第11話 石川左衛門尉来訪

 天文一八年(西暦一五四九年)も文月(旧暦七月)を迎えた。九州地方ではすでに稲の刈入れが始まっている時期だが、陸奥においてはようやく稲穂が出た頃である。刈入れまであと一月といったところだろう。だが稲穂の数を見れば、どの程度の収穫ができるかは予想可能だ。


「す、凄い。こんな数の稲穂、見たことねぇ!」


 田名部の民たちが目を丸くしている。当然であろう。三〇〇〇ヘクタールの広大な田畑に、一面の稲穂が揺れているのだ。正条植えによって、まるで波のように一斉に稲穂が揺らめく。


「皆が俺の言うとおりに作業してくれたおかげだ。一月後には収穫できる。その時は大いに祝おうぞ!」


「おぉっ!」


 馬上から吉松が叫ぶと、民たちは一斉に拳を突き上げた。とはいっても、刈入れてすぐに脱穀できるというわけではない。稲を束ねた上で、稲架掛はさかけという自然乾燥の過程を経て、ようやく脱穀に入ることができる。この過程を経ることで、稲を乾燥させて長持ちさせるとともに、米粒に栄養を行きわたらせて味を良くする。その後は籾摺もみすり、精米へと進むが、これは田名部川に建てた「水車」を利用する。脱穀さえ終われば、あとは半自動で精米が可能であった。


「稗や野菜類の成長も順調だな。来年からはいよいよ、大豆、小麦、米の輪作を始めるぞ。そのために人を集めたのだ。これにより、田名部は劇的に経済成長する」


「田畑を広げておるのはそのためか。それにしてもこれだけの実りであれば、優に五〇〇〇石は超えそうじゃの。田名部の民も、飢えることはあるまい」


「御爺。五〇〇〇石どころではない。俺の目標は六〇〇〇石だったが、おそらく七〇〇〇石を超えているだろう。そして来年は一万石を超える。大畑や川内にも同様の集落を作り、数年後に新田は五万石を超えるのだ。二〇〇〇人の常備兵を持つ南部屈指の国人になるぞ」


「ほっ、豪気じゃの。じゃがそれで良い。それくらいの覇気がなければ、新田はこの先、逼塞しようて」


 盛政の言葉に偽りはない。父親である新田行政から「あまりやりすぎるな」という手紙が来たのだ。三戸城で開かれた評定において、田名部が人を集める理由は何かと問い詰められたという。

 それを聞いたとき、吉松は内心でヒヤリとした。生産性の向上と特産品開発によって、田名部は飛躍的に成長しつつある。だがそれでも、山の多い下北半島ではせいぜい一〇万石が限界だ。小麦や大豆などのほかの農作物により、三〇〇〇程度の兵は養えるかもしれない。だが南部家が本気を出せば、数千の兵を動員できる。田名部は為すすべなく、蹂躙されてしまうだろう。


(立ち止まるわけにはいかない。立ち止まれば、この戦国時代では即、死を意味する。新田が生き残るには、出過ぎた杭になるしかない)


「御爺、来年は常備兵を集めたい。まずは一〇〇ほどだ」


「常備兵というと、百姓仕事はさせぬわけか? 普通に人を増やせば、三〇〇人くらいの兵は持てると思うが?」


「雑魚三〇〇よりも精鋭一〇〇のほうが良い。常備兵は確かに負担だが、戦闘に特化した即応能力はそれを上回る。なにより、百姓は百姓仕事に、職人は職人仕事に集中できる」


「なるほど。其方の初陣はまだまだ先じゃ。その頃には数百の精鋭になっておるやもしれんな」


 だが、南部の動きは吉松の想定を超えていた。館に戻ると先ぶれが来ていた。南部家の重鎮、石川高信が自ら訪れるというのである。




 石川左衛門尉高信は、南部氏を一気に戦国大名に成長させた南部氏二三代当主南部安信の次男であり、知勇兼備の名将である。南部氏の重鎮として津軽地方の政治と軍事を束ね、その影響力は当主である南部晴政に次ぐものだ。


(後世では、安信の弟というのが定説だったが、やっぱり晴政の弟か。そりゃそうだよな。そうでないと、五〇歳で子供を作り、八〇歳近くで津軽為信と戦うことになるんだから)


 石川高信は永正一七年(西暦一五二〇年)生まれなので、今年で齢三〇歳になる。兄同様、正に脂ののった時期だ。歴史シミュレーションゲームでは、顎鬚を生やした厳つい中年男として描かれることが多いが、実際には鼻下の口髭を薄っすらと伸ばしただけの、誠実そうな男に見えた。

 だがその眼差しには力がある。知勇のみならず教養までも漂わせていた。


「これは左衛門尉様、遠いところよくぞお越しくださいました。何分、田舎ゆえに大した御持て成しもできませぬが……」


 石川左衛門尉が上座に座り、前当主の新田盛政と嫡男吉松が下座に座る。新田家は形だけとはいえ、南部の家臣である八戸の家臣、つまり陪臣であった。南部家の筆頭家老である石川高信とは格が違う。

