第13話 下剋上

 天文一九年(西暦一五五〇年)皐月(旧暦五月)、田名部では微妙な緊張が続いていた。田名部新田家と根城八戸家、もっというなれば新田吉松と新田行政の「親子断絶」が発生したのである。

 ことの顛末は、如月(二月)に新田行政がいきなり田名部に戻ってきたことにある。田名部は吉松の指揮のもと、急速に改革が進んでおり、田畑を拡張させて米、麦、大豆の輪作を開始するなど、新たな増産計画に動いていた。だが行政は、戻ってきていきなりそれを止めたのである。


「儂は新田の当主であるぞ。その儂が知らぬ間に、何を勝手にしておる。すべてを元に戻せ!」


 この口上に吉松は呆れた。勝手などはしていない。定期的に書状で田名部の改革を知らせている。止めるのであれば、一年前でも止めることはできたのだ。仮にも「当主」という最高経営責任者を自認するなら、なぜもっと早く動かなかった?


「待て、行政。吉松は田名部の民のために努力し、ここまで豊かにしてきたのじゃ。褒められこそすれ、責められるようなことはしておらぬ」


「父上はお黙りくだされ。これは当主としての某の決定にござる」


 祖父と父が口論する。その様子を吉松は冷え切った眼差しで見つめた。元に戻すことは不可能ではない。だがそうすれば、田名部はまた飢え、震える寒村になってしまう。目の前の男は、民たちの表情に感じるところはなかったのか? 石高売上が急激に伸び、家臣社員も増えた。あと少しで、八戸にも匹敵する力が北の地に生まれる。蝦夷という後方を気にする必要がある南部にとって、それがどれだけ有難いことなのか理解していないのか?


(自分の影響力が及ばなくなることへの原始的な不安。創業者の会長父親が、いつまでも経営に口を挟んでくると悩んでいた二代目社長がいたが、こういう心境か……)


「父上は、田名部が再び貧しくなっても構わんと仰られますか?」


「フン、なにを言っている。童でもできたことが、儂にできないわけがあるまい?」


 なるほど、と吉松は思った。つまり目の前の男は、僅か四歳の幼児をそねんでいるのだ。新田家では祖父である盛政が発言力を持っていた。根城八戸家を乗っ取り、当主と長男は田名部から根城に遷った。ようやく父親から解放され、行政は新田と八戸で当主としての影響力を発揮しようとしたのだろう。だが現実は違った。そうしているうちに、田名部が急成長した。


(田舎の子会社が都心の本社を吸収して、子会社の社長が本社副社長に入った。だが本社役員や管理職がいるし、実態は社長不在の状態だ。副社長がまるで社長のようになんでも意思決定して指示を出していたら、元からいた役員や管理職は不満を持つだろうな)


「であれば、まずは根城を豊かにされるべきではありませんか?」


「なに? 儂に逆らうか、吉松!」


 行政が怒鳴る。普通の子供であれば、それだけで肩を竦めて震えるだろう。だが精神年齢八〇歳の吉松は眉一つ動かさず、むしろ冷笑すら浮かべた。


「父上。父上は根城の城代ではありませんか。まずは根城をしっかり束ねるべきではありませんか? 御覧の通り、この田名部はの下で混乱なくまとまっています。どうかご懸念なきよう」


(南部家は恐らく、根城内部での「居場所づくり」までは手伝ってくれなかったのだろう。というか大人なんだからそれくらいは自分でやれよ。偉そうに当主面していたら、反感買うのは当然だろ)


「ならぬ! 新田の当主は儂ぞ! 吉松、お前は根城に連れていく。田名部は父上に一任する」


「お断り致す。吉右衛門ッ!」


「ハッ!」


 吉松の鋭い声に、評定間の外から大声が帰ってきた。吉松は行政を睨んだまま、吉右衛門に指示を出す。


「父上の供回りを拘束せよ。根城とは決裂した。新田は今日より、八戸から完全に独立する! 田名部の民たちにも伝えよ。根城との合戦だとな!」


「御意ッ!」


「ま、待つのじゃ! 吉松!」


「御爺、田名部を離れるのであれば、速やかに去られよ。どのような決断をされようとも、俺は恨まぬ」


(クククッ…… 阿呆が。向こうから口実を呉れるとは。能無しの当主社長など不要だ。さっさと手切れして八戸に逼塞させよう。さて、問題は三戸の動きだが……)


