第10話 三戸南部家の動き

 奥州の歴史を見ると、江戸時代以前の奥州は「鎌倉体制」そのままといえる。政治的には、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇によって「陸奥将軍府」が置かれ、室町幕府時代には陸奥将軍府に対抗する形で奥州管領が置かれるなど、中央政府との繋がりはあるものの、鎌倉幕府から続く名門が戦国時代末期まで残っていた。そうした意味では、奥州では小競り合いはあるものの、戦国時代は訪れなかったともいえる。南部晴政でさえも、他家を滅亡させてまで領土を拡大するという「狭義の戦国大名」かと問われれば、疑問符をつけざるを得ない。


 その一方で、商工業の視点では、奥州は江戸時代に入るまで孤立していた。特に南部領では日本短角種の原種となる「南部牛」や、本州最北端の野生馬「南部馬」などを育てていたが、いずれも域内で知られている程度であった。奥州や蝦夷といえば「昆布」「鮭」「毛皮」などが中央では知られていたが、逆をいえば「美濃和紙」「飛騨木工」などの工芸的特産品が無かったのである。

 

 戦国時代の終焉をもって、日本には新たな経済圏「江戸」が誕生し、奥州各藩も交易に力を入れるようになる。南部家においてもそれは同じで、江戸時代初期に特産品化した「南部鉄器」は現在でも伝統工芸として続いている。




「吉松よ。馬や牛ならまだ解るが、時告鳥(※鶏のこと)などを買ってどうするのじゃ?」


「無論、育てて食べるのだ」


 傅役である新田盛政の質問に、吉松は何事でもないかのように答えた。だがこの時代、鶏を食べるという習慣は無かった。それどころか牛、馬、犬、猿、鶏の五種は、食用とすることを禁じられていたのである。


「天武四年(西暦六七五年)の詔など無視する。日ノ本の民は馬鹿正直すぎる。なぜ禁令となったのか、その背景を知れば、肉食への忌避などなくなるだろう」


 天武天皇が出した「禁生禁断の詔」は、律令国家への転換期という時代背景がある。農耕作業に向いた家畜を殺すことを禁じることで、米の生産性を高めようとしたのだ。だが米自体が貨幣的な役割を担うようになり、幾度か同様の詔や禁令が出されるうちに、日本人の中に肉食への忌避が生まれたのだ。


「道の整備と共に輸送手段の改善を行う。基本は馬による輸送とし、牛は農耕作業に使う。鶏は食用だ。鶏卵は栄養価が高く、明国では普通に食べられているそうだ」


 だが家畜を育てる場所が問題であった。山に近ければ熊や狼に襲われかねない。田名部川上流の丘を切り拓き、木と竹による囲いを作って育てることにする。


「比内鶏の原種など食ったこともないからな。やっぱり唐揚げにするべきだろうか」


 吉松が新たな食材について暢気に考えていたころ、田名部から遥か南の地である三戸城では三月に一度の評定において、新田家が最近、人を集めているという話が出ていた。別に不思議な話は無い。新田は割れたのだ。現当主の新田行政が嫡男を八戸に据えて、八戸久松とした。田名部からも人を連れて行っている。その穴埋めをしようと人を集めていても不思議ではない。


「だがなぜ、口減らしの者などを集めているのだ?」


 九戸城主、九戸右京信仲はギョロッとした目で、新田行政に視線を向けた。口減らしされる者など老人か子供しかいない。集めたところで農業にも戦にも使えないような者なのだ。


「倅が言うには、使い途があると。倅の吉松は、最近は田名部の内政に力を入れているようで……」


「お待ちを。倅殿ということは、久松殿の弟御ではありませんか? 失礼ですが、齢幾つでしょうか?」


 まだ二〇代半ばと思われる若い男が発言する。だが誰もその男を侮ったりはしない。知恵者と評判の剣吉城主、北左衛門佐さえもんのすけ信愛のぶちかであった。父親と比べて胆力に劣る行政は、額に汗を浮かべながらも正直に話す。


「今年で、齢三歳になります」


「バカな…… 盛政殿は何をしておられるのか。三歳の童が政事まつりごとなど、できるわけがない。 確かに田名部は陸奥乃海の向こう側だが、三〇〇〇石の領なのだぞ。童の遊びで動かしてよいものではない!」


 大浦為則の名代として出席していた久慈備前守治義が眉を顰める。石亀紀伊守信房も同感だと頷く。新田領は確かに南部から切り離されているとはいえ、陸奥湾を繋いでの交易なども行われている。なにより、田名部館は三戸南部が飛躍した「蠣崎蔵人の乱」の象徴でもあるのだ。その土地が荒れるのを見過ごすわけにはいかなかった。