 だが高信は気にも留めず爽やかに笑い、年長者である盛政に丁寧な言葉を使った。


「いや、こちらが突然訪ねたのです。お気になさらず。噂では聞いていたが、確かに勢いがありますな。道が広く取られ、人々の顔に活気がある。それに米もよう実っている。田名部を栄えさせたご手腕、お見事でござる」


「すべては右馬助様(※南部晴政)のご庇護があってこそです。御家のためならば、我らは命を捨ててお役立ちする所存」


 盛政が深々と一礼する。吉松もそれに倣った。頭を下げずに、己を貫いて生きることが格好良いと思っている奴はバカである。目的のためならば頭も下げるし土下座もする。裸踊りだってする。下らない見得など何の役にも立たない。最後に勝てばそれでいいのだ。吉松はそう割り切っていた。


「ほう…… 美味い」


 牛蒡茶を口にした高信は、その味に驚いた。盛政は「田舎者の知恵」と自嘲するが、高信はかなり気に入った様子である。牛蒡は山林に自生しており、来月には収穫もできる。手土産に渡してやろうと吉松は思った。

 それからしばらく、田名部の様子について高信が幾つか質問する。新しい田植え法や狩りを充実させていることなどを伝える。だが盛政でさえも知らないことが幾つもある。塩水選、椎茸栽培、木酢液などなど、重要なことは何一つ伝えていない。


「それは、誰が考え出したのです? 民たちには、吉右衛門という者が指示していると聞いていますが?」


「それは……」


 盛政は諦めたように、横にいる吉松の肩を叩いた。


「嘘偽りなく申し上げます。それらを考え出したのは、この吉松でございます。本人は、夢の中で誰かから教えられたと申しておりますが、試したところ本当に効果があったものですので、ならば任せてみようと……」


「なるほど、やはり」


 そう呟いて、高信は視線を幼児に向けた。吉松はその視線を真っ直ぐに受け止める。見た目幼児でも、精神年齢は八〇歳を超えており、海千山千の経営者たちと丁々発止やってきたのだ。たとえ戦国時代であろうと、三〇歳の若造に怯むような軟ではなかった。


(慌てて言い訳したり、頭を下げたりしないかを見ているんだろう? こういう時は、相手が喋るまで沈黙したほうが良いんだ。口を開けば開くほど、言い訳じみて聞こえてしまうからな)


 数瞬して、高信は笑った。


「ハハハッ…… なるほど、神童ですな。子供だというのに、まるで年上を相手にしているような気分になり申した。某にも亀九郎という息子がいるが、見習わせたいものです。さて、吉松殿に聞きたいことがあるが、宜しいか?」


「なんでございましょう? 私めに答えられることであれば……」


「吉松殿は、なにを目指しておられる?」


 口調は変わらない。だが盛政は、部屋の気温が若干下がったように感じた。そこには、陪臣にも丁寧な言葉を使う好男子ではなく、南部家を支える筆頭家老がいた。


「田名部の繁栄でございます。私は齢三歳、とても戦には出られません。ならばせめて、田名部だけでも栄えさせ、兄であり主君である八戸久松様を支えたいと思っております」


 真っ直ぐに見つめて淀みなく答える。無論、内心は違う。吉松が目指すのは、国人である新田家をどこまでも大きくすることだ。南部や八戸が邪魔になれば、躊躇いなく排除するつもりでいた。

 だがそれを顔に出すほど愚かではない。表面的には真摯に、兄を支えたいという姿勢を見せる。


「であれば、某と同じですな。某も、兄をどこまでも支えたいと思っています」


 高信はニッコリと笑った。




 その夜、田名部館にて持て成しを受けた高信は、客間にて寝床に横たわると、手入れの行き届いた天井を見つめた。田名部は想像以上に繁栄していた。雑穀米とはいえきちんと炊かれた飯、程よく脂ののった一夜干しの魚、上品に盛り付けられた山菜類などなど、ありふれた食材を見事な美味に仕上げていた。そして驚いたのは酒である。ただの濁酒だったが、三戸でも口にできないような美味さであった。


(あの眼差しに嘘があるとは思えないが、何かが引っかかる。そう、模範的すぎるのだ。俺の立場まで計算して、あのような返答をしたのではないか?)


 目を閉じると、なぜか父親の顔が浮かんだ。父である安信は、三戸城一つから一代で奥州最大の大名にまで南部を育て上げた。その血を色濃く受け継いだ兄でさえ、未だに超えられないと思えるほど、高信にとって父親は「巨人」であった。その巨人と、今日会ったばかりの幼児が重なって見えたのだ。


(あれほどの知恵を持つ者が、果たして田名部の地だけで満足するだろうか。力ある者は、それを使う場を求めるもの。屈託のない笑顔の下で、野望の牙を虎視眈々と磨いているのではあるまいか?)


 殺してしまったほうが良いかもしれない。高信はそう思った。だが同時に、その力を兄晴政のために役立てられないかとも思った。方法は無くはない。遠縁とはいえ、新田にも南部の血は流れているのだ。そして南部晴政には娘しかいなかった。


「亀九郎をと思っていたが…… 兄上に話してみるか?」


 吉松の意志とは関係のないところで、歴史は少しずつ変わり始めていた。

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