第18話 合戦前夜

 《我が社の売上が落ちているのは、貴社の新製品があまりにも良すぎて、顧客が離れてしまったからだ! そんな新製品を、充実したアフターサービスまでつけて、しかも我が社より安い価格で提供なんてされたら、我が社の商売は成り立たない! 直ちに商品販売を停止し、我が社に対して損害賠償せよ!》


 もしこんな要求を突き付けてくる会社があったとしたら、どう思うだろうか? どこぞの半島国家よりもタチの悪いクレーマーだと叩き出すのではあるまいか? だがそれは資本主義と自由競争の世界で生きる人間の感覚である。中世の日本においては、そうした現代的感覚は通用しない。


「なるほど。貴家の主張は理解しました。ですが我が新田家は領民を大事にし、領民が暮らしやすいように日夜心を砕き、努力しております。もし貴家が本気で“一所懸命”をお考えならば、新田家を上回る程に領地を栄えさせれば良いでしょう。誠に申し訳ありませんが、貴家の主張は一方的であり、当家としては一切、受け入れることはできません」


 四歳の幼児がニコニコ笑いながら、全面拒絶する。手土産に宇賀物の茶碗一個と牛蒡茶を一房持たせて叩き返す。すでに暦は神無月に近い。戦になるとしても来年であることを見越しての拒絶である。

 決裂後、吉松は田名部の主だった者たちを集めた。鍛師、番匠、農民などである。


「七戸から使いが来た。我らが繁栄しているため、自分たちの領から人が逃げる。だから俺たちに貧しくなれと脅された。屈しなければ、田名部を略奪し、焼き尽くし、女は凌辱し、男は奴隷として死ぬまで使いつぶすという。それが嫌なら飢えに苦しめ。寒さに震えろということだ」


 七戸からの要求をやや大袈裟に伝える。だが伝えられた側は顔色を変えた。鍛師の善助などは、顔を怒りで赤黒くしている。他の者たちも皆、同様であった。数年かけて田名部を豊かにしてきたのだ。今では皆、腹いっぱいに米が食べられる。暖かく眠ることができる。その生活を奪われようとしているのだ。


「受け入れられるか? いや、受け入れられるわけがない! 俺は戦う。身体も小さな童だが刀を手にし、それが折れれば石を手にし、石が尽きれば齧りついてでも戦う! 皆はどうだ? ただ奪われるままで、それで良いのか!」


「冗談じゃねぇっ! 殿様、俺も戦うぜっ!」


「俺のため、田名部のために戦うなどとは考えるな! 自分の愛する者のことを考えろ。この地に来て嫁を貰い、子ができた者もおろう。飢えに苦しんでいた我が子が、腹いっぱいに飯を食って笑顔を向けてくれたこともあろう。それを思い出せ! ここで戦わねば、それらがすべて、露と消えるのだ。戦うのだ。戦って守り抜くのだ。七戸が、八戸が、南部が手を出せぬと思うほどの力を見せつけぬ限り、守ることはできぬ。皆、己がために戦えっ!」


「「「おぉぉぉっ!」」」


 吉松の激烈な宣言に呼応して、田名部に移民してきたばかりの若者たちが、それに呼応して老人や女子供まで一斉に叫ぶ。自分たちも戦う。この田名部を守るために、そして自分の愛する者たちの幸福のために、命を懸けると叫ぶ。

 その光景を見て、新田盛政は鳥肌がたった。


(これは…… 噂に聞く一向一揆とは、まさにこのような光景ではあるまいか? 吉松は、なんと恐ろしい民を育て上げたのだ)


 農民兵は、賦役として駆り出される。皆、飯にありつくために仕方なく戦場いくさばに出る。だから命懸けで戦おうという決意など期待できない。多くの兵を集めて有利な体制であることを喧伝し、戦いに際しては略奪まで認めなければ、農民兵はついてこない。それが常識であった。

 だが田名部の民は違った。誰も飢え、凍え、怯える生活などに戻りたくない。田名部の暮らしを守りために、最後の一兵まで死兵と化して戦うであろう。

勝てる。この民がいれば、たとえ南部晴政が相手であろうと勝てる。盛政は戦慄と共に、そう確信した。





 七戸家およびその周辺の国人たちが連合し、田名部新田を討つ。この話を聞いた瞬間、石川左衛門尉高信は馬を飛ばした。すでに雪が舞い散りはじめる季節である。だが高信は込み上げる焦りと共に、雪の中を田名部へと向かった。