「いや、待たれよ。確かに田名部は人を集めているが、決して乱れてはおらぬ。某が調べた限りではでござるが……」


 皆を遮るように発言したのが、南部の重鎮、石川城主の石川左衛門尉さえもんのじょう高信であった。現当主である南部晴政の弟にあたり、知勇兼備の名将として津軽の政治と軍事を一手に握っている。その発言力は南部家内でも並ぶものはいない。


「兄上。某が調べたところでは田名部は確かに、僅かな期間で活気に満ち溢れ、新たな物産も行われているとのことです。聞くところによると、吉右衛門なる者が方々で指示を出しているとのこと。おそらくは、その者の知恵ではありませぬか?」


「ほう。左衛門佐殿のような知恵者が他にもいたとは……」


「新田殿も中々やる」


 陸奥には伊賀や甲賀といった諜報専門の集団はいない。だが南部晴政や石川高信は独自の情報網を持っていた。これは先代の南部安信が作り上げたものであり、バラバラの南部諸氏をある意味で監視するためのものである。当然、その情報網の中には田名部館も入っている。だが僅か三歳の幼児がすべてを考えて指揮しているなど、想像できない。情報から浮かび上がった現場監督者である吉右衛門の知恵だろうと意見を述べる。

 だが、その意見に疑問を抱いた者がいた。他ならぬ南部家二四代当主、南部右馬助晴政である。三三歳の働き盛りである当主は、男性的な引き締まった顔に笑みを浮かべて頷いた。


「うむ。左衛門尉の言はもっともだ。だが儂の見立ては少し違う。そもそも、それほどの知恵者であるならば、なぜ田名部に置く? 普通であれば根城に置いて、より重き役目を与えてしかるべきであろう」


 家臣たちが互いに顔を見合わせる。言われてみればと呟く者もいれば、でもまさかという者もいる。石川高信は兄に対して敬意の眼差しを向けたままだ。それくらいのことは自分も考えていた。だが敢えて、常識的な意見を述べて兄に花を持たせたのである。自分の役目は南部の重鎮として兄を支えるとともに、南部を一つに纏め上げることだと思い定めていた。

 晴政は目を細め、半分冗談だという口調で自分の意見を口にする。


「ひょっとしたら、本当にその童がやっておるのではあるまいか? 鎮守府公方(北畠顕家)も齢四歳で殿上人になるという早熟のお方であった。齢三歳で田名部を治める童がおったとしても、不思議ではない」


「兄上。この件、追いますか?」


 「それはそれで凄い」などと他の家臣たちが笑う中、高信が主君の意志を確認した。晴政としてはどちらでも良かった。肝心なことは最後を自分が決めるということである。新田や八戸は、いまだ完全に三戸南部に従っていない。だから引き締めは必要だが、引き締め過ぎるのも拙い。

 一瞬でも全員が、新田行政を責めようとした空気があったが、いまは完全に払しょくされた。行政も誰が主人なのか、改めて理解しただろう。

 全員の視線が集まったのを確認して、晴政はフンッと鼻で笑った。


「左衛門尉に任せる。些か勝手とも思わぬでもないが、田名部が落ち着き栄えるのであれば、浪岡や蠣崎への良い牽制にもなろう。行政、よい倅を持ったな。いずれ一度、会ってみたいものよ」


「ははっ、有りがたき幸せ」


 新田行政が恐縮して頭を下げる。別に叱られたわけでも脅されたわけでもない。だが行政にとっては肝が冷える思いであった。南部晴政と話すということは、それほどに胆力を求められることであった。




 三戸城での緊張などまるで知らないまま、吉松は次の一手に取り掛かっていた。一年かけて乾燥させた木と木酢液から得た木タールを使って、五〇〇石の弁財船を造船するのである。


「越後から買った麻を帆布にすることで、より船足が速くなる。これを銭衛門に貸し与えて交易量を増やす」


「せっかくの船を貸すのか?」


「御爺。この船を動かせる者が、いまの新田におるのか? 銭衛門には船と人を貸す。交易と船の操作を覚えさせる。一〇年もすれば、新田水軍が完成するであろうよ」


 蠣崎蔵人の乱では、野辺地湊から船が出て、田名部を強襲することで南部は勝利を収めた。もし野辺地を新田が押さえたら、津軽と陸奥とに南部を分断することができる。それほどに野辺地は要衝なのだが、不思議なことに城が建てられていない。津軽に石川、三戸に南部という確固とした体制ができたからだ。野辺地が要塞化されるのは、津軽為信の反乱発生以降である。


(今はまだ早い。最低でも、新田家を五万石まで成長させたい。それでようやく二〇〇〇人の兵を養える。だがそれでも、南部には遠く届かない。やはり蠣崎、そして蝦夷が必要か……)


「御爺。すぐに二隻目に取り掛かるぞ。越前との交易と蝦夷との交易、それぞれ一隻ずつは充てたい」


 確か蠣崎とアイヌとの和睦は今年であったかなと考えながら、吉松は己が野望の途を見つめていた。

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