 吉松はそう宣言すると、立ち上がって一方的に出ていってしまった。あまりの決断の速さに、行政も盛政も、呆然としてしたままであった。




「殿、いかがなされました」


「うむ。新田家当主・・、新田吉松と名乗る者からの書状じゃ。読んでみよ」


 南部家当主、南部晴政はそう言うと、楷書で書かれた紙を差し出した。毛馬内靱負佐ゆきえのすけ秀範ひでのりは、恭しく書状を受け取ると一読し、ため息をついた。


「これは…… 行政殿の言い分も聞かねばなりますまい」


 書状には、田名部新田家における「親子喧嘩」について書かれていた。八戸城代として根城で活躍していた父親が、ふらっと戻ってきたら田名部がいろいろ変わっていたので激怒して元に戻せと言う。だが田名部はいま、農業や漁業で頑張っており、百姓たちの暮らしも豊かになりつつある。それを戻すなどできないと抵抗し、ついには決裂してしまった。だがこれは八戸と敵対するということではなく、あくまでの新田家内での意見相違にすぎないので、手出しは無用。念のため、根城や石川城などにも顛末をまとめて伝えている。三戸城には迷惑料として米三〇〇石、根城家老の東、葛巻、そして石川城には一〇〇石ずつ贈る。

 まとめるとこのような内容が書かれている。だが驚いたのは日付だ。四日前に起きた出来事らしいが、まだ根城からは報告がない。


「新田吉松といったな。左衛門尉(石川高信のこと)がえらく気を掛けていたが、確かに早いな。根城からはまだ何の報せも来ておらぬ。この簡潔で解り易い書状。そしてこの根回しと気遣い。無骨な盛政では出ぬ知恵だ。左衛門尉が気に入ったという神童の手並みか」


「恐らくは。昨年、田名部は七〇〇〇石を超える大豊作だったと聞いています。稗から造ったという新しい酒を歳暮で送ってきましたが、中々の味でした」


「……欲しいな」


「は? 田名部を、でございましょうか?」


「違う。新田吉松よ。儂の援助なくば主家乗っ取りすらできなんだ行政に比べて、この者は鮮やかに田名部を獲りおった。どちらが使えるかは明らかではないか」


「根城八戸は殿に臣従しております。新田は八戸の臣下。陪臣とはいえ殿の臣ではありませんか?」


「だが新田は父親と縁を切った。八戸とは敵対しないと言っておるが、実際には独立であろう。つまり今は、誰の臣でもなく独立した状態と捉えることもできる。儂の直臣として田名部およびその一帯を与えれば、新田は八戸と同格以上となろう」


「では今回の件、田名部にお味方されますか?」


 南部晴政は顎鬚を撫でて少し考え、首を振った。


「いや、どちらにも味方せぬ。その書状にある通り、あくまでも新田家内部のゴタゴタとしておく。それに念のため、行政の話も聞かねばなるまい?」


 そして不敵に笑った。


「親を喰らうか、子を飲み込むか。まさに喰うか喰われるかだのぉ」




 半ば叩き出されるように田名部館から根城に戻った新田行政は、すでに吉松が先手を打っていたことを知り、歯ぎしりした。南部家の主だった者たちどころか、根城の家老たちにさえ事の顛末の書状が届いている。吉松は、田名部の湊から野辺地まで船を出し、そこから一気に早馬を飛ばしていた。


「お前様、吉松は……」


「決まっておる! 勘当だ!」


 妻の心配に対してそう吐き捨てた行政は、すぐに合戦の支度に入ろうとした。だが根城の家老である東重康、葛巻友勝が反対の声をあげた。あくまでも新田家の御家騒動に過ぎず、根城八戸が動くのはおかしい。ここは親子の話し合いで解決してはどうか。それが二人の主張である。


「根城はあくまでも八戸家の城でござる。吉松殿は、行政殿とは断絶したが兄が当主となる八戸家とは敵対せぬとのこと。ならば根城領民を動かす必要などありますまい」


「御城代、重康の言には一理も二理もありまする。それに田名部は栄え、大殿や石川左衛門尉殿も気に掛けているとの噂もあります。ここはあくまでも新田家内で解決していただきたい」


 この時代の戦国大名というのは、基本的には「国人衆の代表」という位置づけである。甲斐武田家や越後長尾家などは、家臣それぞれが土地を持つ国人であり、それが有力者の下に集まっているという「国人集合体」であった。当然、南部家でもそれは同じで、一戸や二戸などは、南部晴政に臣従しているがあくまでも独立した国人である。それは八戸や新田も同じであった。


《なぜ、八戸家が他家・・の親子喧嘩で兵を出す必要があるのか?》


 吉松は父親との断絶という「家中の事情」に収束させることで、他からの介入を防いだのである。そして新田家内と限定すれば、力を持っているのは吉松であった。なにしろ行政には拠点そのものがないからである。


「吉松ッ……」


 新田行政は顔を赤黒くして歯噛みした。

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