの。まさか投石がこれほど効果的とは……」


「目の前からの突撃なら対処できるが、頭上からの攻撃には不慣れだからな。敵は完全に止まった。御爺、頼むぞ」


「任せておけ。久々に滾ってきたわ」


 新田盛政は凄みのある笑みを浮かべ、常備軍一〇〇名の騎馬隊に命を下した。


「敵は怯んでおる。これより突撃し、敵を真二つに割る! 皆の者、儂に続けぇ!」


 一〇〇名の騎馬隊による一斉突撃が始まった。


「投石隊、最後の一斉投石を行え。しかる後に騎馬隊に続いて突撃! 中央突破され混乱した敵軍を前後で挟み撃ちにする!」


「殿はお下がりくだされ。殿に万一あれば、ここで勝っても意味がありません!」


 吉松も騎乗し、突撃を開始しようとしたが、周囲から止められた。吉松は仕方なく、二〇名を供回りにつけ、木皮で作ったメガホンを使って、後方から指揮することにした。

 投石を受けて屈みこんでいたところに、騎馬隊の突撃が加わる。当然、槍を構えることなどできず、七戸軍はただ蹴散らされるだけであった。


「止まるな! ひたすら進むのじゃっ!」


 盛政の檄で一〇〇騎が一個の生き物のように動く。中央を断ち割り、突き抜ける。指揮系統など回復するはずもなく、混乱の極みに達したところに、田名部軍が一斉に襲い掛かる。


「ぐっ…… 怯むな! 我らのほうが数は多い!」


 七戸直国以下、将たちが立て直そうと動くが、そこに後方から再び騎馬隊の突撃を受ける。ついには油川城主奥瀬半九郎が撤退を始めた。そして一部でも兵が退けば、それは波及する。我も我もと農民兵たちは逃げ出し、七戸軍は蜘蛛の子を散らすように霧消したのであった。

 その後ろ姿を眺めていた吉松は、拳を振り上げて叫んだ。


「勝どきを上げろぉっ!」


 田名部軍の勝どきが、吹超峠に響いた。





 一方、惨敗した七戸軍は、立て直しのため野辺地へと向かっていた。集結してみると、それほど兵は失っていない。だが士気は極限まで低下している。七戸直国は馬上で歯噛みしながら、復讐を誓うのであった。


「おのれ…… かくなる上は、三戸の助力を得るしかあるまい。断絶した以上、八戸も味方しよう。覚えておれ、新田吉松っ!」


 ほうほうの態で来た道を戻る。やがて野辺地の集落が見えてきた。だが様子がおかしい。野辺地の周囲を軍勢が取り囲んでいたのである。そしてそこには、黒字に金糸で大きな旗が上っていた。


《三無》


 新田家の家紋と共にその旗が上っているのを見て、野辺地がすでに新田家に占領されていることを悟った。だがどうしてという疑問を持つ。田名部はわずか二万石、一時的に農民をかき集めても二〇〇〇人を動かすのが限界のはずである。だが目の前には、同じく二〇〇〇人の兵がいる。これはどういうことか。

 その答えは、陸奥湾にあった。吉松は吹超峠の戦いで勝利した後、西へと進み、予め用意していた弁財船やかき集めた漁船で、一気に野辺地へと進んだのだ。すべての兵を出していた野辺地は簡単に落ちた。


「吉松、どうする?」


「御爺、すでに決着はついている。ここで追い討ちすれば、七戸直国の首を獲ることもできるやもしれぬ。だがそれをすれば、間違いなく南部が出てくる。この戦はここまでだ」


 使い番を出して、追い討ちはしない故、七戸城に帰れと勧告する。油川城の奥瀬内蔵之介に対しては、今後は新田に敵対しない誓紙を出させたうえで素通りすることを認めた。

 こうして吉松は、下北半島全土および陸奥湾の要衝「野辺地」を手に入れたのであった。


 大勝利の後は祝杯である。野辺地では二〇〇〇名による歓呼が響いていた。農民兵たちにも米や酒を振る舞い、皆で戦勝を祝う。だが吉松の中には、今後についての不安があった。


(確かに勝った。だが南部晴政あたりは「勝ち過ぎ」と考えるだろう。恐らくは野辺地を明け渡すように要求してくる。今回は一時的に二〇〇〇の兵となったが、南部家が本気になれば六〇〇〇を動かせる。今はまだ、南部には勝てない)


 水を飲みながら、吉松は決着の着け方を考えていた。





 「新田家勝利」の報せは、数日で陸奥、津軽全土にもたらされた。この報告に怒りを示したのは南部晴政である。七戸からの援軍要請を受けて、晴政は陣触れを発表した。


「先陣は、我が八戸家に!」


 吉松の父親、八戸行政はここぞとばかりに先陣を願い出た。田名部を乗っ取られたことへの恨みだけでなく、ここで先陣を切らねば、今回の件で八戸が裏で糸を引いていると疑われかねないからだ。無論、晴政はこれを認め、八戸家およびその分家が先陣と決まった。


「それにしても、聞けば聞くほど呆れるわ。軍を進めるにあたって物見すら出しておらなんだとは…… いや、田名部が相手となれば油断も仕方ないかもしれんな。そこを突いた相手が上だったというだけだ」


 陣触れの発表後、三戸城の奥にて晴政は酒を飲んでいた。相手は弟の高信である。晴政は口では七戸家の戦ぶりを悪く言っているが、その一方で吉松の戦いについては評価している様子であった。


「兄上、今回の件ですが、誠にお怒りですか?」


「南部家頭領としての責務よ。ああ言わねば、他家は納得するまい。それに七戸家は儂に従属している。一方、新田は独立した国人。援軍の要請を受ければ、動くのは当然であろう」


「ですが、戦えばこちらも傷を負います。戦の前に、某に交渉の機会をいただけないでしょうか?」


「言っておくが、野辺地は譲れぬぞ。たとえ新田が臣従するとしてもだ。あそこは陸奥と津軽を結ぶ要衝。今回を機に、しっかりした城を築くつもりよ。七戸をその賦役に就かせることで、今回の惨敗の失地回復とさせよう」


「某が思うに、新田吉松は今回の着地を考えているはずです。兄上が野辺地を譲れぬということは、新田も見越しているはず。もともとはこの戦、七戸から仕掛けたもの。野辺地さえ回復させれば、七戸も文句は言えますまい」


「ふむ」


 晴政は考える表情となった。南部が総力を挙げれば、野辺地は回復できるだろう。だがその戦で、一〇〇〇でも失えば、本来の狙いである鹿角への侵攻ができなくなる。交渉で済ませられるのならば、そのほうが良い。


「良かろう。左衛門尉に任せる。だが急げよ。あと一〇日もすれば戦だ」


「はっ、では……」


 これが最後の機会と捉え、石川高信は野辺地へと急いだ。

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