第16話 蠣崎家

 新田家家中のゴタゴタである新田行政と吉松の相克に、ようやく決着がついたのは、天文一九年(一五五〇年)一〇月のことであった。吉松自身が話し合ったわけではなく、行政と盛政、そして行政の妻である「春乃方」の三者での話し合いである。

 行政は当初こそ、吉松との話し合いで妥協点を探そうとしていたのだが、吉松自身は一歩たりとも譲歩するつもりはなかった。田名部は完全に吉松が掌握しており、今さら父親が出てくる余地などはじめからない。


 結局、新田家当主を新田吉松、八戸家当主を八戸久松とし、新田行政は八戸行政と姓を改め、根城で当主の補佐と養育を行う。新田盛政は引き続き、田名部で吉松の補佐と養育を行う。なお、母親である春は、本人が望む場合は吉松との面会を認める、ということで決着した。要するに現状の追認である。

 そして肝心な点は、新田家は一個の国人として、八戸家から独立することを八戸当主の名で認めるという念書を交わしたことである。つまり、新田家はもう根城八戸家に臣従しているわけではなく、三戸南部家にも従属していない。小なりとも、南部晴政と対等の国人となったのであった。


「御爺、よくやってくれた。面倒が一つ、なくなった」


「よい。当主たるもの、家の面倒でいちいち腰を上げるべきではない。そのために家宰という者がおるのだ。じゃが、これで田名部は南部家から目を付けられることとなった。敵か味方かも解らぬ国人が、宇曽利郷うそりのかう(※現在の下北半島のこと)に出現したことを右馬助殿(※南部晴政)は快くは思うまい。周囲全てが敵と思うたほうがよい」


 盛政は、右馬助殿とあえて呼んだ。もう様付けをする必要がないのだ。なぜなら、新田家は南部家と対等なのだから。


(それにしても、たった数年でここまで変わるか。すべては吉松の改革によるものじゃ。田名部はついに一万石を超えた。しかも米だけでじゃ。稗、小麦、大豆などをすべて合わせれば、数万石にも達するやもしれん)


 新田家の現状を危ぶみつつも、口元が緩む盛政であった。この時代、国人は「家の格」を気にする。どこかの家に臣従するということは、それだけ家の格が下がることを意味した。新田家はいま、どこにも臣従していない。つまり目の前の幼児である新田吉松は、糠部と津軽の大半を領する南部右馬助晴政と対等なのである。両者が対面する際は対等の座を用意しなければならないし、晴政もそれに文句は言えない。それ程に、家の格というものは重いのだ。


「それについては考えがある。新田はこれより、蠣崎と密かに手を組む」


「それでは南部を敵に回すぞ?」


 盛政は思わず腰を上げかけた。大館に本拠を置く蠣崎氏は、檜山安東氏に臣従する国人衆であり、たびたび津軽に攻め入っている。蠣崎と手を組むということは、三戸南部、津軽石川を敵に回すことになる。


「密かにと言ったであろう? 蠣崎は蝦夷の民と和睦した。蠣崎と蝦夷は一〇〇年近く争い続けてきた。本来であれば安東家当主舜季きよすえが仲裁にあたってしかるべきだろう。だが蠣崎若狭守は独力で和睦に成功した。これは何を意味する?」


「……安東による蠣崎支配が緩んでおるということか?」


「そう。もしくは若狭守による独立行動よ。だが徳山では米も採れず、貧しいと聞く。蠣崎家単独では、とても檜山には対抗できまい。そこで新田が援助し、我が家に蠣崎を臣従させる」


 盛政は目を丸くした。そんなことが可能なのだろうか。だが吉松はニヤリと笑って頷いた。


「可能だ」




 史実では、蠣崎家五代当主蠣崎若狭守季広すえひろは、天文一九年(一五五〇年)に檜山安東氏の仲裁により、アイヌ民族と和睦し、道南の支配を確立する。だがそれは、安東家への従属を強めることにもなり、その後はたびたび、安東家の要請により出兵を強いられることになる。

 だがその歴史が微妙に変わった。図らずも、新田家が開発した炭団が、アイヌ民族にいたく気に入られ、今後も炭団を渡すことを条件に、アイヌ民族との和睦に成功したのである。


「殿。蝦夷との和睦、おめでとうございまする」


 蠣崎家の重臣、長門ながと藤六広益ひろますの言葉に、季広は頷いて笑みを見せた。


「一去年は叔父(※蠣崎基広)の謀反という悲劇があったからのう。檜山の援助を受けねばなるまいかと思うていたが、まさか新田に助けられるとは……」


 下北半島を領していた蠣崎家が、日ノ本から蝦夷地まで逃れる羽目になった一因に、蠣崎蔵人の乱における新田家の活躍がある。季広としては自分が生まれる前の話であるため、新田家に対する遺恨はないが、数奇な運命を感じざるをえなかった。


「その新田ですが、嫡男の吉松が父親と仲違いし、新田家を乗っ取ったというのは、本当でしょうか?」


「本当だ。わざわざ知らせてきよった。読んでみよ」


 それは金崎屋を通じて徳山館にもたらされた、新田吉松直筆の書状であった。米三〇〇石と炭団、麻布を贈るゆえ、過去の遺恨は水に流し、手を取り合おうという誘いである。


「商人の話では、田名部は凄まじい勢いで開拓が進んでおるそうだ。石高は既に二万石に達したというが、話半分としても一万石だ。飢えず、震えず、怯えずを旗印にし、民を集めているという」