「遅かったか……」


 田名部に着いた高信は、民たちの表情を見て気づいた。皆が殺気立っている。身体から湯気を昇らせながら、百姓が槍を突いている。初心者に毛が生えた程度であろうとも、その表情と気合は本物だ。仮に死ぬとしても、一人でも多くを道連れに死んでやる。その気迫に、高信は震えた。


「これは石川殿、先触れもなく突然の御越しとは……」


 吉松はそう言いながら、ドスンと上座に座った。それはつまり、自分は「独立国人」新田家の当主であり、南部家の臣下ごとき・・・に上座を譲る必要などない。自分は、南部晴政と対等なのだという宣言であった。

 だが高信には、それを気にしている余裕はなかった。挨拶もそこそこに、七戸家との対立について仲裁を申し出る。


「新田殿、某が仲を取り持ちます故、七戸と和解なされてはいかがですか? 七戸は南部に属し、重きを為す家にございます。一方、御当家は独立され、後ろ盾もない状態。このままでは、我が南部家を敵に回しまするぞ」


 南部家の歴史の中では、国人の小競り合いと言うのは幾度もある。それぞれが独立した家であるため、ある程度のところで南部家が仲裁し、互いに矛を収めてきた。独立はしていても、お互いが南部家に従属しているため、相手を滅ぼすことはない。それが暗黙の決まりであった。

 だが新田家は南部家に従属していない。つまり南部家は、七戸に全力で味方することになる。陸奥、津軽併せて二〇万石を領する南部家と、発展したとはいえせいぜい二万石の新田家では、勝負は見えていた。

 だが吉松は不敵に笑った。ここで矛を納めれば、舐められるだけである。それは、戦国を生きる独立国人としては死を意味していた。


「石川殿。田名部をご覧になられたでしょう? この田名部を侵す者は、それが誰であろうとも断じて許さぬ。田名部の民は死兵と化して戦いまする。確かに、三戸南部家に攻められれば滅びるやもしれません。ですが兵の半分は道連れにしますぞ。田名部に勝ったところで南部家も瀕死の状態となりましょう。果たしてそれで、安東、斯波を相手に出来ますかな?」


 高信は首を振った。確かに理屈は、吉松の言う通りだろう。田名部の士気の高さはこの目で見た。戦えば南部家とはいえただでは済まない。だが目の前の童は知らないのだ。南部晴政という益荒男の凄まじさを。


「新田殿こそ、我が兄を理解しておられぬ様子。南部家は、我が兄は決して退かぬ。たとえ瀕死となり、安東や斯波に攻め滅ぼされようとも、媚びて生きるくらいなら戦って死ぬ。それが我が兄、南部晴政という男なのです」


(巨大な野望を持つ二人の男が生きるには、この陸奥はあまりにも狭すぎるということか……)


 高信としては、兄のためにも新田吉松に臣従してもらいたかった。戦場ではともかく、内政の力は比類ない。新田吉松が加われば、南部家の力は数倍になるだろう。そうなれば奥州の覇者どころかそれ以上を狙えるかもしれない。

 南部晴政は決して話のわからない男ではない。度量が大きく、気前の良さもある。戦に強いばかりではなく、智謀と統率力を兼ね備えている。兄弟だからという贔屓目なしに、この北限の地を束ねられるのは南部晴政しかいない。吉松を見て、言葉を交わして、それでもなお高信はそう確信していた。


「ならば話は終わりですな。石川殿と言葉を交わすことができて良かった。貴方がいれば、南部家は安泰でしょう。できれば我が家にも、貴方のような忠臣が欲しいと思います」


 高信はため息をつくしかなかった。




 年が明けて天文二〇年(一五五一年)弥生(旧暦三月)、野辺地に軍勢が集結していた。七戸家からは当主である七戸彦三郎直国、津軽油川からは城主の奥瀬半九郎、その他六戸や五戸からも兵が集まり、合計二〇〇〇もの軍勢となる。未だ雪が残る道を東へ進み、そして北上する。目指すは日ノ本最北端の館、田名部館である。


「田名部には食い物、着る物、酒などが山ほどある。奪い放題だぞ!」


 言葉だけを捉えれば完全に盗賊であるが、戦国時代の合戦とは相手から奪うことが目的である。農民兵たちをはじめ、皆が欲望にギラついた眼差しをしていた。

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