 季広はそう呟くと、口元を歪めた。


「口惜しい。この地は大和の外。米も採れぬ不毛の地だ。新田はほんの少し南にあるだけで、それほどに栄えている。ところが我らは、寒風吹きすさぶこの貧しき地で、あろうことか家中で争っている。一体、儂は、何をしておるのだ……」


「殿……」


 長門広益はずずっと迫った。蠣崎基広の反乱を鎮めた、家中随一の武勇を持つ男が涙ぐむ。


「殿が民たちのために心を砕いていること、家中の皆が十分に理解しておりまする。それにこれは好機にございます。新田家は宗家である八戸家、そして南部家から離れました。噂では、新田吉松は神童と呼ばれ、田名部の民からは信仰に近いほどに慕われておるとのこと。ここは、新田の誘いを受けてはどうでしょうか? このままでは檜山に安く買い叩かれるだけでございます」


「そうだの。それが良いのかもしれぬ」


 現代においてこそ、北海道として日本の一部になっている蝦夷地だが、戦国時代における日ノ本とは、天照大神の威光が届く範囲、つまり神社が置かれた範囲までのことであった。蠣崎蔵人の乱以降、中央との繋がりを作ろうとしたり、複数の側室に一〇名を超える子女を設け、奥州の国人たちに養子や婚姻に出したりしたのも、ここに日ノ本の民がいる。自分たちはここで生きているという叫びであった。

 一〇〇年にわたって安東家に従属し、飢えや寒さに苦しんできた蠣崎家にとって、新田吉松が差し出した手が救いに感じたのも当然であった。





 一方、その檜山においても新田家の話が持ち上がっていた。安東家は南北朝時代に、現在の秋田郡を領した「上国家かみのくにけ」と、十三湊をはじめとする津軽地方を領した「下国家しものくにけ」に分かれた。南北朝時代から室町幕府初期のころは「安藤家」と表記されていたが、室町幕府中期以降は「安東」と書かれるようになるが、この理由は定かではない。

 蠣崎蔵人の乱以降、紆余曲折を経て明応四年(一四九五年)、安東政季まさすえが檜山城を建てる。これ以降、上国家の安東氏は「湊安東氏」、下国家の安東氏は「檜山安東氏」と呼ばれるようになった。檜山城は標高一四〇メートルほどの山に、地形を利用して築かれた。天守閣などはないが、本丸、二の丸、三の丸が設けられ、山全体が一個の要塞となっていた。

 その檜山城の本郭において、檜山安東氏第七代当主安東舜季きよすえは家臣たちを集めての評定を行っていた。一時期は湊安東氏との争いなどもあったが、湊安東氏当主である安東堯季たかすえの娘を正室に迎えたことで、現在の安東一族は落ち着いている。


十狐とっこ城(※独鈷城)が揺れておるそうだ。琵琶法師(※浅利則頼のこと)が病に倒れたらしい。比内を手にすれば津軽は目と鼻の先、目出度きことよ」


 家臣たちが次々に追従する。だが舜季にとって悪い報せもあった。他ならぬ「蠣崎」の件である。


「若狭守が蝦夷えみしどもと和睦しおった。意外なことよ。食い物もなく、蓄えも乏しかったはず。どうやって蝦夷の歓心を買ったのだ?」


「御屋形様。それにつきまして、湊の知り合いから噂を聞きましてございます。田名部新田家が絡んでいると」


「ほう?」


「田名部はいま、吉松という元服すらしていない童が差配しているそうです。ですがこれが神童と呼ばれるほど才気に溢れる童だそうで、田名部の石高をまたたく間に数倍にしたとか。さすがに眉唾とは思いますが、深浦で人を集めているのは確かでございます」


「その話、某も耳にしております。炭団という一日中火が燈る炭を作り出したとか。若狭守はそれを蝦夷への手土産としたそうで、和睦が成ったそうです」


「ふん、面白くないのぉ。儂が出張って蝦夷との間を取り持ち、蠣崎を使い倒すつもりでおったのだが、童に邪魔されるとはな」


 舜季は、パチン、パチンと扇子の音を鳴らした。黙りこくる当主に、家臣たちも静まる。やがて家老が代表して主君の意志を問う。


「御屋形様。蠣崎をお討ちになられますか?」


 舜季は数瞬、沈黙して首を振った。


「いや、そもそも蠣崎は津軽石川への牽制に使うつもりであった。だが米が採れぬあの地を手に入れたところで、安東にとって何の旨味もない。それよりまずは浅利よ。則頼がくたばり次第、動くぞ」


「はっ」


 安東も南部も、陸奥では大きな存在である。新田も蠣崎も、残された僅かな隙間の中で、辛うじて生き延びているというのが現実であった。史実においても、多くの場合はどこかに臣従して、何とか生き延びようとし、そして滅ぶ場合が多い。

 蠣崎家、そして新田家がこの先どうなるのか、見通している者は誰もいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る